今どきのレジ、すごいんだけど…

 スーパーで、店員のいないレジに並び、自分でバーコードをあてる。

 初めてコレを見た時、ほんの少し尻込みした。できるのかなあ。

 でも上手くできなくても、「お店屋さんごっこみたいで楽しそう」の好奇心に勝てなかった。いや、むしろ店員がいない方が私は気がラクかも。

 店員さんと、互いの失敗でキャッキャと笑い合っていると、自分のことを「おばさんになったな」と実感する。レジでのやり取りは、まんざらでもない。ちょっと楽しいくらいだ。

 それでも店員を通すより気がラクなのは、気質的なものだろうか。1万円札を出す時の申し訳なさ。「今日はやたらにお菓子を買うんだ。と思われていないだろうか」という自意識過剰。「今日はサボる気満々なのね。と思われていないだろうか」と数々の惣菜購入する日のうしろめたさ。体調悪いんだから、でもスーパーには来れるのねって程度の、言い訳を必死で頭で思い浮かべながら自分を納得させて。
 何でお金払うだけで私はいちいち疲れているんだ。

 そんなだから、自分でバーコードを読み込ませて、カバンに入れる作業は苦にならない。
 でも一度入れた物が倒れたりして置き直すと「店員が来るのでお待ち下さい」の画面が出て店員を呼ぶ羽目になったり傘を立てかけたままでいるとそれが反応していたようで「店員が来るのでお待ち下さい」の画面が出て店員を呼ぶ羽目になったりビニール袋を取り出すのに手間取って……もう良いですね。
 お手数かけてほんと申し訳ないです、店員さん。

 あと、レジによっては「お釣りとレシートをお取りください」の声が大きすぎて、大きな音が苦手な私はものすごく焦る。
 は。早く! 早くお釣りとレシートを取らねば!!! って。


 それから次に驚いたのは、〇クロのレジだ。
 カゴや商品を、キッチンの流しみたいな所に置くだけで、合計金額がパッと表示される。

 うおおおお、ゴイゴイスー!!!

 って、誰も使ってないであろうダイアン津田の「ゴイゴイスー」が頭を駆け巡る。
 ゴイゴイスー……ごいごいすぅ……。

 頭の中で繰り返して静かに興奮しながら、お金を払う。

 そしてこの前。
 ツ〇ヤで、スケジュール帳を買った。
 スケジュール帳はアナログ。こだわり抜き、一時は自分で作り、それも疲れ、行きついた先がすごくシンプルなもの。デザインや色を選び、書き込み、ページをめくるのが、スマホで見るスケジュール帳より好き。
 その日、気に入ったスケジュール帳を選んでゴキゲンになり、レジに向かった。
 そしてたじろいだ。

 そうだ。ここも無人になったのだった。

 何か月も前に一度、店員さんに指導を受けながら、その機械で支払いを済ませたことがある。
 でももう忘れた。スーパーのレジなんかとシステムが違う。
 とりあえず画面に従っていく。
 少し離れたレンタルコーナーのレジでは、店員さんが接客している。

 ちょこちょこ間違えて、戻ったりしながら、支払いを終えてホッとする。

 なんだろう。
 いつもと違う感覚。

 「寂しい」。

 考えてみたけど、誰もいない感覚が寂しかったのかもしれない。スーパーも〇クロも、店員さんが近くにいて、困った時には声を交わせる。不具合があれば「すみません」と恐縮しながらでも呼べる。
 ツ〇ヤは誰もいなかった。遠くに、接客している店員さんが確認できただけ。

 都市では、まったく無人のコンビニだとか小さなスーパーだとかができ始めている。「まったく無人ではありません」と言う。品出しする人や、店の裏に必ず誰かがいるのだと。カメラも数十台もあって万引きの心配はありません。と言う。

 いやそうじゃないんだよ。万引きとかの心配だけじゃないのだ。私のようなアラフィフで機械に疎くて恐縮しやすい人間が、尻込みする。それでも今のところは好奇心とか、買うぞの気持ちが強いからとかで頑張って挑んでいる。
 だけど、もっと年上の方たちはどうだろうか。或いは自分が歳を重ねた時に、たじろぎ過ぎて、そういう店に入らなくなっていき、そのうち買い物自体が億劫になってしまわないだろうか。それに高齢になった私は、ボンヤリしていると、間違って万引きしてしまいそうだ。そんなつもりはなかったと主張したところで、高齢だと信じてもらえないかもしれない。今でさえ、手に持つエコバッグをカゴと間違えないか、やっぱり不安になる瞬間がある。

 人と言葉を交わす場面がまったくないのを前提に店に入るのは、高齢の人たちにとってどうなんだろう。レジ操作が自分でできて当たり前って社会は、どう見えるんだろう。


#エッセイ #レジ #会計 #無人 #心細い #たじろぐ


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。