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父と息子の乾杯

 声が段々大きくなってきた。世情や世間に対する何かしらの不満をまくしたて始める。
 うおおぅ……って、今なら飛沫が気になるところだ。

 20年ほど前。私たち夫婦にまだ子供がいなかった頃、夫の実家を訪ねると、昼にも関わらず義父はお酒を口にし、そんな風になった。
 帰りの車の中、「あれでもまだマシになった方なんだ」と、夫は時々言っていた。


 息子ができてから、義母が気を付けてくれていたのか、或いは義父も年齢を重ねて以前ほど飲めなくなってきたのか、そういうことはなくなっていた。
 それでも夕方になれば、義父はアルコール類なら何でも飲んだ。何かをまくしたてるようなことはなかったけど、不躾な物言いで、夫と顔を合わせれば言い合いになりやすかった。
 いつも穏やかな「父さん」が、カリカリして時には「怒って大きな声を出す」と、息子がビックリしていた。


 息子が幼少期、私にとっては「そんなところで?」と思う場面で、夫がイライラしているのが、表情やとげのある言葉でわかった。当時、結婚して10年近くで、ようやく少しずつ夫の育ってきた家庭環境を知る。話す度に少し気が楽になるようでもあったし、でもあまり話したくないようでもあった。
 私も当時は、自分自身の親に不満を抱えていたけれど、夫のそれは私の比較ではなかった。
 義父から影響を受けたイヤな部分が、無意識に顔を出してくると、私と喧嘩になる。自分で気づいた時には、義父のせいだと静かに憤り、息子に負のバトンを渡すまいと頑張ってきていた。

 2年ほど前、義父は肝臓の病気で亡くなった。

 それについてどんな思いかを、あまり聞き出してはいなくて、今も夫の気持ちを、よくはわかっていない。きっと心温まるような思い出の幾つもあったはずなんだけど。辛い思い出の方が上回ってしまっているかもしれないな。いやがるからあまり聞かないし、夫も自分から話してこない。


 でも実は夫も、アルコール類が大好き。

 日本酒もワインもビールもウィスキーも。やっぱり何でも飲む。
 ただ義父と違って、大声を出してわめいたり、不躾になったり喧嘩になったりしない。
 多く飲めば、いつもより少しだけ雄弁にはなる。
 その後、寝ころび、「パトラッシュ、僕、なんだか眠くなってきちゃった」と「フランダースの犬」の台詞をまねる。そうやって、ちょっと悪いおふざけを言って寝始める。


 夫婦の記念日には、何かを贈り合う習慣はないけど、夫は自分がよく行く店に連れて行ってくれる。落ち着いた居酒屋だったり、バーだったり。そこで乾杯して祝う。
 夫は、店員さんと既に顔見知りになっていて、お酒についてあれやこれやと論じている。
 ここ1~2年は、クラフトビールにすっかりハマっているので、私が横にいても、店員さんとビール談義に忙しい。中でもお気に入りの店があって、息子かと思えるほどの若い店長さんと、楽しく話していた。
 私には「これ、面白い味だよ」「この味、どんな風に感じる?」一口で良いからと勧めてくる時はあるけれど、自分へのお酌は嫌う。「そういうの、良いから」「自分のペースで飲ませて」と言う。元々、気が利かない私はその言葉にホッと安心する。ごく稀に気が付いても遠慮してしまう性分だし、気を使わないで良いと最初からわかっていると、とてもラク。私と飲んでいる時の夫は、イヤな感情を見せたことがないから、楽しそうだなあとその横顔を見る。

 以前、私の父と兄が、互いの仕事帰り、待ち合わせて飲みに行った話を羨ましそうに聞いていた。「かせみどんのお父さんがお酒を飲む時は、穏やかで良いね」と言う。
 「お義父さんとは外で二人で飲まないの?」と昔、一度だけ聞いたけど、「外であの人と飲むわけないじゃん」で、私も納得。

 穏やかにお喋りをしながら、自分のペースで飲み、静かにご機嫌になる。それが夫のお酒の楽しみ方。自分の父親と、そんな時間が叶うことはなかった。
 

 そしてこのご時世。

 ビール談義で盛り上がっていた若い店長さんは、今年の2月、東京で武者修行してくる、と一旦こちらの店をたたんでいる。
 「あの人、どうしてるだろうか。大丈夫かな」
 他のお気に入りの店も「やっていけるのかな」と、テイクアウトで応援する。
 家には、夫が注文したクラフトビール缶が時々、段ボールで届くようになった。こまめに自分で冷蔵庫に入れておき、夜になるとパシュッと開けて、とくとくとグラスに注ぐ。私はあまり飲まないから、時にはビールの話もしたいだろうなあと夫の気持ちを想像する。そして、夫の眼差しの向こうにいるお店の人を思う。

 コロナの騒ぎがおさまった頃には、今年18歳の息子がそろそろアルコールを飲める年齢になっているだろう。
 「〇〇(息子)が20歳になったら、大学の近くで待ち合わせて、一緒に飲むんダ」と夫は楽しみにしている。

 念願の、父息子での穏やかな乾杯ができるんだろうね。
 その時には何を話すのかな。
 気分良くなって飲み過ぎないようにね。
 あと、時には私もその乾杯に加わるからね!


#エッセイ #父親 #息子 #ビール談義 #ビール #また乾杯しよう


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。