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瞑想したら「無」を超えて、やべえところに行った話

2022年2月22日の深夜2時2分の特別なその時間に、
宿でスタッフやGamaoilさんやカエさんや皆んで手をつないでお祈りをした。

初めは、私はただ瞑想していた。
そうしたら、何故か広い一本道が出てきて、行ってみようとすると
カラーコーンが道の両脇に並んでいた。

直感で、あっ、これ行っちゃいけない道だ。って思って目を開けた。

でもまだみんな目をつむっているし、再度、目を閉じる。
また、カラーコーンが両脇に並んだ広い一本道が出てくる。
やべえと思ってまた目をあける。

でもまだみんな目を閉じてるから、私も目を閉じる。
また、同じくカラーコーンが両脇に並んだ広い一本道が出てくる。

なんでこんな道ばっかり出てくるんだろう?
でも、今度はその道に行ってみよう。みんながいるし。安心だろう。

でも今度は、白黒のカラーコーンが出てくる。
葬式カラーの。

うわ、これマジで絶対行っちゃダメな道じゃん!と思って目を開ける。

ていうか、集団瞑想って、誰かナビってくれる人がいないと危なくない?
ここに団体を先導する立場の人、いなくない?

血の気が引いていると、隣で私の手をつないでいてくれた人が、
「波動が上がったり下がったりしていたよ」
と教えてくれる。

いや、だって普通になんかやばいところに行こうとしていたもん!

みんなで瞑想のシェアをすると、そんな危ない状態の人はいなかった。

でも、このままでは終われないので、再度、全員で瞑想をするようお願いする。

さっきは、あまりに「無」だったから、よくわからないところに照れて行かれたんだ。
今度は、「祈ろう」。
そう思った。

祈る。
自分の一番深いところまで潜る。
一番一番奥のところまで潜る。
「無」のところまで潜る。
そこで、ただ、祈る。
無が、嬉しくありますように。
無が、光で満ちますように。

祈る。祈る。祈る。
そうしたら。

「真っ白い、地平線の、世界」に、いた。

え?
何ここ?

普通にびっくりする。
瞑想してて、「宇宙」とか、「無」に行ったことはあるけど、
ここは、来たことがない。
何ここ?

でも、祈りが通じやすい場所?
いや、ここが、祈りそのもの?
ここにいるだけで、既に祈り?
ここが本当の意味での無?
ここが別の意味での無?

わからないわからない。

でも、心地よい。
イヤじゃない。

しかも、みんなが良い祈りをしているからか、
手のひらを、ぐいんと、エネルギーが通るのがわかる。

エネルギーが、みんなの輪を回っている。
循環、してる。
エネルギーは、終わりがなく、永遠?

そうして、瞑想は、いや、祈りは、終わる。

隣の人が、
「今度は落ち着いた波動だったよ」
と教えてくれる。

そうか。良かったー。
でも初めのやべえ道はなんだったんだろう?
まあ、その後に広い地平線に行けたから良かったんだけど。

でも、まあ、普通にあの白い地平線はどこだったのかと、その場にいた全員聞く。
全員に普通に「わからない」とか言われる。

あの世とこの世の境目?
あれはあれで、なんかやべえところ?

いや、普通にやっぱり「無」の場所だろう。
「無の向こう側」かも知れないけど。

ていうか「死」の場所?
うわ、え、私、死にかけた?

わからないわからない。とりあえずは「ここではないどこかを、体感できた」。

あの場所がどこなのかはいまだにわからない。
良い場所なのか、危ねえ場所なのかも、わからない。

でも私は、今、パソコンの前に座ってる。
キーボードをカタカタ打ってる。
現実世界を、生きてる。
それが、全て。

私はこれからどこに行くんだろう。
不思議に、触れ続けない。
世界の、本当のことを、知りたい。
真実に近いことを、追求し続けたい。

もちろん全ては「無」だともわかってる。

それでも、失敗して、自分を嫌いになって、逃げたくなって、死にたくなって、
見たくないものを見て、腹を立てて、ムカついて、時々泣いて、
でも嬉しくなって、喜んで、爆笑して、踊って、歌って、祈って、そして書いて。
そういう「現実」を生きてゆこうと思う。

生きてゆこうと、思うのだ。
そして、もちろん、あなたも、生きてゆくのだ。
この現実世界を、生きてゆくのだ。

一緒に。

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