掌編 狭量

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昼休憩の鐘が鳴ると一目散に駆けていくのは社食のみそ汁を大盛りでよそうためである。
 その俊足を見て工場の面々はやれやれといったように苦笑を浮かべ、つられるようにして食堂へ向かうのだが、相田だけは鋭い目つきで戸塚の後姿を睨むのだった。

 相田はこの工場に就いてまだ歴は浅かったが頭がキレて仕事が早い。おまけに真面目な質で作業員からの信頼も厚い事から、すぐさま班を任され要らぬ気苦労を背負っているのであった。
 対して戸塚は少し巡りの悪い人間であり、自己の欲望に素直な面があった。職務中にふらっといなくなり居眠りをする事しばしば。時には放屁を響かせて近くにいる柏木さんの眉をしかめさせ、時には平気で鼻穴に指を突っ込み、歩いていた西本さんに嫌悪感を抱かせるなどの行いが見られた。

「仕事が遅いだけならいいがあれはいかん。許せん」

 相田は度々と開かれる酒の席で決まって戸塚の文句を吐く。それは彼の性格が戸塚の勝手を許せないのもあるが、自らの班に存在する異分子に対しての逡巡が愚痴へと変態しているという側面が強い。相田の責任感が彼自身に戸塚をどうにかせねばならぬと語りかけるのである。他者をどうにかするなどとおこがましいとは本人も分かっているが、生来の独善的ともいえる平等主義が戸塚を区別。あるいは差別する思想を良しとはせず、皆と同じように働かせなくてはとの使命感に圧されてしまっているのだった。

 そんなものだから、ある日から相田は殊更戸塚に厳しく接し、また刑務官のように見張るようになった。
 朝の挨拶から帰るまで逐一と口を出しては眉を吊り上げ、一挙手一投足を注意し、戸塚が少しでも持ち場を離れるようものなら一々と場所と所要時間を書かせる徹底ぶりであった。
 これに対して周りはいささか同情的な目を向けていたが口を挟む者はいなかった。皆、内心では戸塚をよく思っていなかったし、小さな工場で弱者が虐げられる様子が小市民のガス抜きに繋がっていたのだ。皆は犬猫のように扱われる戸塚に対て他者と哀れみを共有し、小さな悦に浸っては茶か、あるいは酒の種としていたのである。それ故に間を咎める人間はいなかったし、戸塚を救おうとする人間もいなかった。皆にとっては対岸の火事であり、見世物以外の価値はなかった。

 戸塚は相田の指示に黙って従い毎日言われた通りに働いた。 文句の一つも覚悟していた相田にとっては拍子抜けではあったが、ともかくとしてサボタージュも下品な行動もなくなり、戸塚は仕事が遅いだけの、いわゆる普通の人間に見えるようになっていった。

 そんな戸塚がある日残業をする事になった。出荷が予想以上に多く、彼の労力では定時に間に合わなかった為である。
 相田は残った分を「代わる」といったが聞く耳を持たなかった。頑なに「自分がやる」と言ってはばからない戸塚に根負けした相田は「分かった」と納得せざるを得なかった。

 とはいえ責任者である相田が一人帰るわけにはいかず、在庫確認や機材整備清掃などの雑務を行いながら監督する事となった。工場に残っている人間はまばら。班では相田と戸塚の二人きり。どこか気まずく、心地悪い。

「相田さん」

 そんな中で、戸塚が珍しく相田に声をかけた。

「なんですか」

 それに対して相田はやや困惑を示したが、無視するわけにもいかず、戸塚を見据えて応える。
 

「ごめんなさい。残ってくれて、ありがとう」

 戸塚の口から出た言葉であった。戸塚は、自分のせいで残らせてしまった相田に謝意を示したのである。

「……」

 相田は声を出せなかった。今まで厳しく、邪険にしていた相手に謝られ、感謝されたのだ。恨まれこそすれ、そんな言葉をかけられるとは相田自身、思ってもいなかったに違いない。

 「……」

 機械の稼働する音が寂しく響く中で相田はやはり何も言えなかった。何も言えず、ただ、茫然自失のままに雑務を続ける他なかった。

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