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犬を見たい人と犬を見せたい人をマッチングするサービスがほしい

 
犬を見たい。禁断症状が出ている。1年前に死んだピース(トイプードル・14歳没)の残像がちらつくほどにはしんどくなってきている。くっ。ピースと暮らしていたのはもう6、7年も前なのに、いまだにキッチンで玉ねぎのかけらを落とすと「やばっピースが」と慌ててしまう(犬はネギに弱く食べると中毒症状を起こし、死ぬこともある)。キッチンの下で「伏せ」しながらも、チラリと白目をのぞかせ虎視眈々と頭上から降ってくる食材を狙うときの、あのがめつさといったらなかった。落ちてくるものは別になんだっていいのだ。ただ「なんでもいいからよこせ」「なんであんたらが食べてるものをあたしは食べれないの」だった。何が降ってくるにせよとりあえず人間の手が拾い上げるよりも先に取らねばならない。飲み込むかどうかの判断は口に入れてからでいい。しばらく眠そうにしていたくせに、キッチンの縁から何かが落ちたと見るやシュッと飛び込んでくるあのスピード感。茶色の毛玉の残像が今も私の視界にちらつき、脳に信号が送られる。私の腕は条件反射的に床に伸びる。大急ぎで玉ねぎを拾った瞬間に、ピースが今は別の世界で暮らしているのだと思い出す。
ま、あっちゃこっちゃにいる残像はもしかしたら本物で、あのがめつさだから、今でもこそこそと隅っこから食べ物を狙っていてもおかしくはないと思いつつも、とはいえ、ピースよ、あんた、あんまりちらちら出てきて犬欲を刺激するのはやめてくれんか。今のあんたと精神的やりとりはできても肉体的やりとりはできんのよ!

というわけで、最近は外に出るたび、「犬とすれ違えますように」と願うしか私にできることはない。取材に行く途中、買い物に行く途中、家を出る前に祈る。今日は10匹の犬とすれ違えますように! ポメラニアンと柴犬とゴールデンレトリバーとパグに会えますように! そのすれ違えた犬と目があって、通り過ぎるまでじっと見続けてくれますように!
たまにすれ違ったときなんかは、なるべく飼い主さんの気持ちを害さないよう、首を進行方向に固定し、目だけを頑張って動かして限界ギリギリまで犬を見るようにしている(犬を見すぎてたまに街路樹にぶつかりそうになる)。2022年、マスクの存在はとんでもなくありがたい。犬を見て思わず口角が上がっても誤魔化せるからだ。

散歩中の犬は、私がじっと横目で見ているとかなりの確率で見返してくれる。60%くらいの犬は「へっ」と口を開けてにっこりと笑いかけて(私にはそう見える)くれる。30%は「なんだあの変な生き物は」といったふうに真顔で見てくる。残りは目先の散歩の楽しさでまったく私に気がつかず、尻尾をぶんぶん振り回しながら地面と飼い主を交互に見ている。「楽しいねー! 散歩楽しいねー!!」「楽しいよね? 楽しんでるよねー!?」と飼い主に何度も何度も確認しながらぷりぷりご機嫌で歩いているから、私なんか完全にスルーだ。でもそれもよきかな。全部かわいい。最高だ。
運がいいとき、トイプードル2匹を連れている人なんかを見ると天にも昇りそうな気持ちになる。

ああ、あわよくば丸1日ずっと犬を見ていたい。犬が元気に走り回ったり眠ったり、知らない犬と会ってびっくりしてステップを踏みまくったり、飼い主に餌をくれと前足でねえねえしてる様子をじっと眺めるだけの時間を過ごしたい。別に触れなくても構わない。ただ合法的に、犬をじっと眺めて「かわいいね〜」と言い続けることを許してもらいたい。犬とすれ違うたび、ついそんな妄想が頭に広がっていく。
ああ、ありがとう飼い主様。ありがとう23区。ありがとう東京。ありがとう世界。と、なぜか全てに感謝したくなる。なんて尊いんだ犬は。
犬を見たい人と犬を見せたい人をマッチングするサービスとかないのかな。
と、思ったが、きっとピースが死ぬほど嫉妬し、怒り狂い、私の枕にうんちをするだろうことが容易に想像できたので(ピースは怒ると叛逆の証として対象者の枕にうんちかおしっこをする癖があった)、やめた。
 





【以下、宣伝です】

生きるのが苦しくてたまらない、どん底の時期に寄り添うような言葉を紡ぎたいと思い、書いた本です。
自分の居場所なんてどこにもないんじゃないかとか、自分には価値がないんじゃないかとか、自分だけ間違えて地球に生まれてしまったんじゃないかとか。そんな孤独感に苛まれるどん底の時期に本当に必要なのは、「今すぐに使えるスキルやライフハック」ではなく、気が済むまで自分と向き合う、忍耐と許しの時間だと思っています。
けれど、そんな時間を乗り越えるのには、相当なエネルギーを使います。心が折れてしまうこともある。私自身もどん底の時期には、ひとりぼっちで頑張り続けることに疲弊してしまうこともありました。
そんなとき、「こっちだよ」とはっきりした道を教えてくれるわけじゃなくとも、共に寄り添い、一緒に悩んでくれる存在があれば、少しは救われるんじゃないか──。そんな本があったなら、昔の私ももう少し、涙を流し、発狂し、コピー機をぶち壊す(一回暴れて本当にやりました)回数も少なくて済んだんじゃないか。
というわけで、そんな孤独感や承認欲求、コンプレックスなど、自分の生きづらさと徹底的に対峙し、その感情とどう向き合うかをまとめたのが今回の本です。人生のどん底期に入り、苦悩した8年間の葛藤の記録を、心血を注いで書き上げました。今苦しい思いをしている人に、少しでも届いたら嬉しいです! どうぞ、よろしくお願いいたします。


 

 

 

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