ディバインタイミングを迎えているワタシへ
毎日幸せだなあと思って起きて、
毎日ありがたいと思って寝る。
それでもなお、変化を求めるのはなぜだろう。
ディバインタイミング?
最近よく聞く“ディバインタイミング”だが、まあ自分もリトリートやらなんやらに行ったくらいだから、当てはまるんだろうなあ…とは思いつつ、あまり実感が持てない日々であった。(自分のことはわからないのである)
○ディバインタイミングとは?
様々な物事が同時に起こる変化のタイミングのことかなぁ?と解釈しています。
詳しくは、MOTOKOさんのスタエフを聞いてみてくださいませ。
続編もあるよ!
ディバインタイミングと人間関係
だがしかし、先日友人と会って、近況報告を行っていたら、リトリートで起こった全てのピースが、パタン・パタン・パタン・パターンと美しくハマってしまった。(セレスチャルケミストリー怖い)そして、その出来事が、完全に私の“ディバインスイッチ”を押してしまった(or加速させた)気がするのである。
まあ、仕事・環境・自分事はまあ、流れるままに、どうにかなるのだが、問題は人間関係である。
人間関係で悩むのは、いままで楽しくやってきた人との時間に、ちょっと違うみたいな違和感を感じ始めるときである。
違和感程度なので、やり過ごせるのだけれど、やり過ごし続けるのは違うこともわかっているのだが、私も人間故、「え、かなし~」と思うのである。
自分の感覚に従って、自分から連絡を取る頻度をゆるやかに減らしたりすればよいのだが、人間慣れた人へ連絡する方が多分ラクなので、反射的に過去の習慣を踏襲してしまうことになるのである。
だがしかし、そのまま、違和感を無視して現状維持を優先し続けるとどうなるか、もわかっている。
私自身が、新しい環境を潜在的には求めているのに、現在の人間関係を維持しようとすると、自分の意志で現状維持を選んでいるのに、まるで相手のせいで留められているような気持になってきて、段々相手のことが嫌になってくるのである。
本当に嫌なのは、現状維持を選ぶ自分自身の選択なのにも関わらず。
だから、人間関係に違和感を感じ始めるとき、誰かの発言に違和感を感じるときは、本当はその人への違和感ではないのだ。
その環境に感じ始めただけなのである、そこで、動くべきは自分、とどまるを選びたいのは、自分。
すべて、自分で選んでいるのだ。
相手のせいにするな。
と、言うことは頭ではわかってはいるのだが、
痛みを伴うので、
なかなか…ねえ?
そんな割り切れないよねえ??と思うわたしに、友人からの一言が、コレである。
まわりのトロトロに合わせるな!
(何度も申しますが、周りがトロトロしているわけではなく、自分の感覚に従うだけなのですが)
すごく、グサグサくるので、皆様にシェアして、本日は終わりたいと思います。
ありがとうございました!
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