愛ってなんだろうな、のはなし

特に何があった訳ではないのですが、最近思ったことです。

愛ってしっかり密度が高い固形物というイメージがあります。一度形が出来たら消えずにいつまでも残るもの。さらにポジティブなもの。普遍の愛や無償の愛と枕詞がつくように気軽に踏み込んではいけないもの。世間一般にある愛・愛するという行為はとても尊い印象です。

でもきっと愛って、瞬間的で気軽なものなんだと思います。

例えば「おわー、空めっちゃきれいだな!」と思った時にポワっと浮かんで次の瞬間には消えるもの。そしてそれを誰か(隣で手を繋ぐ恋人、一緒に下校する友人、遠くに住む父母、膝の上の猫などに「ねえ空めっちゃきれいだよ」と分け合おうとする行為が愛するってことなんだろうなと思います。

すぐ消えちゃうからシェアを続けることが大事なのかなって思います。

「このハンバーグめっちゃうまい」「あの花きれい」「この毛布柔らかい」とかは別に誰にシェアしなくてもいいんだけど、思わずだったり意図的だったりしながら「ハンバーグうまくない?こっち食う?」「花きれいだね、一緒に写真とろっか」「毛布気持ち良くない?もう寝ようよー」とかシェアする…を繰り返していくことが、愛を続けていくってことなんでしょうね。

そういう体験を「無理だけれどもう一度」と憂いたり「またしたいな」と希望に思ったり、どう捉えるかはシェアの繰り返しによって毎日発生するマルチエンデイングのようなものですよね。きっと。

こんな時間だから、こんなこと言ってみたりして。


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