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ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい
一人で暮らしているお家の中でベッドや机の角に小指をぶつけて一人静かに悶え苦しんでいるとき、人生について考えてしまう
人前で派手にすっ転んだ時も同じく人生とは、と考えてしまう
たとえば誰かと一緒にいる時に小指をぶつけたら
「いた〜い!ぶつけちゃった〜!えへへへへ」
みたいに痛いという感情を共有できるから、物理的な小指の痛みはあったとしても、精神的なダメージは一瞬で軽減することができる
だがしかし、ひとりの時に小指をぶつけたりすっ転んだりしたときは、ひとり大人しく無表情で無言のまま心の中で
"あぁ…い、いたい…うぅ…いたい…ひぃ…ふぅ…"
となんとか痛みが静まるのをなるべく平然を装って待つしかできない
そして物理的な痛みがなくなったあとも心が痛い痛い…なままなのだ
ひとりであることをこれほどまでに実感させられる瞬間ってないよ
ちなみにわたしは人前で派手にすっ転んだとき、擦りむいた所と心が痛い痛いなのに何事もなかったかのように無表情を貫き一刻も早くその場を立ち去り
わたしが派手にすっ転んだところを見た人がいない所まで移動してからさりげなくしゃがんで患部を確認する
そしてふたたび無表情で平然を装い、歩いてゆく
子どもは痛いときに痛いって言えて大声で泣けて慰めてもらえて、いいなあ
大人は体や心に痛いところがあっても平気なフリして人に気を遣わせないようにしていなきゃいけないんだもの
痛いからって痛〜い!って泣いてたら外来種を見るような目で見られてしまうもの
大人だって痛いときは泣きたいし慰めてほしいのにね
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