見出し画像

『スティーブ&ボニー』

 日本に住んでいる人ならば、原子力に興味がない、なんてことはないだろう。もちろん私もだ。

 ただ、私はあまりにも原子力についての知識がない。福島の原発も、廃炉作業がまだ終わっていないということぐらいしか知らない。いったいあと何年かかるのか、作業はどうなっているのか、周辺の人々への健康被害は。考えだすと暗い気持ちになる。そして、なんとなく詳しく調べるこを避けてしまう。

 これは、広島の平和記念資料館でまじまじと展示品やパネルを見ていられなかったのと近い現象だと思った。実際、原爆ドームも少し離れた場所から見るので精一杯だった。

 知りたい、でもすごく怖い。

 なので、安東量子さんの『スティーブ&ボニー』の帯を見たとき、正直ほっとした。

「誰も読んだことのない、真面目で、おかしくて、ハートウォーミングな、ゲンシリョク•ロードムービー•エッセイ!」

 原子力の話で、おかしくてハートウォーミングとは! さらに帯には

「原子力を語ると、どうして話が通じなくなるのか。」

 と、ある。確かに、原発反対派、推進派とあるが、私はどちらなのかと言われると言葉に詰まってしまう。

 地震の多い日本で、原発は危険が伴う。それは東日本の震災で思い知らされた。ただ、原発以外の発電所となると、現状では火力になってしまう。つまり、ガソリンを使わない電気自動車を走らせるために、石油や石炭を使うことになるのだ。なんてこった。

 そして、原爆についての認識も私はあやふやだ。世界で唯一、原爆を投下された国──しかも二回も──の人間であるのに、私はその恐ろしさについて深く学ぼうとしたことがない。アメリカへ旅行にいったときも、原爆を投下した国とは考えなかった。

 ただ、

「アメリカにとって日本は親友だ。どちらが上とか下とかはない。深い友情で結ばれた国同士なんだ」

 という言葉をときどきネットで見かけるが、これには首を傾げてしまう。

 そんなとき、大澤真幸さんの『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』にあった森有正氏のエッセイの引用を思い出す。森有正氏がフランス人の女性と、もしも三発目の原爆投下があるとしたら、という会話をしている。女性は即座に「三発目も、また日本だ。確実じゃないの。原爆を落とされ、あんなに怒らない国はない」と答えたそうだ。

 私は、そろそろ原子力について知るべきじゃないか、とは以前から考えていた。だが、なかなか手が出せずにいた。

 なので『スティーブ&ボニー』に出会えたのは思いがけない幸運だった。

 ところで、スティーブ&ボニーとは誰なのだ。

 チョコレートキャンディーで有名なマリー&マースみたいな人たちなのかしら(ちなみにM&M’Sについて語られているドキュメンタリードラマ『ザ•フード』にて、原爆投下ではなく真珠湾攻撃を二十世紀で最も衝撃的な事件と語られていたのは、私にとって衝撃的だった)。

 と思ったら、私なんかが知らなくて当然。スティーブは、ワシントン州のリッチランドに住む原子力技師だ。そしてボニーは彼のパートナー。スティーブは、アメリカで催される原子力に関する会議の運営者であり、その会議に招待された安東さんのホストファミリーだった。

 安東さんはNPO福島ダイアログ理事長であり、ボランティア団体「福島のエートス」を設立された方だ。エートスとは、こちらも大澤真幸さんの言葉をかりることになるが「倫理的な生活態度」といった意味になる。震災直後、被災地が悲惨な状況だったのは私も耳にしている。さらに、原発に関する政府や専門家の意見の食い違いや、風評被害など、被災地の人々の苦労は計り知れない。倫理的な生活態度という言葉の意味は、被災地の人にとってどれだけ重要だったか。そして、私もその言葉の意味を痛感すべきなのだろう。

 だが、よくわからない人間、つまり私が痛感するにはまず知識が必要だ。

事故から七年半が経過しました。当初危惧されていたより、福島での被曝量は少ないことがわかり、食品の放射性物質のコントロールもうまくいっています。これはとてもよいニュースでした。一方で、(中略)放射線を巡る議論は今も混迷を深めています。

 これは二〇一八年に、スティーブが運営する会議に参加したときの安東さんの言葉。
 今でもまだ福島には帰宅困難区域があるし、福島第一原発で作業員の方は防護スーツを着ていなかったりするが、原子炉建屋内には人が入ることが出来ないほど危険な状態でもある。燃料デブリもまだ取り出しきってはいない。
なのに、どこかで私は「過去」のできごとと思ってしまっている。うまくコントロールしていることも、混迷していることも、本書でようやく「知る」という地点に辿り着けた。

 こんな知らないことだらけの私は、読み進めていくと驚きの連続だ。

 福島在住の安東さんはもちろん、ICRP(国際放射線防護委員会)のメンバーの一部は、福島の事故後、海外からなんども福島へ通い、住民の声に耳を傾けていたという。

福島に足をほとんど運んでもいやしない、アメリカの原子力関係者に、誤解に基づいて非難されるのではあんまりというものだ。

 

 アメリカどころか、同じ日本に住んでいながら、私は福島を訪ねたことも、よく調べたこともない。

 自分が住むこの小さな島が抱えているはずの問題を、なぜか自分と距離があるように日々過ごしている自分がいる。福島、広島、長崎、原子力による被害が起きた地域が三つもあるのに。そうそう、私はずっと原発と核兵器は同じだけど違う存在のように認識していた。これに関しては、安東さんも同じだったようだ。

この会議は、私にとっても少し奇妙に思える。核兵器と原子力発電が同じように語られているでしょう。日本では、核兵器と原子力発電は別々のものと考えられているから。私のこの言葉に、スティーブは驚いた表情をして、逆に私に尋ね返した。なぜ? 彼は信じられない様子だ。
(中略)
世界の常識的には、原子力は核兵器と強く結びついているとの認識が一般的で、原子力の平和利用を金科玉条として、兵器から切り離して定着させることに成功した日本が、むしろ例外なのかもしれない。

 核兵器として利用することはないだろうが、平和で安全で暮らしを豊かにしてくれるだけのものという認識は、海外からするとクレイジーなのだろう。もちろん、震災以降は安全などと思わなくなった人がほとんどだろうが。ただ、私の姪っ子のように震災後に生まれた子たちはどうなのだろう。今は福島第一原発に関するニュースはあまり目にしなくなったように思う。

 福島の廃炉作業はまだ終わっていない。それどころか、三〇年以上も前に起きたチェルノブイリでさえ今も立ち入り禁止区域がある。セシウム137の半減期は三〇年と言われているが──。

と、やはり印象に残ったのは真面目な原子力の話だが、基本的に本書は口下手だけど心優しいスティーブと、編み物大好きなこちらも口数少ないボニーの話。

 車を停め、スティーブは後部座席に投げ込んだ靴を取って、それを履いてから車を降りる、とばかり思っていたのだけど、彼は、なんとそのまま素足で地面に下りて、家に向かって歩き出すではないか。え? 靴は?

 素足で生活するスティーブ。なかなかの変わり者っぽくて、私は好きだぞ。
彼の家の前には「ヘイトに居場所はない」と書いた看板があったり、講演を終えた安東さんを優しくハグしてくれたり、人のあたたかさが詰まっているのもこのエッセイの魅力。

 彼(スティーブ)は、私を抱きしめた腕を放すと、もう一度、本当に素晴らしかった、と繰り返して、私を見つめた。

()内は川勢によるもの。

 原子力について学ぶのも、怖くないぞ。そう思えた。

 学びは今からでもまだ遅くはない。安東さんの『スティーブ&ボニー』は、優しくそう教えてくれた。


 



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?