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クローン04 第3話

  三 彼女を放せ

「はい、どーぞ。あり合わせの簡単なものだけど」
 目の前に、ふんわりとやわらかく湯気を立てる料理がならべられた。スープに、卵と野菜のいため物。それに白いご飯。
 リンスゥが座り込んでいたのは、とある店の裏の、勝手口の前だった。
 そこは小さな食堂だった。店構えもそこに並ぶテーブルも古ぼけた、いかにもな安食堂。
 だが、床もテーブルもしっかり掃除され、よくみがき込まれていた。壁に張り出された、手書きのメニューの品ぞろえは豊富だ。古くてみすぼらしいのではなく、むしろ落ち着きを感じさせる、いい雰囲気。しっかりとした商売をしている様子が見てとれる。
 今は休憩時間なのか、他に客はいなかった。厨房に大柄な中年女性が一人。ちらりとこちらに目をやっただけで、特に何かを言う様子はない。リンスゥと同じクローンの女性にたのまれて、無言で料理を用意する。手際よく、先ほどの三品を作ってわたしてきたのだった。
「どうしたの? どうぞ食べて。おばちゃん、料理の腕前一級品だから、おいしいよ」
 テーブル対面に座ったクローンの女性に、朗らかな声ですすめられる。先ほど会ったばかりなのに望外のもてなしを受け、リンスゥはとまどった。
 だが、リンスゥの身体は、そんなことよりもエネルギーをよこせと要求している。その声に負け、ためらいながらも料理に箸を伸ばす。ほどよい大きさに切られたレタスを一切れ取り上げて、口に運ぶ。
 あ……。
 じんわりと、身体の隅々に、うまみが広がっていく。
 ゴマ油でいためられ、鶏ガラスープ、塩コショウで整えられた、シンプルな味付け。だが、火の通り、塩加減は絶妙で、素材の味が引き出されている。
 飢え切ったリンスゥの身体に、その滋味が染みわたっていくようだった。
「おいしい?」
 リンスゥはその問いに、小さくうなずいた。
 そして、顔を上げて相手の顔を見つめ、たずねた。
「どうして私を助けた……?」
 女性はこの問いに一瞬おどろいた顔をして、それからさも当然という口調で。
「あらだって、同じ顔の人が倒れてたら、気になるじゃない!」
 にっこりと笑って言い切った。
 明るい性格のようだ。それから机に肘をついて、身を乗り出し聞き返す。
「私、マリア。マリア・マリアよ。二つ並んでるのちょっと変だけど、名付けた人が変わってるの。あなたは?」
「……リンスゥ」
「ね、何であんな所でへたり込んでたの?」
「え……それは…………」
 リンスゥは答えにつまる。昨日のジンロン会本拠の様子が脳裏によみがえる。あの無気力な地元警察が、座視できなかったほどの大事件。リンスゥ自身はその場にいなかったのだが、うかつな事を言い、それが広まって関係者の耳に入れば、面倒なことになるかもしれない。リンスゥも反社会的組織の一員だったわけで、警察と関わるのはさけたいところだ。
 その様子を見てマリアは、両手をふるふると振った。
「うん、いいよー、言いたくなかったら。まあこの御時世、いろいろあるよね。さ、食べて食べて。冷めちゃうよ」
「うん」
 気の利く優しい子のようで助かった。リンスゥはその優しさに感謝しながら、久しぶりの食事をゆっくり味わう。
 その様子をマリアはニコニコと見つめていた。
「ごちそうさま」
「はーい、おそまつさまでした! おなかいっぱいになった?」
「うん……ありがとう」
 リンスゥが謝意を口にすると、マリアは満面の笑みで答えた。彼女の助けを本当にありがたく感じているということを、不器用なリンスゥはうまく表せたとは思えないのだが、マリアは気にしていないようだ。
 そこへとなりの厨房から声がかかる。先ほどの大柄な女性は、こちらの様子を気にかけるそぶりもなく、いそがしく働いていた。
「マリア。そろそろ店開けるよ」
「はーい」
 声に応えて立ち上がった時。
「そうだ!」
 マリアは何かひらめいた様子。ぱっとリンスゥに振り向く。
「ね、シャワーも浴びる?」
「え?」
「いいから、いいから、遠慮しないで! その様子だと、何日もお風呂入ってないでしょ!」
 手首を指して、小さな声で付け加えた。
「血がこびりついてるよ」
「!」
 それはあの小さな赤ん坊の血だった。
 あの小さな手。
 あの冷たくなっていった小さな身体。
 すでに黒く変色したその血のあとをながめ、リンスゥはおしだまった。 
 マリアはそんなリンスゥを半ば押し切るように、二階へ連れて行った。まだためらうリンスゥの服を手際よくぬがせて、バスルームへ入れる。
「ごゆっくり」
 そう告げると、マリアはパタンと扉を閉めた。リンスゥはその言葉にあまえることにした。
 栓をひねる。シャワーから落ちる温かいお湯が頬を打ち、なめらかなその身体を伝って流れていく。
 思わず、ほうっと吐息をもらした。温かい食事を食べ、温かいお湯で身体を洗う。つい数日前までは当然のようにあったものだった。それが、これだけ心安らぐものだったなんて。
「着がえ、ここに置くねー」
「ありがとう」
 扉の向こうから声がかかる。脱衣場には洗濯機が置かれていた。動き始めた音が聞こえる。リンスゥの着ていた服は、マリアが気を利かせて洗濯してくれたようだ。本当に何から何までよくしてくれて、感謝しかない。バスルームから出たリンスゥは、用意された着がえを手に取り、身につけ……。
 鏡の中の自分を見つめ、首をひねった。
 さっぱりとした無地のブラウス、ちょっと丈の短い紺のスカート。ここまではいい。
 エプロン姿なのは、なぜだろう。
 そこへマリアがひょいっと顔を出した。鏡の前のリンスゥをすばやく見回して、ぐっと親指を立てる。
「オッケー! 似合ってるよ!」
「……これは?」
 リンスゥはとまどいのもとを指差して、答えを求めた。
「あなたの服、洗っちゃったから、それでがまんしてねー。私のだけど、サイズは当然同じだよね! うん、ぴったり! でね……」
 いたずらっぽい微笑みを浮かべ、両手を合わせる。
「悪いけど、ちょっと手伝ってほしいんだあ、お店。だめ?」
「え……いや……いいけど……」

 手伝うことには、ためらいはない。これだけよくしてもらったのだ。ちょっとした労働で恩を返せるのなら安いものだ。
 リンスゥをためらわせているのは別のこと。マリアの様子である。
 先ほどまでの笑顔とは少しちがう、何かよこしまなものを感じるのだが……?
「ありがと! じゃ、来て来て」
 そんなリンスゥのためらいはお構いなしに、マリアはぐいぐいと一階の店舗へ手を引いていく。
「これ、あそこのテーブルに運んでくれる?」
「う……うん」
 リンスゥに料理の載ったトレイをわたし、入り口近くの客の座っているテーブルを指差した。
 店は正面を大きく開けてふき通しにできるようになっていて、天気がいい今日は、表にもテーブルを出していた。まだ昼食にはかなり早い時間。その見通しのよい席にだけ、客がいた。老人の三人組。
 リンスゥはその席に、慣れない足取りで料理を運ぶ。
「……お待たせしました……」
 市場で見かけた時には簡単な仕事と思っていたが、やってみればこぼさぬようにとけっこう気を使う。テーブルに料理の盛られた皿をことりと下ろす。
「あー、ありがとー」
 そのテーブルにいた老人三人組は、この時間から酒を開けていて、もういい気分になっているようだった。小太りの老人にゴマ塩の角刈りの老人、そしてもう一人。
 ぎこちなく頭を下げ、テーブルをはなれようとすると、そのもう一人のひょろりとした狐目の老人に。
「よーう、マリアちゃん! 今日も元気かい?」

 ぺろりとお尻をなでられた。

「!」
 リンスゥはあわてて距離を取り、振り返る。おどろきの表情を浮かべて相手を見つめる。
 敵愾心を持つ人間を相手にして、今まで生きてきたリンスゥ。相手の殺気には敏感だ。市場で老人におそわれた時も、即座に身体が反応した。素人がリンスゥに気取られず、害意を果たすことは不可能だ。
 だが、今の一撃はまったく気配を感じさせないものだった。まるでそよぐ風のような、ふれて初めて気がつく、気負いのない自然な動き。達人のみが身につける熟練の技。
 いや、技じゃない。そうじゃなくて……。
 リンスゥの頭の中で、まとまらない思考がぐるぐると渦を巻く。老人が何をしようとしたのかはわかっている。性的ないたずらだ。いたずら以上の害意がないことも、すぐわかった。そして、リンスゥとマリアをまちがえていることも、呼びかけた名前から容易に思い至る。だからそれほど気にする必要はないと、理性は告げている。
 しかし。
 自分の心臓の音が、どきどきと耳にひびく。体温が上がっていく。今までになかった、想像してなかった事態。
 まるで無防備なまま、さわられたのだ。
 そこにあるはずの恥ずかしさを、リンスゥは自覚できない。恥ずかしいなんて感情を覚えたことは一度もないからだ。
 SYRシリーズのクローンに、性産業向けに調整される個体があることは知っている。組織にいた時に、そういった下卑た視線を浴びたこともある。だがそれで恥ずかしがるような神経は持ち合わせていない。
 図太いという比喩ではなく、戦闘用クローンであるリンスゥには、そういう感情が神経ネットワークに刷り込まれていないのだ。恥ずかしいという感情は環境と経験により左右される。刷り込みのない感情は、人生経験の少ないリンスゥの中では育ち切っていない。
 組織も、戦闘用クローンを性衝動の対象とするような真似を、構成員に許すことはなかった。クローンは確かに道具だが、「高価な」道具なのだ。末端構成員のようなごろつきの方が、いくらでも安くその辺でやとえる。万が一コンディションをくるわすようなことがあれば、処分されるのは下っ端の方。その危険をおかす者はおらず、したがってこのような事態は初体験。本当に経験がないのである。
 だから今、まずリンスゥが感じているのは、自分にまったく気取らせることがなかった相手の力量に対する脅威だった。シチュエーション的にはまったくおかしな考えだが、相手がその気であれば、今リンスゥは殺されていたのだ。
 そしてそれと同時にほのかに混じる、初めて無防備にさわられてしまったことに対する、名も知らぬ感情。身体を火照らせ、心拍数を上げる。
 その二つがない交ぜになって、リンスゥを身構えさせる。
「え……あれ……? マリア……? い、いつもなら、もうエッチーとか返ってくるとこなのに……?」
 厳しい顔をして相手を凝視するリンスゥを見て、当の老人も動揺していた。
「あははー、引っかかったー!」
 そこへ物陰からマリアが、うれしそうに手をたたきながら出てきた。もうこれ以上ない満面の笑み。どうやらこのいたずらを思いついていたらしい。固まっているリンスゥのとなりに並んで、ぺろりと舌を出した。
「ふっふっふー。おどろいた?」
「おどろいたって……あれ? 同じ顔?」
「そうなのー。私たち、生き別れの姉妹なのよ!」
 リンスゥを引き寄せて、むぎゅーと抱く。同じシリーズのクローンなので確かにそう言えなくもないのだが、口調もしぐさも生き別れという言葉の重さには程遠い。その気軽さにも、リンスゥはとまどってしまう。
「あ、そうか、マリアちゃんは……」
 老人たちも事の真相がわかったようだ。SYRは人気のシリーズなので、街中でも見かけることはある。性産業に卸している個体数もかなりあるので、中古品であれば場末の風俗店でも出会うぐらいだ。ただ、それでも気軽に買えるほど安くはないので、このような大衆食堂に二体というのは思いつかなかったのだろう。
 そもそもそれを言えば、大きくもうけているとはとても見えないこの店にいる一体目、マリアの存在も疑問なのだが……。もしかしたら何かのつてで格安で手に入った中古なのかもしれない。人間の従業員にずっと給与をはらい続けるよりも、クローンを買った方が労働力としては安上がりという判断か……。
 リンスゥがふとそんな疑問を覚えているうち、老人たちは二人をながめて盛り上がっていた。
「いやー、すごいな。並ぶと本当にそっくりだね」
「よく見ると髪の長さはちがうのか。でも顔は見比べてもわかんないなー」
「こっちのお嬢ちゃんもべっぴんだねえ。どれ、せっかくだから、もう一回……」
「だめ! 調子に乗らないの!」
 にょいっと伸びてきた狐目の老人の手を、マリアがぺし! とはたく。席がどっとわいた。
「ごめんねー、スケベじいさんに付き合わせて。いっつもこれなのよ。常連さんなの。もうしょっちゅうさわられてるから、一度こらしめてやらなくちゃと思ってたのよ」
 マリアが両手を合わせて自分のいたずらをわびた。そしてリンスゥの耳元に顔を寄せ、ぽそっとささやいた。
「でも、優しい気のいいおじいちゃんなんだよ」
 本人にはないしょ、とマリアは唇の前に人差し指を立てて笑う。
 固くなっていたリンスゥの身体が、ふっとゆるんだ。
 楽しそうな人たちの様子。
 明るく笑うマリア。
 マリアの笑顔は屈託なく、あのオリジナルの写真と同じだった。
 自分にはできないその笑顔を見つめるリンスゥは、少しまぶしいような、うらやましいような気持ちになった。
 
 マリアの方がオリジナルに近い、ちゃんとしたクローンなんだろうか。
 あの子も……こんな感じだったのかな……。

「へっ、何さわいでんだ。量産品なんだから当たり前じゃねえか」

 その明るい雰囲気に水を差す、とげとげしい言葉が投げかけられた。
「?」
 リンスゥは声の主へと振り返る。
 戸口に目つきの悪い男が立っていた。
 背は高くがっしりと大柄で、短く刈り込んだ髪は赤と金二色に染められている。太い二の腕には隙間なく刺青。ポケットに片手を突っ込んで、あざけるような薄笑い。
「げっ、やなやつが来た」
 その男を認めたマリアは、露骨にいやな顔をした。客商売としてはあるまじきことだが、周囲のみんながそれをとがめず身体をすくめているところを見ると、本当にきらわれ者らしい。
 そんな周囲の気配は気にも留めずに、男は乱暴に空いたテーブルに腰を下ろした。
「おい、大家はいるか」
「シロさんは今出かけています」
 憮然とした様子をかくそうともせず、マリアが応対する。
「ふん、じゃあ待つとするか。酒だ。つまみも持って来い」
 マリアは奥へ引っ込むと、酒瓶にグラス、つまみを盛った皿を持ってきた。特にきちんと注文しなかったところを見ると、しょっちゅう来る常連のようだ。
 だが老人三人組とはちがって、決して有難い客ではなさそうだった。
「はい、どーぞっ! ごゆっくり!」
 マリアは持ってきた物をテーブルの上にドンと置く。
「何だ、愛想悪いな、客商売だろ。座って酌でもして見せろ」
 男は先ほどから浮かべている蛇のような薄ら笑いをさらにゆがませて、立ち去ろうとしたマリアの腕をいきなり引いた。
「きゃっ!」
 マリアはとなりの椅子にどすんと引き下ろされる。男は太い腕でマリアを抱き寄せ、身体をまさぐり始めた。
「やめろって、この……!」
 マリアは身をよじって逃れようとするが、男は放さない。
「へっ、そういう風に作られたんだろ。何をいまさら……」
 胸に手をはわせて、乳房をもむ。
「いやっ!」
 マリアの高い悲鳴が店にひびいた。思わず周りの人が腰を浮かす。
「あ? なんだあ! 文句あんのか!」
 そこに男の野太い声。恫喝されて、皆、動きが止まる。屈強で、いかにもその筋の男に対し、老人三人では太刀打ちできない。
 だが。
 リンスゥがすっと、前に立った。
 男の目が下心にあやしく光る。
「お、何だ、同じタイプをもう一体仕入れたのか」
「彼女を放せ」
 リンスゥは落ち着いた声で告げた。
「だめ、リンスゥ、相手にしちゃ! 私のことはいいから……。シロさんが帰ってくれば、こんなやつ追い返してくれるから!」
 自分が危ないというのに、マリアがリンスゥの身を案じてさけんだ。だがリンスゥはその忠告も意に介さない。
 まるで息をするように女性のお尻をさらりとなでる朗らかな老人という、出会ったことのない、対処の仕方がわからない相手とちがい。
 これは自分のよく知る人種だ。
「彼女を放せ」
「へっ、じゃあ、お前が代わりに相手してくれるのか……よっと!」
 男は空いている左手を伸ばしてリンスゥの右手首をつかんだ。両手に花とばかりに力任せに抱き寄せようとする。
 しかしリンスゥは無抵抗。いやむしろ、引く力に乗じて、前方へとふみ出した。
 それと同時につかまれた手首を立てて、内側から男の腕を引っかける。その腕を大きく押し開き、ふみ出した勢いのまま、座った相手を椅子ごと斜め後方へひっくり返す。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 男といっしょに倒れそうになったマリアを、リンスゥはさっと腕をからめて立たせる。自分はマリアと入れかわるように、男の腕は放さずついていく。右手にはいつの間にか、テーブルから拝借した箸を持っていた。それを倒れた男の喉仏の下、首と胸の付け根のくぼみに突き立てる。
「ぐ、げはっ……」
 もんどりうって、男がのた打ち回る。「肢中」と呼ばれる人体の急所なのだ。
 さらにもがいた男がうつぶせになったところに座り込むように乗り、首に膝を押し付け、壁際でおさえ込む。頚椎の急所を極められ、向かいには壁。じたばたするが、身動きが取れない。
 リンスゥは呼吸一つ乱さず振り返り、聞いた。
「どうする? このまま命をうばうこともできるけど?」
 耳の穴に箸を当てる。箸の先はさほどするどいわけではないが、十分な固さがある。力が逃げないよう正確にまっすぐ突き立てれば、内耳から脳まで届かせることができるだろう。そしてリンスゥにはその技術があった。
「や、やめ……やめろー!」
 男は悲鳴を上げた。一瞬の出来事に唖然としてたみんなが、その声で我に帰る。マリアがリンスゥのやろうとしていることに気がついて、少しおよび腰になりながら答えた。
「あ、あー、そこまでしなくてもいいかなー。面倒になりそうだし。放していいよ」
「わかった」
 リンスゥはすっと立ち上がった。圧迫が解け、男は反射的に立ち上がる。
「く……くそ……覚えてやがれ……」
 涙を流し、喉元を押さえながら、よろよろと立ち去る。
 その後姿を見送って、リンスゥは振り返った。
「ごめん。とりあえず制圧したけど、もしかしてまずかったか……? 手を出してはいけないここらの元締めだったとか……」
 先刻までの、ためらいなく人の命をうばえる戦闘機械は、もうそこにはいなかった。
 自分を助けてくれた恩人の危機に、とっさにいつものように対応したのだが、ここ何日かで自分の無知無力を思い知ったあとだ。命令に従ってさえいればよかった時とはちがう。事情のわからない状況に対するとまどいが顔を見せていた。
 むしろその姿に、マリアはほっとしたようだった。リンスゥを安心させるかのように、ことさら明るい声で答える。
「ううん、だいじょうぶ。そこまでおおごとにはならないよー。ありがとう! 強いんだね! びっくりしちゃった。私と同じタイプなのかと思ってたから。……そうだ!」
 そしてぱっと顔をかがやかせ、マリアはリンスゥの両手を取った。
「ね、ね、もしかして、行くあてないんだよね? だったら、うちに住み込みでどう? ウェイトレス兼用心棒ってことで! ああやって、ちょっかいかけてくる連中が他にもいるんだよー。シロさんいると、ああ見えて意外にやる人だからいいんだけど、おばちゃんと私だけだと心許なくてさー」
「え……でも、いいのか? 会ったばかりで……」
「いいよ、いいよ、そうしなよ!」

「何をそうするんだ?」

 男の声が問いかけた。
 その声にみんながいっせいに振り向く。
「シロさん!」
「おお、シロウ、お帰り!」
 戸口にはひょろりと背の高い、ちょっと猫背気味の男が立っていた。
 だが、先ほどとはちがい、周りの反応は好意的だ。
 いくどか名前の出ていた「シロさん」は、どこかとぼけた表情で、力のぬけた感じ。無造作な髪型、ラフな着こなし。なるほど、ああ見えて、とマリアが言ったのもわかる。
 よく見れば、顔の造作は整っている。通った鼻筋にすずやかな目元。ぴしっと居ずまいを正せば、かなり印象はちがうはずだ。逆に言えば、それだけ雰囲気でだいなしにしているということで、確かに先ほどのような荒事を収めるときに、たよりになりそうには見えない。
 シロウは、興奮して今起きた出来事を話すマリアの言葉に耳をかたむけていた。時折ちらりとリンスゥに目をやる。
「……というわけなの! この子すごいんだよ! やとってあげようよ!」
「ふーん……。おばちゃんはいいの?」
 厨房奥の女性に声をかける。先の騒動の時、リンスゥは視界のはしでこの女性が刃物を取り上げたのをとらえていた。大きな声を出すことはなかったけれど、あのままマリアの身が危なくなっていたら、修羅場も辞さなかったはず。無口だけれどかなり肝が据わった人物のようだった。
 そしてそれはリンスゥという存在に対しても同様のようで、そっけない返事が返ってきた。
「それはあんたの決める事。あたしゃ別に構わないよ。ただまあ、ほとんど食事と寝床だけだからねえ。給金はろくに出ないけど、その子はそれでいいのかね?」
「あ……そんなのは、私……」
 食事と寝床だけというのは、組織にいた時も同様で、リンスゥにとってはそれで十分ありがたい。そう伝えようとした時。

「でも、だれも素性を聞いてないんだろ?」

 シロウが周りを見回す。リンスゥはきゅっと身がすくむ思いがした。昨日からリンスゥを悩ませている問題点が、やはりここでも顔を出した。
 リンスゥはクローン。人間ではなく、道具としてあつかわれている。道具は、当然誰かの所有物のはず。そうでない場合、何かの不都合があるのは目に見えている。
 訳ありなのがわかっている身元不明の不審者を、誰がやとおうと思うだろうか。
 そんなリンスゥをマリアがかばった。ぎゅっと抱き寄せて力説する。
「この顔してる人に悪い人はいないんだよ! 同じ人のクローンなんだから!」
 同じ顔を並べて自信満々。だが、残念ながら論拠としては弱い。シロウは苦笑いして答えた。
「わかった、わかった。ちょっと上、来てくれる?」
 そう言ってマリアをなだめ、リンスゥに手招きする。出自に対する疑問を口にしたシロウだが、その口調からは特に害意は感じられなかった。持って当然の疑問なので、それを一度問題にしながら気にしていないのは、不自然のような気もする。
 真意がどこにあるのか、わからない。
 こうなるとシロウのとぼけただらしない雰囲気が、本心をさとらせない隠れ蓑にも見えてくる。
 自分の知らない世界が世の中にはたくさんあるということを、現在痛感しているリンスゥだが、逆に言えば、身の回りの世界だった裏社会のことはよくわかっている。そこでは人間は、何もないような顔をしていても、常にその裏に欲望や敵意を持つ存在だった。
 マリアはどうやらいい人で、周りの人たちもそう。その人たちが信頼しているシロウもまた、一見そのようには見える。だが、真意がわからぬ相手には、警戒を解くことはできない。
 けれど、ここで抵抗するという選択肢も、真意がわからないだけに選べない。せっかくのマリアの提案をむだにすれば、また行く当てがなくなってしまう。警戒しながらもリンスゥはうなずくしかなかった。
 シロウに連れられ、リンスゥは店の奥の階段を上がる。マリアが心配そうに見上げている。四階まで上がり、廊下の奥の薄暗い部屋へ案内された。
 入ってみると、そこには何に使うのかよくわからない機械が、ところせましと並んでいた。
 部屋自体は広いようだが、なにしろ物が多くまっすぐ歩くスペースもない。窓も機械でふさがれてしまい薄暗く、まるで洞窟のようだ。すみには寝床もあって、どうやらここはシロウの私室。ただ、そこも片付いているとは言えず、ごちゃごちゃと、渾然一体の体を成していた。
「ちょっとそこにいて」
 部屋の中央、比較的散らかっていない所を指される。リンスゥは、無造作に床に落ちている何かの部品をふまないように移動して、そこに立った。
 シロウが手元のタブレットをいくつか操作する。
「ふむ……SYR-02-04のシリーズ、製品No.105028。戦闘用に調整された個体か」
「えっ」
 リンスゥはおどろいた。クローンである事は、よくいるこの顔を見ればわかる。だが、シリーズ内の細かいバージョンや、さらには製造ナンバーまでは、わかるはずがない。
 リンスゥのおどろきをよそに、シロウは机の上のいくつかのモニターものぞきこむ。ホロでも仮想キーボードでもない、ごてごてとしたモニターにクラシックなメカニカルキーボード。それは古めかしさよりむしろ、この部屋の混沌としたあやしさに拍車をかけている。
「購入者はフェイ・ウォンピン……ああ、何日か前に、突発的な抗争があったな。あれでつぶれた組織の首領か。ということはそこから逃げ出して……いや、そう言えば、あの抗争はフェイの組織での仲間割れがきっかけだってうわさだな……ふうん」
 つと横目でリンスゥを見つめた。その目がきらりと光ったような気がした。わきのテーブルの上から、ごつごつとした、筒に取っ手のついた道具を取り上げる。
 見たことのない型だが、銃では……?
「このままだと……仇討ちに巻き込まれるかもな……」
 ただ者ではない気配が、シロウから立ちのぼった。マリアの言った、ああ見えてシロさんは意外にやる人だ、という言葉が重みを持ってくる。
 リンスゥは警戒レベルを上げ、すっと腰を落とした。
 ここの人たちにはお世話になったし、乱暴な真似はしたくない。
 ただ、無抵抗でやられるわけにもいかない。相手の力量はわからないが、何とか傷つけずにこの局面を切りぬけられれば……。
 背後に手をやった。それは身体に染み付いた、無意識の動き。だが、着がえた後のエプロン姿であることを、リンスゥは失念していた。
 いつもそこにあるはずのナイフは、なかった。
 はっとしたそのほんの一瞬、リンスゥの注意がそれた。その瞬間、シロウが素早い動きを見せた。
 気がついた時には、背後にするりと回っていた。
 首の裏に銃を突きつけられる。
「しまった!」
 バチンと、電流がリンスゥの身体を走った。

〈第4話へ続く〉

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