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「メンやば本かじり」誕生日を迎えるには編

 誕生日、それは多くの人にとって嬉しい日なのだろう、きっと。

「やだなあ、また歳をとっちゃった」とか言っていたとしても、みんなから祝ってもらって、楽しい一日を過ごすのですね、そうなんですねうらやましいですねこんにゃろちくしょうこんにゃくにゃくにゃく。

 うおやべ。タタリ神(©️もののけ姫)化してしまうところだった。

 私にとって今年も誕生日はまったく楽しみではない。祝ってくれる人はおらず、自分でごはんをつくって、誰とも一言も喋らず一人寝るだけだ。

 ん? 違うな。

 たぬちゃん(愛猫)は一緒にいてくれるじゃないか!

 そして、たぬちゃんは11月にお誕生日だ。16歳になる。

 人間だと──80歳か。

 えっ。

 もう、そんな歳なんだ。もう──。

 駄目だ、涙が止まらない。

 たぬちゃんの誕生日、きてほしくない。

 ずっと長生きしてほしい。お願いです。

 ああ、そうか。なんて私は馬鹿なんだ。

 最初の言葉は撤回させてもらいたい。

 誕生日を無事に迎えられることは多くの人にとって嬉しいのだろうが、大切な人が歳をとることを不安に思って素直に喜べない、そんな人も少なくないだろう。

 誕生日を迎えるのには、準備が必要だ。

 心の準備が。

 そんなわけで、今日紹介したい本は誕生日を迎えるのがあまり嬉しくない人に、まだ起きていないことに不安を抱く人に、心の準備となるような、そんな作品だ。

 それはチョン・イヒョン氏による『優しい暴力の時代』に収録されている「ミス・チョと亀と僕」。

 主人公は、僕ことアン・ヒジュン。彼は四十回目の誕生日をまもなく迎えようとしていた。養老院で働き、申し訳ありませんが口癖になるほど、会員のご老人たちに日々頭を深く頭をさげている。

 彼の勤務する養老院に住む会員たちは、我慢という精神を失ってしまった人たちばかりのようだ。やれ、ネットが繋がらない、リモコンが壊れているなどクレームを出すが、抜けていたコンセントを差し込んだり、電池を交換するだけで解決するものばかりだ。

 辟易するクレームに、さほど高くない給料。それでも彼は丁寧に対応する。

 アン・ヒジュンは口数が少ないが、真面目に働き、過剰に人に関わらないが優しい心の持ち主なのだ。

起きていないできごとについて語るのが好きな人もいるのだろう。僕の場合はそうではない。僕はどんなできごとについても、話すのが好きじゃない。言葉は口から出した瞬間、空中に散ってしまう。まだ起きていないことは、ぼくの内側のいちばん奥にそっとしまっておきたい。それが永遠に起きないことだとしても。

『優しい暴力の時代』(河出文庫)チョン・イヒョン 著 斎藤真理子 訳

 ヒジュンは五歳で母親を亡くし、その後父親と父親の付き合っている女性と暮らしていた。父親は亡くなるまで常に誰かしらと交際していた。

 そんな父親の恋人たちのなかで、彼にもっとも優しく接してくれたのがミス・チョ女史。ヒジュンが全寮制の高校に在学していたときに、父親と彼女は付き合っていた。

 実家に帰るのは月に一度なので、ミス・チョ女史と会うのもそのときだけだ。

父さんとすれ違っていった女性全部をひっくるめて、僕にいちばん優しかったといえる。(…)
(…)ちびっ子たちに親切だったし、道を尋ねる人たちにも親切だった。たぶん、蹴っ飛ばされた道端の石ころにも親切だっただろう。

同上

 ミス・チョ女子はみんなに親切で、優しく、ヒジョンの父親、つまり彼氏に敬意を払い、そしてよくお喋りをする人物だった。

 無口な父親と息子、そのどちらかだけに話しかけているわけでもなく、ほほほと笑い軽やかに喋る。彼女につられて自然とヒジュンも話しだす。ヒジュンと彼女はそんな関係だった。

 だが、彼女と父親は別れたあとは縁が切れ、月日は流れ、ヒジュンの父親も亡くなってしまった。

 彼女もすっかり過去の人となったある日、facebookにミス・チョ女史ことチョ・ウンジャさんからメッセージがくる。facebookにアップしていた写真を見て、ヒジュンはすぐに彼女を思い出す。

 このメッセージをきっかけに、二人は月に一度は連絡を取り合い、ワンシーズンに一度は会ってご飯を食べるようになっていった。

 物静かなヒジュンも他の人には話さないようなことも、彼女には話せていた。

 ミス・チョ女史が一緒に暮らしている亀の〈岩〉のことをひとしきり話してくれたことにより、ヒジュンは誰にも話したことのない話を打ち明ける。

僕にも猫が一匹いるんですよ。
あら!
彼女が嘆声を上げた。
私、にゃんこがほんとに好きなのよ。いつか一度連れておいで。
ええ、はい。

同上

 猫を連れておいでと言う彼女に、ヒジュンは「でも──」とあることを打ち明ける。

 ヒジュンと暮らす猫のシャクシャクには、ある秘密があった。絶対秘密というわけではないが、ヒジュンはミス・チョ女史以外には誰にも話したことがなかった。秘密を打ち明けたあとも、彼女は受け入れてくれた。

 ヒジュンと猫のシャクシャクとミス・チョ女史と亀の〈岩〉。四人(二人と二匹)の新しい繋がりが生まれる。

 だが、一件のメッセージにより、彼らの関係に大きな変化がおとずれる。

 生きていると、ストレスも多い。生きていくことは、こんなにも耐えることなのかと思うときもあるし、理不尽だと嘆きたくなるのに現状を変える方法がわからず理不尽に従うしかできないこともある。

 だからといって、破壊的(あるいは破滅的)行為しか解決策が見つけられない自分にはなりたくない。

 逡巡している合間にも、時間はどんどん過ぎ去っていく。

 ただ、時間を移動するスピードは人それぞれ違うし、猫や亀もまた違う。

 私たちは亀ほど長生きはできないし、猫のようにたった一年で成体になることもない。

 それぞれの速度で、一秒から次の一秒へと時間を渡り歩いていく。

 常に時間と共に生活するが、戻ることはできない。昨日自分が歩いた足跡を辿ることはできないからだ。前に進むしかない。

 昨日の自分の鼓動に至る全ての動作を一秒の狂いもなく再現できるはずなどないのに、昨日の自分と今日の自分をまったく同じだとして、昨日の苦悩を、さらには未来までもあますことなく引き受けようとしてしまう。

 起きてもいない未来に苦悩し、過ぎ去ったはずの過去に苛まれ、「いま」しか生きることができない。

 そして、生きているあいだは常に「いま」に存在し続けることが可能である。

 ラストを読んだあと、感情が昂ったわけではないはずなのに、私の頬は暫く濡れていた。

 あなたはどんな速度でこの物語を読み、どう感じるのだろう。

 誕生日前に読むと、誕生日を迎えた自分といつもとは違う心持ちで出会えるかもしれない。


◾️書籍データ
『優しい暴力の時代』(河出文庫)チョン・イヒョン 著 斎藤真理子 訳
難易度★★☆☆☆ 優しさと暴力を同居させることができる、静かに心に食い込む短編集。

なにが不幸だとか幸せだとか、人それぞれどころか、いつの自分かによっても変わってしまう定義。かなり重いテーマでも、軽んじるわけでなく、言葉に妙な飾りをつけるわけでもなく、語られていくのはチョン・イヒョンさんの文才。これだけの話を押し付けと感じずに読めたのは素晴らしいの一言に尽きる。

 

 


 

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