「メンやば本かじり」過酷な労働編1
「イエス! 無理だ!」
おはよう世界。
現在、朝の五時だよ。
「朝からなに奇声発してんねん。お前、なにが無理なんや」ですって?
会社や、会社。
メンタルがやばいとき、私は会社へ出勤する気力が失われる。
とはいえ、休んだら……あああああーやばーす。明日から水道水生活か、同居する愛猫のたぬちゃんから、キャットフードをお裾分けしてもらうことになってしまう。
いかん。食うために働かねば。
私の仕事は肉体労働だ。危険はつきもので、なかなかハードな仕事である。
大怪我をした先輩方も少なくない。
なんて、言っていると
「お前が選んだ仕事だろ、嫌なら辞めろ。お前なんか会社から必要とされていないくせに」「お前が会社に来ないと、全員が喜ぶぞ。辞めちまえ」
ああ、あちこちから「この世で最も正しい」声がきこえてくるぞ。
だめだ、もうだめだ、私なんて必要とされてない生きる価値もない人間でゴミみたいな──おおっと、いかんいかん。
おいでやす冥界のはっぴを着た番人が、すぐそこまで迎えに来てるやん。
やばい、やばいやんこれ。
メンタル激やばだ。
こんなときは、自分よりも過酷な状況にいる人を書籍で探してしまう。それが、良い行いなのかどうかは、さておき。
さて、ここで一つ説明をしておきたいのだが、過酷な状況と言っても、残虐な上司に仕える話ではない。
例えば、古代ローマ帝国の黄帝ネロや、殷の紂王などだ。
彼らは、残虐非道の代名詞となっているが、どこまで事実かはわからないし、メンタルがやばいときに炮烙の刑の話を読んだら、おいでやす冥界再びだ。
いや待て! おいでやす再来どころか、ご優待券までちらつかせてきやがる。本気やな!
ここは自分を救うためにも、決して残酷ではないものの、過酷な状況下で必死にお仕事を頑張ってしまう人の本を読むのだ。
てなことで、頑張っちゃってる人が登場するのは、藤原実資『小右記』(角川ソフィア文/倉本一宏編)にある一節だ。
本書は藤原実資の日記である。藤原実資は、祖父である藤原実頼の養子になり、右大臣にまで出世した人物だ。
なんや、人生楽勝コースやん。
と、思ってしまうのは、私が狭隘なる心の持ち主だからだろうか。
だが、こんな彼でも、いや、右大臣だからこそ、激務に追われる日々もあるわけだ。
仕事の会議が深夜にまで及ぶだろう、と実資は愚痴をこぼす。
「深夜まで会議」この言葉だけで、がはああとため息が出てしまいそうだ。
さらに、だ。
これは十一月も後半の話である。本書『小右記』編者である倉本さんが仰っているには、平安時代の建物は、極寒だそうな。
吹きっさらしの建物で、深夜まで会議。
ぐはー。
どんな拷問やねん。残虐行為ではないが、現代人の私には耐えられる自信がない。
寒すぎて、歯をがちゃがちゃいわせるやつやん。
そんななか、深夜まで会議をすれば、あたたかい食べものが欲しくなる。そりゃそうや。
そこで実資は、湯漬けを用意しておいてくれと部下である左大史に頼もうとするわけだ。ちなみに、湯漬けとは
だそうな。つまり、白米に湯をかけたもの。ただ、当時湯漬けに使っていたのは、強飯といって糯米(『日本古代食事典』には糯米の場合が多いとある)を甑(米などを蒸すための土器や木器)で蒸したものだ。要は現代のおこわ、これの原型となるらしい。
なんや、おこわに焼き味噌のっけて、お湯かけるん? めっちゃ美味しそうやん。なんて、吹きっさらしの極寒だという条件を都合よく忘れた私は、「ええもん食ってるなー平安時代の人よ」なんて、一瞬実資を羨んだりしたのである。
だが、大事な話が残っている。
そう!
実資は、左大史も大外記も、触穢(弔喪や出産など)のために参内できないという。
実資曰く、湯漬けの担当が出勤できないから、我慢や、我慢ということだ。
えっ!? そんなの他の誰かに頼めばええやん。と、言いたいところだが、この時代、しきたりなどいろいろとあるのだろう。
ひー、大変やー。
空腹と寒さと闘いながらの深夜まで会議。平安時代の服装って足元が寒そうやん。女性は十二単だから着込めるけど、男性はどうなんやろ。気込めたところで、めっちゃ重そうやし。
ヒート◯ックを着て、厚手の靴下を履き、コートまで着ている現代の自分が文句ばっかり言っちゃいかんな。
恐れいりました、平安時代の働く戦士よ。
私なんかが、文句ばっか言っちゃいかんな。今日も働くか。
◾️書籍データ
『小右記』(角川ソフィア文庫)藤原実資 倉本一宏 編
難易度★★★☆☆ 鈍器本だが、日記なのでそれぞれの話はかなり短い
左大臣の邸宅から人魂が出た、火事が起きた、取っ組み合いの喧嘩で抜刀した、若宮の百日の儀でみんな酩酊したった、などなど、まあいつの時代も人の世とは騒がしいものである。通読するよりは、つまみ読みに適した書かもしれない。