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子どもの性別、命名
テレビで見てちょっとびっくりした。
外国のいくつかの動画で、妊娠中の子の性別を、家族に発表していた。
方法は家によっていろいろなようで、
今から見せるものが水色だったら男の子でピンク色なら女の子、など。
知った瞬間に大喜びしたり、中には悲しくなってる兄弟の子もいた。
私も夫も初めてそういうのを見て、性別ってそんなに重要!?と思った。
気になるのは分かるけど。
希望があって希望どおりだったとしても、それは体の性別だけのことで、
もしかしたら心の性別は違うこともあり得るし、
そうじゃなくても、男の子ならこれが好きだろうと思ったのに違った、
みたいな趣味や得意分野が予想外のこともあるだろうし、
性格も大人しいか活発かいろいろだろうし、どうなんだろう。
わーって言ってる瞬間だけの短い動画からは詳細はわからなかった。
単に、性別が分かった記念、みたいなお祝いなのかな?
私が出産した産院は、知りたい人は第何週以降に聞いたら性別を教えてくれる、
ということになっていた。聞かなければ知らされない。
私も夫も、男女どちらでもいいというか、無事生まれればいいと思っていた。
そう若くもなかったから、妊娠するのかがそもそも半々だと思ってたし、
妊娠判明後は、初期は流産を心配して親にも妊娠報告できず、
安定期以降も無事産まれるか心配し、検診の瞬間だけ安心してまた心配し、
心配症の私はとにかく生きているかが心配すぎて、性別どころではなかった。
ただ、名前を考えるために、性別が分かれば一つ考えればよいので、
知っておいたほうがいいだろうということになって、聞くことにした。
産院の先生はいつも忙しそうでテキパキと検診をしているので、
こちらも気合いを入れて、エコー検査が終わらぬ前に、
「あ、あの、先生!性別知りたいです!」と申し出た。
その時の赤ちゃんの体勢によって分かりにくいこともあるらしいけど、
「あ、よく見える。これは間違いない。命かけても、ってやつですね」
と自信満々で言われた。
間違いなさそうだったので私たちは名前を一つだけ考えることにした。
姓名判断はすごく気にするほどではないけど、画数は一応よいのにしたかった。
それは私の祖父が数の縁起の良し悪しをとても気にする人なのもあった。
どのくらい気にするかといえば、卒業証書を見せたときの感想が、
「こりゃあいい番号だ。よかったよかった」だったし、
日用雑貨の新品を使い始めるにも大安か友引で八のつく日にする人だった。
番号、日付、回数、画数、なんでも気にする祖父だった。
私は名付けの本を一冊買ってきて、まず名字に合う画数を調べた。
これは何パターンかある。
それからその画数の漢字から、あんまり好きじゃない文字を除き、
親族がすでに使っている文字を除き、数を絞った。
そうするとこの画数は使いたい字が無い、というのも出てきて、
画数が2パターンに絞られた。
そこから今度は夫が考えた。
私だったらその残ってる文字をじーっと眺めて、ひらめいたのにする。
しかし夫は全く違うやり方だった。
縦横に十数文字を並べた総当たり表を作った。一文字目×二文字目の表。
画数パターンその1は同じ画数二文字なので大きい表になった。
同じ文字二文字はパンダの名前みたいなのでナシということで斜線を入れる。
画数その2は一文字目と二文字目が違う画数なので小さい表。
そうしてできる組み合わせを一個一個見ていって、変なのを除外していく。
読めない、言いにくい、読み方が複数ある、時代に合わない、などを除く。
夫はその作業に何週間だったか何ヶ月だったか、かなりの時間をかけた。
私の実家から「名前どうなった?」と聞かれて、
「リーグ戦になってる」と言ったら、
「すごい、おもしろいね!」と感心されたけれど、
もういい加減なんとかならんのかと私が思った頃、四つの候補が出た。
どれがいい?と聞かれた私は、あんまり好きじゃないな、というのを除き、
ネットで検索してみて、事件事故の記事にひっかかった名前を除き、
残る一つは見た範囲では江戸時代に一人居ただけだったのでそれにした。
祖父を含め、両家の人々も良いと言ってくれて、生まれる前に決まった。
よかった。
二つ考えたり生まれてから考えてたら間に合わなかったと思う。
私の父は、孫の性別が判明する前、
「父ちゃん、女の子がいいなあ。だって女の子しか育てたことないもん。
男の子だったらどうしていいかわからんもん」
と言ったらしく、それを聞いた母も、私も夫も、誰もが、
「自分は男なのに??」と思った。弟だって甥っ子だっているのに?と。
しかし女の子じゃなきゃ嫌だというわけではなかったらしく、
性別を知らされた時は、
「じゃあ鯉のぼり買いに行かにゃいかんね!」
と張り切って今にも出かけそうに立ち上がり、
母から「初節句は来年だに」と言われて「あ、そうか」と座ったらしい。
私が出産したとき、祖父母も産院に見にきて、「ひ孫が見れたで」と
冥土の土産ができたみたいに言って喜んでいた。
少子化の時代には珍しくないことかもしれないけれど、
私の両親にとっては初孫で、夫の両親にとっても初孫で、
私の祖父母にとっては初ひ孫で、とにかくみんな喜んでいた。
祖母は「産後は無理しちゃいかんよ。血の道は怖いでね」と言い、
祖父は「子どもは一人じゃいかん。二人は産んだ方がいい」と言った。
祖父が先に部屋を出ると祖母がひそひそ声で
「ばあちゃんがお母さんを産んだ時ね、大変な思いしてやっと生まれて、
産婆さんが赤ん坊を産湯できれいにして横に寝かしてくれるら?
そこへじいちゃんが見にきただけど、ちらっと見て『なんだ女か』
そう一言だけ言って行っちまった。なんだ女か、それだけだ」
と悔しそうに言って帰って行った。
私は、うんうん、と聞いただけだったけど、
半世紀以上経っても腹が立つようすに、そのあと考えてしまった。
母が一人っ子なのは二人目ができなかっただけなのか、
祖母がもう産みたくないと思ったからなのか・・・?
祖父母はまあまあ仲はよかったけれど。
でも私は祖父がよその人にこんなこと言ってたのを聞いたことがある。
「わしは子どもが生まれる時も孫が生まれる時も、絶対男だと思っただ。
そいで生まれてみたらみんな女だった。男だと思ったら娘が生まれて、
孫の時は今度は男だと思ったらまた女、次も女で、あれぇ?と思ったわ。
おっかしいなぁ、絶対男だと思ったのになんでだやぁって。
だけどのぅ、生まれてみりゃあ、みんなかわいいわ。
男だらぁが女だらぁが、なんでもかわいいわ、のん?」
私はそのときトイレに入っていて、庭先の声が聞こえて、
前半で胸がザワザワっとしたけど、最後を聞いてほっとしたのを覚えている。
あのとき姿は見ていないのに、祖父の穏やかに笑った顔が思い浮かぶ。