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夜のことばたち。
昼と夜で、当たり前だが景色は変わる。
私は関東に越してきた時、駅の大きさや利用客の多さに圧倒され、そしてやはりごみごみとしているという言葉が真っ先に思い浮かんだ。
しかし、私が住んでいる地域は通勤や帰宅時間を過ぎるとかなり静かになる。
深夜にコンビニへ行く時なんて、すれ違う人も車もほぼなく、空を見上げれば星が見える。そうか、関東でも星は見えるんだな、そんなことで感動した。なんだか「ここで生きていけそうだな」と思った。
こんな風に昼夜で町の空気が変化するように、書籍に書かれた言葉たちも読む時間によって輝きを増したり、力強くなったり、寄り添ってくれる気がしたり、急によそよそしくなったりする。
そんななかでも、夜になると心の隙間にすっと入り込むのが上手な言葉たちがある。
例えば「三次実録物語」その三十二、星が吹き込む事。
朝から風が強かった。
その風は西からも、東からも、南からも北からも途絶えることなく、容赦無く家の中に吹き込んで来た。
暮れより後、風に乗って家の中に星が吹き込んで来た。
星は下界から見るのと同じ大きさで、次次吹き込んで来て止むことがなかった。
綺麗だなと思って──寝た。
京極夏彦 訳 東雅夫 編
星の話だからというわけではなく、これは夜に味わったほうがいいに決まっている。
それから何度読み返したか分からない、『西瓜糖の日々』。
わたしたちは手をつないで、アイデスへ戻った。手というのは素敵なものだ。とりわけ愛し合ったその後の手というものは。
リチャード・ブローティガン 著 藤本和子 訳
アイデスというのは、小説家である「わたし」や恋人のポーリーンなど町の人々が食事をする場でもあり、鱒の孵化場もある、なんとも不思議な場所だ。そしてなによりも不思議なのは、彼らの生活は西瓜糖で築かれている。家も、椅子も、布団も、そして洋服さえも、すべて西瓜糖でできているのだ。
この『西瓜糖の日々』は全体を通して夜の眠る前にゆっくり読みたいものだが、人と手を繋いだ記憶と過ごすのは、それは夜がいいに決まっている。
さて、最後はこちら。
いつ、どんな本で讀んだ傳說かはつきり覺えてゐない、夢のなかでどこかの景色を見て、蒼ぐらい波の上に白い船が一つみえてゐたやうに、傳說
の中の女の姿を思ひ出す、美しい女である。世界最初の女、イヴよりもずつと前にこの世界にゐた美しいリリスである。(中略)魂をもたないリリスは凡ての歡びにみち足りてただ一人イデンの園に生きてゐた。(中略)満ち足りた彼女には希望がなかつた、だから失望もなかつた。しぜん、悲しみを持たないのだつた。
片山廣子 著
悲しい思いはしたくないが、悲しみがないということは、そうか希望もないのか。
悲しみのない人とは、いったいどんな夢を見るのだろう。想像するだけで恐ろしい。そして悲しみを持つ自分に、少しだけほっとする。
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