見出し画像

一匹狼  『逆転の旗を掲げ』

 得物は、トンファーだった。

 この武具は、拳から肘までをガードできる。そして、攻撃にも使える代物だ。
よほどのことがない限り、南野悠太はこちらから仕掛けることはしない。ただ、売られた喧嘩は必ず買う。相手が卑怯な手を使ったときは、また別だ。今回もそうだった。

「案の定だな……」悠太は呟いた。

タイマンだと言って吹っかけてきやがったくせに、5人だと……。
「先輩……。一対一の勝負だと言ったじゃないですか……?」悠太が言っても、向こうはなしのつぶてだ。

あいつが高山だな。悠太は狙いを定めた。武器のトンファーは、左腕の裏側に隠れているようだ。やつらはこの武器に気付いていない。

「本当に一人で来るとはな。しかも、素手でやんのか?」手下らしい奴が挑発する。

素手でもいいんだぜ。お前なんか一撃だ。ただ五対一という圧倒的不利を打開するには、作戦はひとつしかない。
悠太は、目の前の黒い集団に対して、予兆もなしに猛然と突っ込んだ。


 クラスメイトの小林誠也が、上級生に絡まれたのは一昨日のことだった。下校中に、金銭を巻き上げられ、抵抗した時に暴力を受けた。顔を腫らして歩いている誠也を、悠太が偶然見つけたのだ。

「どうしたんだよ。その顔」

 悠太は、いつも調子で笑いながら誠也に声をかけた。誠也は、おとなしい奴だった。クラスでもよく、ちょっとしたいじめの対象になったのだ。

 悠太とは気が合った。というより、誰とでも分け隔てなく付き合う性格は、悠太の最大の特徴である。悠太には独特の基準があった。基準というより、価値観といっていい。卑怯なこと、裏切ること、高圧的なこと……そんなことが、何より嫌いだということだ。誰にでもある感情だが、悠太は人一倍許せない感情を持っていた。特に、実力もないのに威張り散らすやつ……。そんな奴は、返り討ちにしてやる。

 誠也は言った。
「お小遣いを取られた。相手は2年生だ。突然絡まれた」

「その顔は?」

「俺だって少しは抵抗するさ。そしたら、やられた」

「何人いたんだ?2年生の誰だ?」

「相手は4人だった。一人の名前は分かる。高山康夫。ほら、親が建設会社の社長やってるヤツ」

「ああ、あいつか……」

 悠太は、駄菓子屋を見つけて駆け込んだ。アイスキャンデーを2本買う。

「まあ、食って落ち着こう」

 誠也はにっこり笑って「ありがとう」と言いアイスキャンデーにかじりついた。

 6月である。入学して2ヶ月学校生活は、それなりに楽しかった。ただし授業以外のことだ。悠太は授業中、起きていた試しがない。なぜなら夜アルバイトをしているからである。

 当時は金銭的に困っていたわけではなかった。ただ、親からお小遣いをもらうことが、自分自身に許せなかったのだ。

 肥後中央工業高校鉄道科。悠太が4月に入学した学校である。当時、素行の悪い少年が通う学校として地元で有名だった。

 悠太は決して、望んで高校に行ったわけではなかった。なんとなく……そんな感じだった。特に大きな夢があるわけでもない。目標もなかった。生きる目的さえ分からない時もあった。

 悠太は歩きながら、隣で並行する誠也の顔を見つめた。左目こめかみ付近が赤く腫れている。誠也は言った。

「いつも俺だけやられるんだよな……」

「巻き上げられた金。俺が取り返してきてやるよ」

「いいのか?でも相手は4人だぞ」

「関係ないさ。何人いようと……な」

 悠太の家は、小さな印刷会社を営んでいた。仕事は、大手の印刷会社からの下請けが主である。 帰宅した悠太は、真っ直ぐに部屋に向かい、薄っぺらで文具が何も入っていない鞄を置いた。すぐにベッドに横になる。

「明日、誠也の金を取り返してやろう」

 夕食時、悠太は父親の政雄に声をかけられた。

「学校はちゃんと行っているのか?」

「ああ」

「勉強はいやならしなくていい。ただし、人様に迷惑だけはかけるなよ」

「うっせーな。分かったよ」

 悠太の父親と母親は、歳が20歳ほども離れた夫婦であった。価値観の違いからか、夫婦喧嘩はしょっちゅうだ。 それだけに母親は、悠太に無関心だった。今で言う育児放棄である。母親はもっぱら妹の友子に愛情を注いでいた。

 悠太は当時、母親からの愛情を感じたことはなかった。父親からも、特に愛されたという記憶はない。言ってみれば、家庭内で孤独だった。

 だが、悠太は友人に恵まれた。彼の周囲には、いつも友人が集まってくるのだ。人気者なのである。それは悠太の、困っている友人を放って置けないという優しさからくるものだったが、悠太にはごく普通の感情だった。

 翌朝、悠太は早々に登校した。

 ひとり校門の前で待つ。やってきた。高山康夫。自転車の後ろに跨り、悠々と道の真ん中を進んでくる。車が避けて通る。軽トラックの運転手が、怪訝そうに自転車を横目で見ている。高山が跨る自転車の周囲には、数人の取り巻きが並行していた。

「なんだありゃ。群れやがって」悠太はつぶやいた。

 取り巻きのひとりが、悠太に気づいた。

「なんだ1年。そこをどけ」

 そんな恫喝で動く悠太ではない。自転車が通り過ぎる。取り巻きが、悠太にガンを飛ばす。悠太も、合わせた目を逸らそうとはしない。

「トモダチから巻き上げた金。返してもらえませんか?」

数台の自転車が一斉に止まった。

「何だと?一年坊主が……。返して欲しけりゃ、放課後農協の倉庫に来い。」

「行けば返してくれるんですね……」

「お前、一年の南野だな。もちろん返してやるさ。タイマンで勝ったらな」

 自転車が校舎の門をくぐる。悠太も教室に向かった。武具のトンファーは、左腕の制服に仕込んだままだ。

 午後3時の下校時間。悠太は校門を出て、思わず顔をしかめた。昨日のニュースで、九州地方が梅雨入りしたことが報じられていた。じめじめした空気だ

 田んぼの中にポツンとある農協の倉庫に向かう。こういう時、悠太はいつもひとりである。喧嘩しにいくのだ。徒党を組むより、気が楽だった。腕っ節に自信があるわけではない。劣勢になったら逃げるだけだ。逃げる時、ひとりの方が気楽でいい……。それくらいの気持ちだった。

「おお、来たか……」 取り巻きのひとりが言った。 

 

 悠太の突っ込みに気圧されたのか、黒い集団に少し隙間ができた。悠太は、左腕の集団の真ん中に突っ立っている中背の男に向かう。一瞬、奴の顔に驚きの表情が垣間見えた。ふん、カバみたいな顔だな…。二メートル。悠太は、猛烈にトンファーをふるった。確かな手応えだ。

 トンファーは、うなりを上げて綺麗に半円を描き、高山康夫の右肘あたりを直撃した。

「うっ!」

 明らかにダメージを与えた左手の感覚を感じながら。悠太は一目散に集団の中を駆け抜けた。倉庫の出口に向かって走る。

 集団は追いかけてこない。烏合の集団なんてこんなものだ。群れないと何もできはしない。所詮、高山康夫の取り巻き連中である。

 悠太はしばらく走り、それから歩き始めた。暑さで、汗がこめかみから頬を伝う。自動販売機を見つける。悠太は、ポケットから五十円玉を取り出し、コカ・コーラを買った。

 1970年代。高度経済成長とともに、飲食系自動販売機が急速に普及していく。悠太は、コカ・コーラを飲み干し、そのまま家路に着いた。

 翌日、悠太は誠也に謝った。
「誠也・すまない。金は取り返せなかった。その代わり。高山康夫にきっちり仕返したぜ」

「最初から、金なんて帰ってこないと思ってた。奴らだって、金目当てで絡んできたわけじゃない。標的にされただけさ」

「そんなこと言うなよ。いじめられたら、いじめかえす……。お前ができなきゃ、俺がやり返してやるから」

「悠太。ありがとう」

 悠太は基本的に集団で行動しなかった。友人と行動を共にするのが嫌いな訳ではない。ひとりの方が気楽なのだ。

〜つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?