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15年の子育てを振り返りながら、親にならなかったらどうなったかを考えてみた

気付けば自分が親になってから15年もの月日が経った
それに気づいた時、「15年あったら何ができるよ?」→「いやいや15年もあったら何でもできるよね!」と、思わず自問自答してしまった…笑
それくらい15年という月日は長い

そんな15年間という長い月日を振り返りながら、「親にならない」という選択についても考えてみた

15年間の子育てを振り返った

最近長女に続いて、次女も大人になったなぁと感じる瞬間が増えてきた
そんな子ども達が嬉しくもあり、寂しくもある
だからだろうか、自分が親になってからの15年間をふと振り返ってみた

子どもが散らかすために片付け続けた15年

自分の子育て15年を一言で表すなら「子どもが散らかすために片付け続けた」という言葉がものすごくぴったりな気がする
片づけても片づけても子ども達に散らかさられる
何度注意しても散らかすが、散らかったままの状態に我慢できない俺は、結局片付けてしまう
そしてまた子ども達が散らかさす、ということの繰り返しだった
でもまぁ最近やっとその無間地獄から解放されたよ、子ども達が大人になったことでね

トイレ問題に振り回された15年

あとは今も引き続き振り回されているトイレ問題か(一言じゃないな笑)
オムツ交換から始まり、オムツ外れのためのトイレトレーニング
特にトイトレが大変だった。トイトレは主に俺がしたのだけど、何度パンツオンウンチに心が折れそうになったことか…(実際心が折れて何回かそのまま捨てた)

トイトレでオムツが外れたわけだが、オムツが外れてもしばらくは安心できなかったので、頻繁に「トイレ大丈夫?」と声をかけ続けた
そのためこの時期は、トイレが近くにあるところにしか行けなかった

声掛けが必要なくなったと思ったら、今度はトイレに一人で行かせる不安問題に悩まされ始めた(これは今も継続中)
我が家は父娘で出かけることが多いが、性別が違うので子どもが大きくなったらトイレに付き添えないという問題が発生した
俺がトイレに行くときは外で子どもだけになるし、子どもがトイレに行くときは子どもだけになる
つまりどうしても子どもだけになる時間が発生してしまうのだ…

それでも楽しかった15年

振り返るとどうしても大変だったことの方が思い浮かんでしまうけど、率直な感想としては「楽しかった15年」と言える
子どもが初めて何かをできた瞬間の感動、日々の疲れを吹き飛ばしてくれる満面の笑顔、何かをしてあげるとものすごく喜ぶ姿、可愛い仕草でのおねだり、などなどなど
親として色々なものを与えてきたけど、それ以上のものを返してくれた子ども達
大変だったけど、そんなのどうでも良くなるほど楽しかった
だからこそ15年も続けることができた
そしてそれは今も続いており、この先もまだまだ続いていくことだろう

二度目の楽しみが来た日

そんな中、そのときはある日突然やって来たのだ…

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04(過去のサンキュ!本誌に掲載された漫画)

自分が出かける時に子どもが付いてこない
それは子どもが大きくなると当たり前に起こることだけど、いざその時が来たらと寂しさを感じた
子どもを連れてでは行きにくい場所に何も気にせず行けるようになったり、大人だけならではの楽しみ方ができるようにはなったけど、逆に言えば子どもと一緒でなければできないことができなくなったということであり、やはりそれは寂しいものなのだ…それまでの子育てがいかに大変であっても

「大変なのは今だけ」というアホワード

ただここで勘違いをしてはいけない
かつてSNSで子育てが大変だ!と言う度に、必ず「大変なのは今だけよ」という反応が返ってきた
もちろんSNSだけでなく、現実でも言われたことがある
子育ての繁忙期がひと段落した今、「子育てが大変なのは一時」という意見には確かに賛成だ
でもそれは繁忙期が過ぎた親に対してだけ言える言葉であり、「今大変な親」には言ってはいけない
大変なときに欲しいのはアドバイスや共感・労いの言葉であり、今だけだからというような「我慢を強要する言葉」は全くいらない。むしろ邪魔だ
これは絶対に忘れないようにしなければならない
苦労している親に追い打ちをかけるだけだから

★★★★★★★★★★

というようなことを、15年の子育てを振り返って思った
そして同時に「親にならない」という選択についても考えてみた

もし親にならなかったら自分の時間はどれくらいある?

子育て中は親の自由時間が本当にない
常に子どもを優先するため、自分のことは後回しにするしかない
だから親が自分のために使う時間はほとんど残らない
また今は共働きでないと生活できない家庭が多いから、保育園に入れたらその時間は自由時間ではなく仕事をしなければならない
よって親の時間-(子育ての時間+家事をする時間+仕事をする時間)=ほぼ0となる

ただこれがもし親でなかったら、一番時間をとられる子育ての時間が丸々なくなるので、自分の時間は平日で2-3時間ほど(残業時間に因る)残るだろうし、休日に関しては丸々自分の時間(または夫婦の時間)にできる
家事をする時間はあるけど、家事は家事だけに集中できれば短時間で終わらせられる
…改めて考えるとものすごく羨ましい笑
まぁそれほど子育て中の親に時間がないということだ

もし親にならなかったら自分のために使えるお金はどれくらいある?

次に子育てはお金がものすごくかかる
まずは食費。大人ほどはかからないけど、逆にお菓子代やジュース代が必要でそれなりにかかる
また味にうるさい子だと大人とは別の料理を作る必要があったりして、大人並みに食費がかかることもある

次に衣服代。すぐ大きくなって着れなくなるので、頻繁に新しい服を買う必要があるので服代はかさみやすい
一着一着は親より安いけど、買う頻度が高い+すぐ汚すため着替えに必要な量が大人の比ではないので、総額では親とそこまで大差がない
むしろオシャレに気を遣えば、親より高くなることすらある

次に塾代。都内は教育に関する関心がみんな高いので、それなりの塾に通わざるを得ない部分があり、子育てで一番お金がかかる
我が家の例でいえば、2人とも英会話(月3万×2)に行っているし、長女は進学塾(月4万、夏期講習などがある月は10万に増える)

そして最後に家賃。夫婦だと1LDKで良くても子どもがいるとそういうわけにもいかないので、広いところに住まざるを得ず、当然家賃は上がる
我が家の例でいえば3LDKで24万だけど、周辺で同じような築年数+立地条件で調べたら2LDKで18万、1LDKで12万で、子どもがいないと家賃は約半額に抑えられることになる
また子どもがいないと子育て費用を生活に回せるから、逆にもっと良い場所に住むことも可能だろう

子育て費用・時間を丸々自分の生活向上に使える

親になるかならないかは、そのまま自分の力を子どもに使うか、自分に使うかの違いだと思う
子育てが終わったから自分の趣味に生きるというような話をよく聞くけど、親にならなかったら子育てに費やしていた時間も自分の趣味に費やすことができていたわけで、おまけに若くて体力があるから子育てが終った後の人よりやれることも多いだろう

ただ子どもがいなければ楽しめないことは、親にならないと楽しめないわけなので、どっちが良いかというのはないとは思う

今の時代、結婚しない・親にならない選択も立派な選択肢

給料は上がらず、にもかかわらず物価は上がり続ける現代、子育てに回せるお金は年々少なくなり続けていると言わざるを得ない
というより自分に使えるお金も年々少なくなる始末
そんな状態で子どもと自分(親)の両方を幸せにできるのか?
お金がなくても手に入る幸せは確かにあるけれど、お金があった方が手に入る幸せの方が多いのは事実だ
だったらいっそ子どもを産まないで、少ないお金を自分や夫婦のためだけに使うというのも普通にアリだと思う
どこに自分の力や時間を使うかは個人の自由であり、「結婚もできないような奴は~」という価値観は、もはや笑えるほど古い価値観だから



ということで今回のまとめ
今の時代、子どもを産むか産まないかは個人自由であり、また個人が決めることであり、他人がとやかく言うことじゃない
それはたとえ親でも口を出す権利はない

では今回はこの辺で

それではー!

サンキュ!2023.12月号(現在の最新号)



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