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自分の「感覚」が心配になる瞬間があるんだけど

 ああ。まただ。もおー……この感覚。しょっちゅうだ。
 良いの。自分の感覚を信じていれば。その方が幸せなんだもの。
 って言い聞かせる。何度も。何度も。

 いえね、全然深刻なことじゃないんですの。

 自分の文章、出した記事に大して納得していなかったり、思い入れがなかったりしても、「何故だか」ウケが良い時がある。まあまあある。テーマがキャッチ―だったのかな。私が読むから読んでくれるのかな。とかもあるけど、ごくまれに、取り上げられる記事に「えっ。ホント? ありがとうございます! 嬉しい!」って思いつつ「そんなに良かったかな」も、どうしても頭をかすめる。
 もちろんその逆も。ああ気分良く書けたわあ! 良かった良かった。と思っても「あれっ?」反応が悪い……。なんてのは、これは、まあまあどころかしょっちゅうある。

 人のを読んでいて、めちゃめちゃ良いわ! って思うのに、その人の中でもスキが少ない時もある。
 さらには、スキがすごく多くて、人気出そうな書き方や内容でも「えっ。私はそうでもないなあ。そんなに良いかなあ?」とか思っちゃうのは、ひねくれているのだろうか。でもウーン……ここ気になっちゃうんだもん。て時もあれば、そんなのまあ良いのだ、すごく良かったから! って時もある。

 いやあそんなの各個人の感覚で良いって、もちろんわかってるんだけどさあ。時々自分の感覚が、おかしいのかなと思ってしまうのよ。
 正解なんかないんだってわかっている。
 でも。

 時々自分が心配なのだ。

 自分の文章でも、「それを褒めてくれるなら、いやあこっちの方が良いでしょ」って、自分で書いていて思うのは、多くの人が経験あるだろう。
 良いかどうかなんて、受け取る側が決めるのだ。それに、自分が気分良かったら、評価されなくても私は納得づくなのさ。
 でもさ。

  ……。

  まあ仕方がない。自分の感覚を今後も信じていくしかない。


 時々心配になるのは以前からで、その都度「まあ自分の好みだから」で済ませているのだけどー。たとえば昨日の記事なんか、消したいくらい納得していなくて、あまり好きじゃない。私はなに様なの。なんでこんなこと書いているのって思っちゃって。そんな納得できないで、スキが少ないと、そりゃあ消したくなる。でも記録として残しておきたくもあるし。そんなに多くついていないのは、「そうだよね。私もそう思う」で仕方ない。ただ、それでいて、だーいぶ前に上げた、自分ではすごく好きな記事と、「スキ」の数が同じくらいなのだ。数に惑わされないって常々思ってはいるけど、自分の思い入れのある記事と、好きではない記事との数が同じくらいってさ。どうなのよ。

 でも今、書きながら思い出した。昔、奥田民生の「マシマロ」って曲がヒットした時。本人が当時、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで呼ばれて「う~ん。あれがねえ……わからないもんだなあ」って言っていたのを。当人の好きな曲も、知った時に、私としては「へぇ~……そうなんだ」程度だった。「わかるなあ!」「そうだよねー!」ってならなかった。

 あ~難しいなあ。

#エッセイ #文章 #感覚 #難しい #消したい

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。