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私の出産体験

 出産に備えて、陣痛が来ていた中、ラーメンかきこんだmozuさんの絵を見て笑ってしまった。

 「ぐはっ」とか「でも、食べとかんと」という言葉や、横で心配するダンナさんの絵に笑いながら、私もそんなもんだったと思い出した。わかるわかる。しかもそのためにガツガツ食べたのに、早く済んじゃったっていう……。懐かしい。もう16年以上前のことになる。

***

 もういつでも出てきて構わないという重さになっていた息子。予定日より、1週間早かったが、そろそろだと思っていた。

 その日は夫が休日。二人でスープカレーを食べに行こうと話していて、目星をつけていたカレー屋に向かった。数日前から胃がつかえるようなムカムカに度々おそわれていたので、あまり楽しめず無理して食べた。でも夫と二人きりの休日は、しばらくないだろう。欲張った私は、夫の心配をよそに無理矢理、大通駅周辺の地下街を楽しむことにした。9~16分間隔で痛みがきていた。初産だから「7~9分間隔になってから来て下さい」と言われていた。まだだなと思っていた私は、時々地下街で立ち止まり、柱に片手をかけ、いつか見た‘猿の反省ポーズ’で痛みをこらえ、痛みが過ぎたらまた歩く。
 帰宅すると、少量の出血があったため、産婦人科に電話したら「来てみますか?」と言われて、病院に着いたのが6時半頃。

 調べたら、9~16分と思っていたのはどうやら7~9分間隔だったらしい。
 先生が来て「子宮口があまり開いていないから、まだだと思うよ。でももういつ入院したら良いかわからないでしょ? 入院しちゃうか」「明日の午前中くらいかなあ」とか呑気な調子で言う。
 それを聞いた夫は「じゃあね~」と言って帰っていった。

 そのうちウトウトし始めた。夢に赤ちゃんが出てきた瞬間、腰の辺りでゴトン! と音がして目がさめた。破水していたようなので、看護師さんを呼んだ。時計を見たら、9時過ぎ。

 そこから急に強い痛みがやってきた。

 その日は分娩室に既に何人かいたようで、私はまだ待機部屋にいた。私の隣りのベッドにも「陣痛かもしれない」と言う女性が付き添いの男性と共にいた。
 10時過ぎ、痛みが辛くなってきて、「夫を呼びたいです」と訴えた。
 「まだだと思うんですけどねえ。まあでも不安なら呼びますか」と言われて呼んで、10時40分頃、夫到着。
 ところがその頃、子宮口がだいぶ開いていて、看護師さんや助産師さんたちを慌てさせた。

 妊娠していた頃。母親教室や父親教室に出ると、出産シーンがビデオで流れた。妊婦さんの呼吸の仕方。痛みの逃し方。それを見ながら「こんな風に私も出産するんだろう」と思っていた。
 でもどうやら私は違うパターンのようだ。
 激痛がおそってきて、その度に「いたい~~!!!」「うお~~~!!」と声をあげずにいられない。
 その度に夫の手を取り……二人は見つめ合って愛を確かめあった。

 なんてことにはなりませんよね。そういう人もいるのかもしれませんが。
 私はその度に夫の手を取り、お尻の上辺りに「ここ!!」「違う! もっと上!」と、ギュウギュウその辺りを押すことを指示した。(これ、大事)

 ずっと痛いわけでなく、痛みが引くと、信じられないくらい通常の状態に戻る。昼間にがっつりカレーを食べた私だったけど、痛みが引く一瞬を狙い、夫の買ってきた菓子パンを貪り食った。陣痛が来てから、1日2日かかるという人もいるではないか。食べれる時にエネルギーを蓄えよう。
 そんな風に、痛がる時と平常時のギャップの激しさが可笑しかったのか、夫が私の、パンをかっ喰らう姿を写真に撮っている。そしてまた激痛になると、私の「うお~~~!!」が始まる。看護師さんが飛んできて「落ち着いて」「痛みを逃して下さい」とか言う。いやいやいやいや。耐えられませんよ。ビデオの人たちみたいに静かになんかしていられない。噂には聞いていたけど、こんなに痛いんですか?!

 後から助産師さんや看護師さんに言われたのだが、急に子宮口が開いてしまったために、徐々に痛くなる過程が省かれたらしい。通常のペースで陣痛が進んでいくより激痛に感じたのではないかと。私の大騒ぎをフォローするために言ってくれたのかもしれませんが。

 もう耐え難い!!!
 ……と思っていたら、隣の妊婦さんが私の声に恐れおののいたようで「なんだか痛みが引いてきました」と言う声が聞こえる。私の騒ぎっぷりに引いているんだよな。
 わかっていても、声を出していないと力が入ってしまいそうで耐えられない。いきみなさいと言われるまで力を入れてはいけない。

 しかもお腹の中にいた息子、こんな激痛の時でもお腹を蹴っている。

 それまでの妊婦時代が走馬灯のように駆け巡る。苦しかったつわりも、眠ってばかりいた時期も、機嫌が悪かったあの頃も、今から思えばなんと穏やかな日々。今やもう腰から下が自分のものでないようだ。
 
 もうダメかもしれない(そんなことはない)と思った頃、分娩室に呼ばれた。
 痛みが引いた一瞬を狙ってよろよろと歩いた。
 それが激痛で騒ぎ始めてから一時間も経っていない。11時半。

 そこからはもう痛みの地獄が今まで以上に断続的にやってきた。いきんでと言われるまで力を入れてはいけない。何度も注意されるけど、痛すぎてつい力が入る。必死で逃そうとしていると気を失ってしまった。ぺちぺちとほっぺたをたたかれて目をさます。私は酸素マスクをつけられ、夫が肩の辺りでのほんと立っている。ように見える。
 でも私には、よく聞かれるような「横にいるのがうっとうしい」とか思えない。視界の中に入るだけで心強い。この緊迫した瞬間、痛みに耐えがたくて飛び降りる窓を探したという知り合いもいる
 そのくらい過酷な状況で、立ち合い出産をさせない奥さん方を、なんと強い人たちではないかと思ってしまう。夫よ、そのままそばについていてくれ!!!
 心の叫びが聞こえているのかいないのか(聞こえていない)、夫は、「ふーふー」と呼吸を整えさせようとしながら、手を握って私の汗を拭いてくれていた。

 そして、一度ここnoteで書いたことのある「あっ……肩がひっかかってる」。半笑いの助産師さんの声がする。そうか。肩幅は夫に似たようだ。もうろうとした中、私は夫の肩幅が何かで鍛えたとかではなく、遺伝によるものだとこの時知るのだ。

 深夜0時半過ぎ。
 息子は元気に生まれた。
 激烈に可愛かった。
 抱っこした息子は、お腹の中にいるのと同じように足を動かしてグニグニと私のお腹を踏んだ。嬉しいのか感動したのかよくわからない。可愛い泣き声と、私には可愛く見える顔を見て、緊張が解けたのだと思う。何だかわからない感情で涙が止まらなかった。夫は「えっ。もう?」と呆気に取られて立ち尽くしている。
 体力勝負のはずの出産は、激しかったものの、あっという間に終わってしまいました。スープカレーとパンを、あんなに無理してガツガツ食べたのに。

 このころの気持ちを忘れはしません。生まれてきてくれてありがとうという気持ち。激烈に可愛いと思った気持ち。息子の誕生日には、毎年毎年この経験と気持ちを思い出します。

 ちなみに退院してからの初めての外食は、スープカレーであった。どうやら私はカレーが好きらしいと自覚した出産前後。


#エッセイ #出産 #カレー好き  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。