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忙しい≠仕事している

1日8時間、息つく間もなく仕事をする。

終わった頃には達成感に満たされ、自分がいつもより頑張ったと認めてあげたい。

しかしその時ふと考えてみると、本当に自分は仕事をしたのだろうか?
感覚の裏側で、きちんと自力で稼げただろうか。

手を動かしていると、あたかも自分がたくさんのことをしたかのように思える。
しかしあらためて振り返ると、手を動かしている時間よりも考えている時間の方が仕事になっていることが多い。
違和感はあるが。

一日中自力で手を動かしても進める距離は案外小さい。
例えばテレアポを100件こなすのと、10件こなして成約率を1%あげるノウハウを見つけるのでは、どちらの方が価値が高いか。

後者のノウハウは組織全体に波及し、組織全体を進める。
だからこそ仕事とは、体験を誰でも使えるノウハウにするために、試行錯誤を重ね、より良い方法を考えた時間なのだ。


働く定義を見直しみては

ただ目の前の仕事をこなすだけでは1人あたりの成果物の限界点に近づくだけで、それは個人の時間をお金に換金しているのと変わらない。

また経験上、先端的企業と旧態依然とした企業の文化の違いはまさにここで、旧態依然とした企業はデータや科学を用いて判断する事ができなかった時代の考えが強く残っている。
個人の頑張りを投入している時間で評価しがちで、「手を動かしている人は働いている、頭を使っている人(机に座って何もしてない様に見える人)は働いてない」と考えやすい。

時間主義から成果主義に移行する上で捨てなければならないのはこの考えで、時間主義は工場におけるスループットが投入時間に対して線形だったから機能した。

しかし成果主義では仕事を遂行する上でどこが一番収益になるのか、どう収益を増やすのかを自分で管理する。
手を動かす時間よりも頭を使っている時間から価値が生まれやすい。

一日中やるべきことに追われて考える余裕がないなら、それは会社にとっても個人にとっても機会損失だ。
またそのような工数だけ増やすマネジメントスタイルの会社では、人が育っていなかった。
自主的に追い込むのと会社に追い込まれるのは全く異なり、生産性も成長曲線もかなり違う。

目の前の仕事をてきぱき片付けるより、それらの完成を1日くらい伸ばしてでも、より良い方法や組織について考える時間をとった方が、よほど仕事をしているのではないか。

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