痛noteはじめました
【前口上】
痛バ、それは推しの缶バッジやキーホルダーを大量にバッグにつけること。
私がこの言葉を知ったのはつい最近のことである。ちなみに、痛車は知っていた。
なぜ人は推しを推すことを自分だけのものにできないのだろう。
推しという概念が脳内に存在しない人はきっとそう思うにちがいない。勝手に家でこっそりやってろこのタコ助! 世間に向けてアピールすんな! そんな声が聞こえてきそうだ。
よろしい。いかにも至極まっとうな意見だ──と、いやあ、そいつは言えねえなあ。
なぜなら、推しは自分一人だけこっそり知っていたとしてもほとんど意味がないのだ。私がビル・ゲイツならそれでもよかろう。ただ現実は私をビル・ゲイツにはしてくれない。だったら、人海戦術に頼るしかないのだ。当然のことながら、推しに活動を続けてもらうためには、作品や当人の認知度が、そしてその先の利潤が要となってくる。
そんなわけで、推しの素晴らしさを公言し、ひとりでも多く推し仲間を増やす必要がある。
さ、話が長くなった。
痛noteはじめますので、よろしくお願いします。
さて、ここで私の推しの素晴らしさをただひたすら語っても良いのだが、それだけじゃ気持ち悪さに少々かける。私がキモければキモいほど、推しは崇高さを増し、輝くのだ!
あれ? 違うかな?
間違えてもいい、みんなちがってみんないい(金子みすゞ)のだ。
さて。キモいことといって自分の中でひらめいたのが推しとの往復書簡というものだ。人海戦術といっておいてなんだが、いきなり個人プレイだ。すまん。なんせ最近、往復書簡を一冊の本にした『つくる人』(灯光舎)の刊行記念イベントに参加したため往復書簡をやりたくてしかたないのである。
やりたい、やりたい、私も往復書簡がやりたい!
だが、私の推しは芸能人。andropというロックバンドのヴォーカルで作曲家でエッセイストの内澤崇仁さんだ。内澤さんからそもそも手紙が来ることはない。そして、こちらが送っても返事が来ることもない。
なので彼がデーリー東北にて連載しているエッセイを書簡として受け取り、それに返事を書こうじゃないか。
いやいやこえーし。なんでエッセイを書簡だと思うんだよという声が聞こてきそうなのでその前に、私は反撃の準備をしてある。攻撃される前に反撃するのだ。それはただの奇襲攻撃だ!
『エセー』とは、エッセイというジャンルの水源(みすず書房のページより)といっても過言ではない、モンテーニュの著書だ。
なるほど。つまり内澤さんが書いたエッセイは読者(私)を会話へと招待してくれているのだ。違うけど、そうなのだ。
よし、これで言い訳は揃った。
では次回から内澤さんへの返信を書こうと思う。
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