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洗脳は自分で解くしかない!1

最近話題の(笑)洗脳についてです。洗脳は色々なタイプがあり、何も宗教に限ったことではありません。

洗脳とは

​特異な環境下で一貫した徹底的な教育を行い,従来もっていた思想,信念などを洗い流して新しい思想,信念を植えつけること。〈思想改造〉を意味する中国語に由来。程度の差,手法の巧拙はあれ,あらゆる教育が洗脳である。            出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア

とあります。

私もあらゆる教育が洗脳とは知りませんでした。最近は薄々そうじゃないかと思ってましたが、こうもしっかりと書かれてしまうと「はあ~(  Д )このこと知ってる人全然いないんじゃないか?」と驚きです。

例えば、

「公共の場ではマスクをしなければならない」

「働かざる者食うべからず」

「努力しなければ望んだ結果は得られない」

これは全て洗脳です。

例えばマスクは感染防止の効果が十分ではなく、今の季節は熱中症の危険を伴うのに公共の場では誰もがしています。していないと非常識な人、ルールを守れない人等のマイナスのレッテルを張られ、幼い子供たちは「マスクをしていない人=悪い人」と思ってしまうこともあるようです。自分の判断で外したりつけたりすることに寛容な雰囲気に世の中がなれば良いのですが、まだまだ難しいですね。

このように、洗脳が完了した人は一定のことに関して思考停止です。まったく考えません。考えるということが考えに及びません。だって、それが当たり前。他の考え方があるなんてまさか!?って感じですね。


ガチガチの洗脳状態から疑問が生じる

私も以前はまさにそんな状態だったので、あまり人のことは言えませんし、洗脳されたままの方が幸せな場合もあるんですよね。エホバの証人で、親がめちゃくちゃ熱心な信者で、宗教2世どころか3世、親戚にも熱心で強力な兄弟姉妹がいる場合がそうかもしれません。(ご存知かと思いますが、エホバの証人は男性信者を兄弟、女性信者を姉妹と呼びます。)あとは外の世界で生きる能力が著しく低い方もそうです。

信者は組織の中で大半を過ごすので、一般常識がかなり欠けていることが多いです。大卒もほとんどいないですし、仕事は男性でもパートタイムですし、信者の会社で働いていることもしばしばです。(ここで働くのはほぼ全員が信者です。)そんな人がいきなり世に出て働こうとしても相当大変です。実際、この人組織を抜けたらやっていけないだろうなと思う人は男女にかかわらずかなりいました。(私の主観ですが)

ですが、女性なら組織を抜けて結婚してしまえばなんとかなるのでは?と思ってました。もちろんここにいるのがもったいないと感じる男性もいました。私には信者の友人が大勢いましたし、みんな若くて可愛くて能力の高い女性たちだったので、ここでポンコツな兄弟たちと結婚するのはもったいない!と信者の時から常々思ってました。組織にはろくな兄弟がおらず、若い姉妹たちはその会衆で一番ましな?兄弟と結婚している感じでした。

私が尊敬していた姉妹は思わず、「え?」と言ってしまうような兄弟と結婚してしまいました。彼女が好きなチョコレートを「太るから食べるな」と言うくせに自分はポテトチップスを平気で食べるような男です。
「正直この人でいいの!?」と思いましたが、彼女の様子からは相手に惚れてるのが見て取れました。この出来事から「結婚出来れば誰でもいいんかな?結局信仰に篤い人でも男が絡むとこんなもん?」と軽くショックでした。しかも、結婚したら所属していた会衆(おおよそ自治体ごとにある50~100人くらいの信者のグループ)から別の所に移ってしまいました。

相手の男性は私の会衆に必要が大きいという理由で関西から来た人でした。必要とは、布教活動や信者の教え手が少ない等の理由で他の会衆から活発な兄弟姉妹が移住してくることです。ただでさえほとんどの会衆は高齢化が進んでいて、若い信者は貴重なのにもかかわらず、多くの人が必要でやってきてはそこの信者と結婚し、別の会衆へと移ることがよく起きていました。

毒舌なおば様信者たちは、これを「自分の必要で嫁探しに来ている」と批判していて、うまいこと言うなと思いました。神に仕えるなんて言っても所詮はこのレベルです。細かなことかもしれませんが、こういった残念な出来事を見聞きするたびに私の強固な洗脳は徐々に解け始めていたのだと思います。

外からの声

大学1年の時にとても話が合い、仲良くしてくれた友人がいました。彼女とは哲学の話をよくしていて彼女はよく、「ニーチェはこう言いたかったんだと思うよ」なんて話してくるユニークな子でした。当時私はまだ熱心な信者でしたが、もともと哲学が好きだったので周りに内緒で読んでいました。母はわりと寛容なので、注意されたこともありませんでした。めんどくさい姉妹にバレたら大変ですが(;・∀・)

当時は良かれと思って、彼女に自分がエホバの証人だと告げて勧誘活動をしました。その時はまだ、信者にならないと友人がハルマゲドンで滅ぼされてしまうと本気で思っていたのです。

彼女は真剣に聞いてくれたので、学んでくれるのかなと期待しました。でも、私が思ってもみなかった結末を迎えたのです。

「エホバの証人はカルト宗教だよ。危ないから、早くやめた方がいい。どうしてもやめられないなら活動を制限して、本当に正しいことをしている宗教か見極めてほしい」

親友だと思っていた人にこんなことを言われてしまい、私の頭は真っ白になりました。必死で彼女に自分の宗教の正しさをわからせようと話しましたが、彼女は断固とした態度で、聞く耳を持たず、挙句の果てには「エホバの証人と距離を取らないなら絶交する」と言われました。

「絶交って!?小学生の喧嘩じゃあるまいし、噓でしょ?」と思いましたが、彼女は本気でした。大学生活のその時点では一番の親友と思っていた彼女とその後一切連絡をとっていません。泣きながら車を運転して、大学から自宅へと帰りました。もしかしたら、こんなに胸が張り裂けそうな気持ちはこれ以前にありませんでしたし、今後もないかもしれません。

信仰の試練があるとはよく信者の間で言われますが、私にどうしてこんなに悲しいことが?としばらくは信じられませんでした。彼女に嘘をつき、エホバの証人と距離を置くと約束して、信者として活動することもできますが、私には無理でした。嘘は重大な罪で、私はそんな裏表のある生活ができる人間ではありません。彼女は「永遠の命なんて私は絶対につまらないと思う」と私に言って去って行きました。

「永遠の命がつまらない?そんなこと絶対にない!だって、みんなが穏やかで平和で同じ神を崇拝して、幸せな世界なんだから」

エホバの証人は信仰の対価として、ハルマゲドンで悪が滅ぼされた後の地上の楽園での永遠の命を約束しています。これが信者たちが熱心に活動する動機です。みながこれを信じ目指して生きています。

ですが、この時私は彼女の言葉によって、信じてきた教理に重大な不信感を感じ始めたのです。

私は洗脳されていた

その後、組織や教理に不信感を持ちながらもだらだらと活動を続けましたが、ある時気づきました。彼女が正しかったかもしれないと。

永遠の命なら死ぬことも病気なることもありません。それに関する不安はすべて排除されます。悪い人は滅ぼされたのでもういません。あなたを脅かさすことも傷つけることもありません。騒音トラブルのような些細な問題さえもう起きないでしょう。あなたは常に安全で幸福で満ち足りているはずです。

ところが、こう言った生活には落とし穴があります。毎日が単調で飽き飽きさせられることです。問題はほぼ何も起きないので、それに対処して知恵をつけたり、成長することもありません。地上に存在する人は穏やかで愛情あふれる人かもしれませんが、誰もかれもが似たり寄ったりです。いつも快適で問題がない。これは「進化の止まった平和の牢獄」に閉じ込められているのと同じです。

この世界には色々な人がいます。悪い人も良い人も。短気な人もいれば穏やかな人もいますし、嘘つきな人もいれば正直な人もいます。自分と合わない人とうまくやっていくのは大変ですが、それで自分自身が成長できます。自分が危害を加えられた!と思っていた相手でも今になってみれば、自分に対してプラスのきっかけや気づきを与えてくれていたなんてこともあるはずです。

「あいつは嘘つきなんだけど、面白い嘘が多いからなぜか憎めないんだよな」なんて欠点にしか見えないこともその人の魅力になっていたり、人間の多様性の貴重な面だったりすることがあります。みんなが同じような性格だったらロボットの世界と何が違うのでしょうか?それが血の通った人間の世界なのでしょうか?色々な人が世界にいるおかげで私たちは楽しく生きられるのだと思います。たまには攻撃されたり、理不尽な目に遭うこともあるけれど、それが面白いのです。

このように気づいた時、私は彼女の言葉に心から感謝しました。こんなことを言ったら傷つけるかもと遠慮しないで、私のために素直な考えを述べてくれたのです。その後完全に絶交するというのもなかなかできることではありません。私が組織を抜ける決心をするための大きなきっかけの一つを作ってくれたことに本当に頭が上がりません。

洗脳は自分でないと解くことができないのです。

私は当時、大切な友人にここまでさせてしまってもエホバの証人をやめるのはもちろんのこと、距離を置くことさえできませんでした。誰かに指摘されても自分で疑問に思って、考えて結論を出さないと無理なのです。

彼女はSちゃんと言います。私のせいで離れ離れになってしまったけど、どこかでこれを読んでくれて、また会うことができたらどんなに幸せかと思います。


ここまで、読んでくださったみなさんも本当にありがとうございます。大切な人が宗教にのめりこんでいてもやめさせられないと悩む方もいらっしゃると思います。ですが、それはあなたの責任ではありません。ご自分をお責めにならないでくださいね。当人が選択したことなら、それがその人にとっての幸せだと私は思います。心の温かいみなさんに良いことがたくさんありますように(≧▽≦)


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