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第10走者 川谷大治「やりたいことが分からない」

「やりたいことが分からない」

 柴田先生が中動態の話をされましたので、私は能動と受動の話へと繋ぎたいと思います。ある患者さんが診察時に現在の心的状況を次のように描写しました。
やりたいことが分からない。そもそもできることが少ないので、どうしようと考えてしまいます。
私もそうです。私は令和5年10月から診療時間を少なくして水曜日は日曜日以外にも全日休むことにしました。最初の日は遅く起きて新聞を読んでゆっくりしていました。
でもその後何もすることがなかったのでウトウトと寝てしまった。1時間以上の昼寝は身体のリズムを壊します。活動中は交感神経が働き酸素を筋肉や脳に運び、睡眠中は副交感神経にスイッチが換わり酸素は消化器へと運ばれ消化・吸収を助けます。日中の長い睡眠は覚醒後も副交感神経にスイッチが入ったままになり、酸素は脳や筋肉には運ばれずに頭はぼんやりとして体はだるく力が入りません。
 これじゃダメだと思って次の週の水曜日は散歩をしてみたのですが、まったく面白くありません。30分ほどで帰ってきて本を読むことにしました。しかしこれも気が進みません。「やりたいことが分からない(することがない)」ので、だらだらと1日を終えてしまったのです。私には趣味が少なくゴルフも魚釣りもマージャンもやりません。温泉に入るのは好きですが、そう毎週毎週出かけるものではありません。カラオケもやりません。楽しみはネットフリックスくらいです。でも一日ずっとテレビを見るのは目が疲れるし空しいだけです。
水曜日が急に休みになったので、どう過ごしていいのやら困ってしまいました。今までは仕事があったので退屈しないで済んだだけだったのです。すると、仕事って何だろうと疑問が湧きます。あの世にいくまでの退屈しのぎの活動に過ぎないのではないか。体力が尽きて仕事をやめてしまったら私は何をやって退屈をしのいだらいいのだろうか。引退前に気づいてよかったと思って考えてみました。
人生とは退屈しのぎ?
日本人の平均寿命は80歳を優に越えます。確か、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは約70年前の昭和25年(1950年)だったでしょうか。70歳過ぎて一線を引退して、何もすることもなく、よろよろと生きていくのは辛いものだと想像します。散歩なんて仕事の合間にするからリフレッシュするわけであって、暇を持て余した、年寄りがするものではありません。やってもすぐに飽きてきます。近所に引退された大学教授が住んでいました。彼は、私の出勤時間には必ず毎日顔をしかめて歩いていました。楽しくなかったのでしょうね。彼も私と同じようにやることがなかったのでしょうね。
理想の老後は祖母の生き方です。私の祖母は祖父が亡くなった後、20年近く、畑を耕して旬のものをいただいて元気に暮らしていました。寝るのは早かった。9時には寝て5時には起きていました。時々、母の使いでヤクルトを持って行くと必ず茄子、玉ねぎ、オクラ、トマトなど、その時収穫した野菜を持たされました。南瓜は見事な出来栄えでしたね。なかでも美味しかったのはトウモロコシです。しかし私には野菜を植える土地がありません。だから祖母のようには生きていけないのです。小学生の頃鶏を飼っていたので、烏骨鶏を飼ってみようかとは思うけれど、近所の迷惑を考えると二の足が踏めません。老人会に入ってゲートボールするにはまだ10年早い。若い人にスピノザの精神分析を教えようにも若い人たちは興味を持ってくれない。孫が遊んでくれるのもあと数年でしょう。それも孫と遊べるのは週1日。これでは私の退屈は紛れません。囲碁・将棋の趣味も持ち合わせていない。さー、どうするか?
先に紹介した患者さんと同じ心的状況に置かれているのです。同志よ!と声をかけたくなりました。その思いは言葉にしましたけど。仕事がないと私は存在していないのと同じです。退屈で身体活動能力も低下しだらだら寝てしまうのですから。でも、私には強い味方がいます。そう、スピノザの「コナトゥス」です。
コナトゥスとは「おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める」(『エチカ』第三部定理六)。スピノザは自己保存力とも言っています。言い換えると、私たち人間の存在力、あるいは、生命力のようなものです。退屈に苦しむ私の中にもこの生きる力が存在するとスピノザは言っているのです。心強い言葉ですね。しかも、このコナトゥスは外部の原因によって強制されない限り「自己の利益の追求を、すなわち自己の有の維持を放棄しはしない」(『エチカ』第四部定理二〇備考)のです。それゆえ個体のあらゆる振る舞いはコナトゥスの発現でもあるとスピノザは言っています。スピノザはコナトゥスを以下のように使い分けます。精神に現れるときは意志、精神と身体の両方に現れるときには衝動、衝動が意識されると欲望、身体的な衝動に言及する時はコナトゥスと呼ぶ。生物学のホメオスタシスに近い概念ですね。
私の退屈の問題は徐々に明らかになってきました。私の退屈は、外部の原因によってコナトゥスの力をそがれている、というわけなのだ。何かをやることがない、ということはコナトゥスが弱まっているのです。そうか、「退屈だなー、何もすることがないなー」とつぶやくのは結果であって、そう駆り立てる原因が潜んでいるということを意味しているのです。その原因を見つければ、私は退屈に苦しまなくていいのだ。
私の専門は精神分析です。精神分析を興したフロイトもスピノザと同じユダヤ人で、スピノザの問題解明の手順は、実は、フロイトの精神分析と同じなのです。スピノザとフロイトに倣って私は症状発生を以下のように考えています。
症状=パーソナリティ構造(地盤)+現実の諸問題(雨)
地盤がしっかりしていたら、少々の雨くらいでは地滑りは起きませんが、地盤が緩んでいると、少量の雨で地滑りがおきます。線状降水帯が発生して大雨が降ると地盤がしっかりしても地滑りが起きる可能性はあります。臨床的にはPTSDを想像すると分かりやすいですね。
さて、私のパーソナリティ構造を分析してみましょう。友達も趣味も少ない仕事人間の一言で言い表せます。さらに年取ったせいでコナトゥス(生命力)も弱体化しています。現実の問題とは引退の前段階にあることです。友達がいるなら彼を訪ねていって遊ぶこともできるでしょう。残念なことに私には家族以外に会って遊ぶ人がいません。
答えが見つかりましたね。退屈を消滅させるのは遊ぶことplayingにあるのです。考えてみてください。子どもにとって遊ぶことが仕事だったのです。私もかつてはそうでした。
小学校では野を駆け回り、中学校では卓球に明け暮れ、高校では内面の充実化で憂い、大学では精神分析と映画と茶道をやりました。この頃はまだ何人か会う友だちはいましたね。相手は迷惑に思って逃げ回っていたのかもしれませんが。社会人になってからは仕事が友だちに代わって私のplayingになったのです。私にとって仕事が遊ぶことだったのです。私から仕事を奪うということは私のコナトゥスは弱らせてしまうことになるのです。
決まり手は遊ぶこと
私のコナトゥスを弱らせているのは加齢と仕事という遊ぶことを奪われたことだったのです。加齢の問題は仕方ありません。決まり手は「遊ぶこと」です。数独に夢中になった時期もありましたが、パズルに時間を奪われるのは勿体ない年になってしまいました。私の父は囲碁を趣味にしていました。父には碁敵がいて毎日飽きもせずに碁を打ってました。でも、友が肺がんで亡くなってからは何もせずに一日を過ごすことになったのです。会うと、座椅子にもたれている父は「退屈だ。殺せ」と口走りました。退屈は死に値すると、今なら、分かります。当時は父の苦しみが理解できずに「何言っているんだ」と笑っていました。そうやって父は座椅子に座って寝ているうちに筋力は低下し最後は肺炎で亡くなりました。加齢と退屈にやられたのです。
今年の年始に院長の杉本先生と一献傾けました。その時にこのリレーエッセイの話が出たのです。それとも忘年会の日だったかな。記憶はだいぶん曖昧になってきましたが、ある日、リレーエッセイをやろう、となったのです。リレーエッセイだけではなく、私は木曜日に長時間セッションの精神分析も始めました。こうやって文章を書き記すのも私にとって「遊ぶこと」の一つなのです。
それではなぜ遊ぶことは楽しいのでしょうか。言い方を変えると、なぜ私たちは遊ぶと元気になるのでしょうか。子どもの頃からそうだったから、では答えになりません。証明しましょう。第一走者のリレーエッセイの繰り返しになりますが、スピノザの「二球の衝突の法則」を思い出してください。「人間身体は外部の物体の衝突によって刺激され、その身体の変状には外部の物体の本性とともに身体の本性が含まれる」(第二部定理一六)、そしてまた、「私たちは身体の変状の観念によって外部の物体を現実に存在するものとして認識している」(第二部定理二六)のでしたね。私たちは外部の物体と接触すると、何にもない所にあたかもあるかのようにイマギナチオしてしまうのです。仏教の空(シューニャ)と同じです。そしてそれは虚偽の唯一の源泉であって、内的世界は偽なのにイマギナチオした本人にとっては真という摩訶不思議な第三の世界(中間領域)を形成するのです。この中間領域に嘘、妄想、ごっこ遊び、宗教、文化が生まれると主張したのがイギリスの精神分析家ウィニコットです。
ままごと遊びでは泥の団子を恭しく受け取って「美味しい」とつぶやきます。現実には「泥」なのに心の中では「団子」。二つの世界が重なった領域が中間領域なのです。
ここに遊びが生まれ、遊ぶことで感情が生成されます。「はないちもんめ」という遊びでは、歌を歌いながら、じゃんけんで勝って狙っていた相手をゲットするのは嬉しいけど負けて仲間を失うのは悲しくなります。ハラハラして身体活動能力は上がったり下がったり。勝つと嬉しい。負けると遊びだからと言い訳もできます。遊びは喜びの要素が多いようにできているのです。悲しみが多いと私たちは二度とその遊びはしません。
でもメタ認知能力が開花した10歳以降では、子どものようには遊べなくなってしまいます。「団子」が「泥」になってしまうからです。少年・少女、そして大人になると、もはやままごと遊びでは喜びは生まれません。10歳以降はルールの中で欲望が満たされないと楽しくなれないのです。ここにスピノザの3つの基本的感情の一つである欲望が顔を出すのです。そしてこの欲望が満たされないと大きな喜びは得られません。欲望を満たすために、たとえば単純に数独を解くよりも難易度やある時間内に解くというパラメーターが必要になるわけです。
能動と受動
退屈を紛らわすのは遊ぶことによって得られる喜びにあるという答が見つかりました。しかも遊びは能動的にやる方が喜びも多い。友達に誘われて、やっているうちに楽しくなることはあるだろうが、嫌々やっては全然楽しくないだろう。宿題も受動なので楽しくないのが一般的です。でも、今度のテストで満点をとろうと意志(欲望)すると、少しは宿題も楽しくなるでしょうね。仕事もそうです。とすると、私の退屈を楽しみに変えるのは自らを原因に何かを意志(欲望)することです。能動的に私がやることです。ゲートボ
ールに誘われても嫌々やるので楽しくない。健康にいいよと散歩をすすめられても、散歩は仕事の代わりにはなりません。もとより趣味が少ない私ですので、仕事に関連することだと能動的になれるかもしれない。
スピノザは能動と受動を度合いで考えます。私は患者さんには以下のように説明しています。
あなたに「窓を開けてください」と頼むときと、銃を突き付けて「窓を開けろ」と命令するときとではあなたの自由度は違いますね。前者は断ることもできるのでより自由度は高く能動的です。それに対して、後者は断ることは危険で自由度は低く強制されて窓を開けることになるので受動的です。前者はあなたの力を表現するので能動、一方、後者は銃の力を表現するので受動と言います。
やっと水曜日の退屈しのぎの答えが見つかりました。否、退屈しのぎでは喜びが少ないですね。この原稿も水曜日に書いているのです。多分に、乗っているので、血圧も高くなっているでしょう。「精神は自己自身および自己の活動能力を観想する時に喜びを感ずる」(第三部定理五三)、「この喜びは人間がより多く他人から賞賛されることを表象するに従ってますます強められる」(同上系)のです。やはり人間は一人では生きていけない動物なのです。人から褒めてもらえないと動かないし、兼好法師のように「つれづれなるままに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と書き記しても、読んでくれる人がいなければ喜びは少ない。読んでくれる者がいなくても、書き記す喜びもないわけではないが、ここは誰かに読んでもらって賞賛を得たいという私の名誉欲が働くのです。
この年になっても煩悩がつきまとってうるさい。しかしいずれ、年取って、少しずつ社会から離れ、ごく少人数の人たちだけとの交流になるわけです。先は細くなっていくのです。身体能力もコナトゥスも低下して、喜びの少ない人生が待っているのです。釈迦は空を説いて煩悩を断てという。昔から親しんでいる「般若心経」を読むと、そう書いている。人生50年の時代なら煩悩を断つのは賢い選択かもしれないけれど、釈迦は人生84年という高齢者を想定した教えを説いていないのではないだろうか。これから先も名誉欲を求めようとする煩悩を捨てたら、私は早々と枯れてしまうのではないだろうか。スピノザは世俗的善として「富、名誉、快楽」の三つを挙げています。私にとって富はそんなに強いものではありません。快楽はほどほどですし年と共に自我のコントロール下にあります。問題は名誉を求める名誉欲なのです。年をとっても一向に衰えません。
それどころか大きくなっているのかもしれないのです。
昔、読んだ水上勉『「般若心経」を読む』を再び読み直しました。それには空の反対のことが書かれています。「美しい容貌もひとときのことだというなら、そのひとときに永遠なる思いを込めて、その美しさが実体なのだ、空などであるものかと、狂うようにめでている時が、生きの身のありがたさと感じる、といったら、菩薩はもちろんお叱りになろう。しかし、この愚かこそ、私たちなのだ」と。年相応に生きて、右に傾き、左に寄って、いずれの端にも居座らずに、私の学んだ精神分析とスピノザを拠り所にして知的好奇心を満たしながら生きるのも楽しいかもしれない。一休さんもそんな歌を歌っています。「有漏路より無漏路に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と、煩悩に溢れる現世から煩悩のない来世まので2つの世界のあいだで一休み、と歌ったそうです(一休は禅坊主なのに76歳の時に旅芸人の20代女性と同棲していたとか!)。

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