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よく聞く自分探しの旅とは?【旅人が詳細に辛口で解説】

はぁい、こんにちは!

小説、千夜特急の作者、川島です!

写真は自分がアンコールワットを旅した時のもの。

あの時写真を撮ってくれたマイちゃん、

いい角度で撮ってくれてありがとう笑


さぁ、一度でも旅をした人は、みんな旅人

しかしそんな旅人と一口に言っても、色々な事情や想いがある分だけ、同じ旅は二つとして存在しない。

そんな旅人や旅に興味がない人ですら、

一度は聞いたことがあるであろう言葉。

【自分探しの旅】って言葉。


もうこれは有名すぎて、

旅だけに言葉が一人歩きしてませんか?と。

今日はそんな自分探しの旅とは何ぞや?

てか、自分なんか探せるの?


そんな超抽象的な話題について、

勝手に独特なハバネロ風味でお伝えしていこうと思います。

でも、ただ誰かとか何かを批判するという記事ではないから、

そこのところは、ご安心を。

では、自分の旅の小説を6冊も書いた川島のお話、はじまり、はじまりぃ。

二つの意味を持つ「探し物」という言葉


まずそもそもの話なんだけど、探し物って言葉はどんな時に使うのか一度考えてみてほしい。

探し物を探してる時ってどんな時?


①探し物があるんですけど、

ここら辺に置いていたスカーフ知りませんか?


②探し物あるんですよね。

あの有名な本なんですけど、知りませんか?



①は元々所有していたけど、現在手元を離れてるものを探すこと


②はまだ実際に所有してないけど、存在を知っているものを探すこと


これ二つだけ見てもわかるように、

①の場合は、もともと持っていたのだから、無くした場所まで行くか、最初に手に入れた場所に戻ればいい。

スカーフをなくしたのなら公園に戻ればいいし、
公園で見つからなければ、買ったお店に行けばいい。
すでに一度手に入れているということは、それだけ具体性を持っている。

しかし②の場合は、
その探し物の存在を知っている人に聞く必要
が出てくる。

だって、有名な本知りませんか?って知らない人に聞いても

「何それ?」ってなって終わってしまうから。



しか~し、②の場合はややこしい

見たことしかない、聞いたことしかない。

それは、たしかにあるっぽいぞ。
みたいな曖昧な概念
でしかとらえられていない。

だから、自分って何だろう?という自分探しは、

あの頃の俺をもう一度取り戻す!とかなら①だけど

自分って何かわからない。
旅に出て探してみよう。だと、完全に②のパターン
なのである。


だから、

少しコミュニティになじめず落ち込んでいた人が、元気を取り戻そうか!

とか

あの頃、人の温かさに気が付けていた俺はどこに行ったんだ。
もう一度、人というものと向き合ってみよう。

とかいう人達の方が旅が有意義になることが多い。

だって、その場合、何をすればいいか、過去の経験から推測できるんだから。そして旅のテーマを持って、その行動をすれば、そこから新しい学びが必ずある。

だからこれはもう自分探しの旅というよりも、

厳密に言うと、自分取り戻しの旅とか、自分振り返りの旅に近いんだよね。



②の人の自分探しが難しい理由


おいおい、なら②の人はどうすればいいんだよ!

そんな声がどこかからともなく聞こえる気がします。

そして少し考えた人なら、きっとこうも思うでしょう。

①も②も同時に持ってる人だっているんじゃね?と。

旅の理由は様々であるように、もちろんのこと

1つだけしかダメ。なんてルールは存在しない。

だから、

①もう一度、学生時代のように、損得勘定を無くして人に優しくなれるきっかけを作りたい。

という過去の経験への回帰を求めるパターン

②人間とは何か?愛とは何か?死とは何か?自分とは何か?
そんな答えのなさそうな答えを、世界を旅して見つけてみたい。

というまだ見ぬものを探し求めるパターン

もちろん同時に存在できるのである。


そこで、②のパターンの話に戻るのだが、

②のパターンだと、結局、それを手に入れる方法は

知っている人に聞くしかない


ただ、ここでもう一つ問題が出てくる。


自分のことを知っている人とは?

そんな人なんてこの世にいるのか?


自分のことを深く理解してくれる人はいるだろう。

自分のことを覚えておいてくれて、共感してくれる人もいるだろう。

でも、旅で言う自分探しってさ、

きっとそういう人たちに自分のことを尋ねて、
「自分って何だと思いますか?」とか聞くことではないよね。


だから僕は何ですか?と他者に尋ねるのではなく

己を知った人に、己を知る方法は何ですか?と尋ねる。



僕はこれ以外に自らを自分で知る方法がないと思う。

しかし②の旅人の傾向として多いのが、

旅にテーマや目的がなく、

漠然とただ色んなものを見たいと思っている人が多い。


だって、自分が見たことのない場所を旅して

見たこともない景色を見て

聞いたこともない話を聞いて、

会ったことのない人にあう。

もしそれだけで自分が探せると思ってるのなら、

それはかなり厳しいと言わざるを得ない。

だってそれはただ、

自分とそれ以外を比較するための材料が増えてるだけだから。


でもそれは、別に悪いことなんかじゃ全然なくて、

貧しい国に行けば、日本が豊かだということが知れる。

可能性がない国と思っていた自分の国に、まだ可能性があることを知れる。

ゴミが落ちていないことが、

治安がいいことが、

確かな実感としてわきおこるから。


でもそれは結局、②の自分探しという意味で言うと、

知らなかった世界から比較した自分の世界的な立ち位置がわかるに過ぎない。

自分って恵まれてるんだな。
自分って可能性あるんだな。

それは大きな実感だし、それでいっちょ頑張るか!ってなる人を否定する気なんてさらさらない。

ただ何度も言うけど、

自分探しの旅という意味から見たときに、
自分を知ることができないってこと。

だってそれは自分ではなく

どこまで行っても、多くの他を見ただけなのだから。

僕が自分探しの時に取った手段


ならお前は自分探しのために何をしたんだよって言われると、

そんな悩み多き過去の先人たちに敬意を示して、

僕が自分探しの方法として取った方法は瞑想だった。


 ここはゴエンカ氏が広めた瞑想センターの一つであり、修練期間は皆が「シーラ」と呼ばれる道徳規律を守ることに同意していた。
それらは瞑想に集中するための土台作りとして定められており、次の五つの規則になる。

一、生き物を殺さない 二、盗まない 三、一切の性行為を行わない 
四、嘘をつかない   五、酒や麻薬を摂取しない

 またこれらに加えて、会話をしない、目を合わせない、体に触れない、文字を書かない、本を読まない、スマホは回収されて十日間は使えないというものもある。それらは他との関係ではなく、己の存在というものに対して、全集中で取り組むことを目的としている瞑想センターならではの工夫であった。そして瞑想時間は一日に十時間程となっている。

千夜特急2巻 インド編Ⅰより」

ここでその時のことを少しだけ伝えるなら、

瞑想とは何かを念じるわけでもなく、

何かを作り上げるわけでもない。

思考や分析、知識を介さないプロセスで、

そこにはただ目を瞑っている外観からは、

己に向き合い続けるという想像もできない苦痛がある。

そんな何の言うことも誰の言うことも聞いてくれない己という存在。

それはむちゃくちゃ大変だけど、不思議と振り返ればとてつもなく長く、面白い時間でもあった。


まぁ、そんな風に②の自分探しをしたいという人は

命を大切にしたい人や、
よい人生を送りたい。
よき人間になりたい。

そういうものへの関心がとても大きいんだと思う。

そして、多くの先人たちが、

このまま人生の時間オーバーになる前に

自分が想像すらできなかったものをこの目で見たいと思い、

一人で世界へ飛び出したのだろう。

そして、この記事を最後まで読んでくれたあなたも、
きっとそういう人なんじゃないかなって思うわけですね。

そんな風に昔の旅人にあこがれて、

僕も令和元年に旅に出たんですよね。

そして、その旅を「千夜特急」という小説にしたわけです。

千夜特急①【シンガポール、マレーシア、タイ編】


宗教二世として生まれた著者が、自分の人生と向き合うために旅に出た話。


千夜特急

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ここまで読んで、文章が読みやすかった、考え方が面白かった、私の暇つぶしを手伝ってくれそうと思った方は、もしよければ、暇つぶしにでも読んでみてください^^

次は何を書こうかな~。気が付くままに、思いのままに。

ではでは!!しーゆーねくすとたいむ!










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