映画館で寝ちゃうなんて
ツイッターで、「寝落ちした映画を正直に言う」が上がっていて、笑いながら読んだ。
自分が観た映画は、せっかくだから否定的な言葉は使いたくない。観た人それぞれの解釈を楽しむのが映画の醍醐味。それに作った側のご苦労や、それにかけた気持ちや過程を考えると、そりゃ想像を超えているにしても、とてもじゃないけど、批判ができない。
でも「娯楽映画で楽しかったわ!」ってそれ以上、特に感じるところがなければそのままになっちゃう時もある。
本当は、「嫌いだったわあ~」って映画もまあまあある。名作も含まれているので、内緒。
怖いのは観ないようにしている。でも予期しなかった恐怖シーンを目にしてしまうと「観なきゃ良かった」と思ってしまう。後味悪いのも「そりゃそうなるものかもしれないけど……」と不満に思ってしまう。
それをうまく取り上げられないので、ごく親しい身の回りの人にコッソリ言うだけにしている。
そんな考え方を踏まえてだ。
それでも「寝落ちした映画を正直に言う」に笑った。
「正直に」がこの企画の言葉選びの良さ。微笑ましくなるようになっている。
皆さん、控えめに「ごめんなさい」の気持ちが垣間見えるからだ。
あんな映画のどこが良いんだよ! -って殺気立った雰囲気はなかった。いや中には、「何が良いんだよ」って荒々しく書いている人もいた。「良さがわからん」「退屈」て開き直っている人もいる。にしてもなのよ。
ほとんどの書き込みに、「ごめん。多くの人を敵に回すと思うけど」などと「自分の好みに、どうしても合わなかった」の申し訳なさが滲み出てほのぼのしてしまっている。
けっこうな名作なのに。
けっこうな人気なのに。
どうしても眠気に勝てなかった。
そんなつもりはなかったんだ。
***
時はこの2月。
まだ緊急事態宣言が出る前で、でも映画館に行くのをためらい始めた頃。
私は更年期によるものだと思うけど、ここ数年の間に度々ある「ダウン」の最中だった。起き上がれない。家事もできない。座って作業するのがやっと。
夫は、食事を買ってきてくれるなど、仕事前後に家の最低限を回してくれる。
出張もまだあった頃だったし、仕事のために土日とて休めるわけでもなく、「ストレスたまる!」と、時間あれば映画観に行きたがる。
私はそれ以上体調が良くなるわけでも悪くなるわけでもなく、ただやり過ごすばかりなので、好きなことしておいでと促す。
その日は、夫が念願だった「キャッツ」を観に行った。
芳しくない評判は見聞きしていた。
それでも「僕はミュージカルでも‘キャッツ’を観たことがないんだ。教養として知っておきたい」と言って、山越えして映画館に臨んだ。我が家は田舎なので、映画館は、東西南北、山越えしないと映画館にたどり着けない。
約5時間後、帰宅。
「寝ちゃった」
が一言目だった。
映画館で、上映中に寝たのは初めてだったそうだ。
「まずね、映画館に他に1人もいなかった。だから僕の独占状態だよ!」
「暗がりで一人。リラックスもしちゃうよね」
言い訳が続く。
「起きた時、ストーリーはつながったの?」と聞くと「大丈夫だった。多分15分くらいだったんだと思う」。
ちょっぴり、しょぼんとして見せてくる。
「でもあれはね、舞台で観た方が良いのかもしれない。CGが過ぎた! CGのすごさが……」
控えめに、でもだんだん鼻息荒く「そんなつもりはなかったのに」を主張し始めている。
顔の、人間の部分と猫の境目がうまく加工され過ぎて、不思議な気分になったのだと。
「人間を観ているのか、猫を観ているのか、顔を見てるとわからなくなってきて。二足歩行だったり四足歩行だったりするしさ。どっちなんだよって。しかもね、服を着ている猫と着ていない猫がいるんだよ。服を脱いで歌い出すシーンを観るとさ……服を脱いで……ってさ。……裸? って思うじゃない? 裸になって歌い出したのか? いや待てよ。この猫が裸になったってことは、他の服を着ていない猫は裸なのか? ってもう雑(ざつ)情報が画面にあふれててさ!!!」
玄関でまくしたてる夫に、お腹を抱えて笑った。車の中で一時間以上、この気持ちを温めていたのかと思うと余計に面白い。
もちろん、批判やバカにしているのではないのよ。
夫は「でもね。観て良かったよ!」と、さわやかな表情で締めくくった。
それを二人で、思い出しながら話した。
ツイッターに並ぶ名作の数々。そりゃそれぞれ好みはあるけどさ。
「結局、どんな名作でも、その人が疲れてたら寝ちゃうってことだよね」
夫も私も映画が大好きだ。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。