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バイバイの手と自閉症、母が張った伏線を回収

こどもが生まれたころ、私の父は持病がありながらもまだ元気で、
週一か隔週で隣町から車を運転して母と二人で訪ねて来ていた。
カメラが好きだった父は、孫の写真を撮り、
あとはのんびりと横で生協のチラシなんかを見ていた。
母は最近の出来事などを私とぽつぽつと話し、
1時間2時間くらいすると、じゃあまた来週来るわ、と言って帰る。

毎日1分でも惜しいくらい家事育児に忙しかった私は、
両親ののんびりした様子を見ると内心、もっと手伝ってほしいと思ったけど、
父は、ワシは運転手、という顔をしているし、
母は、一つ二つ何かやると、もういいよね、という顔をしているし、
二人とも孫が見えるところに居たいだろうと思って、
見守りを任せてその間に私は洗い物などをしていた。
実際、こどもを誰かが見ていてくれて目が離せるだけでも助かった。

ちょっと別の部屋で家事をして戻ると、
母がおもしろい発見をしたかのようににこにこして「見て」
と、赤ちゃんのおなかに小さいタオルケットをかける。
タタタタタッと約1.5秒で足元にタオルケットがけっとばされる。
母「ね、どえらい速い。暑いのかね。ほら」
もう一回かける。
タタタタタ。もう一回。タタタタタ。
母にこにこ。こども何食わぬ顔。平和だ。

こどもが眠ってる場合は両親は静かにしている以外なにもしない。
目が覚めたときがミルクとおむつ替えで忙しいわけだけど、
母にミルクを溶いてもらおうとしたら、
「これどうやって粉計るの?」
と言いながら答えも聞かず、すりきらず山盛りの粉を哺乳瓶にドバと入れた。
「ああ〜もう私やるよ〜」と笑っちゃいながら結局私が自分でやって、
母はアハハと笑って見学し、ミルクの飲みっぷりを見て、
「どっ速いじゃん。あんたは赤ちゃんの時ちょびっと飲むのに何時間も・・・」
と感心している。

父は「足の裏がおもしろい」と言って、
こどもの足元に這いつくばって写真を撮ってる。孫の誕生以前は
「透析は嫌だ。早く死んだほうがいい」と言っていた父が面白いと思うなら、
足の裏でもなんでもどんどん撮っていってもらいたい。

母が一番楽しそうだったのは沐浴だった。
ベビーバスに入れて手ですくったお湯を体にかけながら、
「わあ〜、〇〇さん(私の名前)が赤ちゃんの時と同じ表情してる〜。ねえ!」
と父に見せていた。父もあの世代にしては子育てに参加したほうだったので、
「おお〜ほほほ」とか言って見ていた。

少し成長し、こどもが一歳ごろだったか、じゃあ帰るわというので、
私がこどもを抱っこして玄関口まで行き、バイバイ〜と言うと、こどもも
「あいあいあいあい〜」
と言って手をひらひらと振った。
横より縦に振れてたので、おいでおいでみたいにも見えた。
母は感激して「わあ!バイバイできた!バイバ〜イ!また来るね!」
両親はその日一番の笑顔をしていた。それで帰るかと思ったら母が、
「そういえばこのまえテレビで見ただけど、自閉症の子は手を自分のほう向けて
振るんだって。手のひらこっち向いてたから違うね。自閉症じゃないね」
と言って帰っていった。

なんでそんな話を?
自閉症の子のバイバイが反対向き、という場合はあるのかもしれない。
でも、バイバイが普通の向きだから自閉症じゃないとは限らないのでは?
そんな単純に見分けられたら苦労しない。
『逆必ずしも真ならず』
高校の数学の先生の声が頭の中に流れた。

こどもが3歳児健診で、平均的な子ができるとされていることができなかった。
視力検査なんて何やらされてるのかわからないし興味ないし何もしない。
台からジャンプして跳び降りるなんてそんな危ないこと絶対しない。
それは普段見るこどもの性格からしたら自然な様子だったし、
そんなのそのうちできるだろうと思ってそう気にならなかった。

ただ、よその子たちが待合で紙しばいを見ている場で、一人全く見向きもせず、
こんな退屈なところにいたくない、早く帰りたい、と言いたげな様子で、
なんか他の子たちと全然違うな、とは思った。
うちの子がなんか違うっていうより、よその子ってこんななの?って感じ。
自分の好みで選ばれたわけでもないお話を、なんでじっと聞いていられるの?
みんな3歳だよね?どうなってるの?
ひょっとして保育園で教育されたらこうなるの?
いや、全員が保育園児ってことはないか。みんな自然とこうなったってこと?
私の頭の中はむしろよその子たちへの疑問でいっぱいだった。

たまたまその日の問診担当は当時のかかりつけの小児科医だった。
こどもも少しは不安が減るだろうとホッとしていたら、
「お母さんから見て、発達のしかた、どう?」と聞かれた。
とっさに「ちょっと遅い・・・?」と医師が言わせたいだろうことを言うと、
「そうだよね!念のため〇〇病院で見てもらって。なんでもなければいいし」
言いにくいこと分かっててよかったとホッとしたかのように医師は言った。
え?そういうことになるの?とちょっと戸惑った。
言われた病院の発達外来に電話したけど予約は何ヶ月も先になった。

待つ数ヶ月に発達障害について調べた。
ADHDなのか自閉スペクトラムなのか、どっちかならどっちだろう?
いま考えれば純粋に(ADHDを併せ持ってないという意味で)自閉のほうだけど、
ADHDの特徴が小さい子にありがちな行動と似ているためと、
まだ自分たちの知識も足らなかったこともあって、当時はよくわからなかった。
診断される程度なのかグレーなのか普通なのかも分からなかった。

やっと診察日が来て、発達検査、問診。
そこの医師は、総合病院の小児科医だったためか、発達障害以外の、
遺伝や脳の病気の可能性も確かめるには血液検査や脳の検査もできる、と言う。
私はあまり気がすすまなかった。今なにか症状で困ってるわけじゃないし。
検査を受ける苦痛が大きいだけだと思った。
夫はなんでも調べたほうがいいと思ってるようだった。
二人の間をとって血液検査だけすることにしたけど、
暴れて危なくないように布でぐるぐる巻かれて採血されて、
予防接種ではBCG以外で泣いたことのない子が
だんだん嫌になって「帰るー」と泣いてるのが聞こえて、
やっぱりやめとけばよかった、と後悔した。

後日、夫が結果を聞きにいって、
「たぶん自閉スペクトラムだって」と短く報告。そうなんだ。
やや意外だった。ADHDじゃないんだ。グレーでもなく診断つく程度なのか。
血液検査は問題なかった。やっぱりやらなきゃよかった。

こどもが自閉スペクトラムという発達障害ということを伝えたとき、
母は、そうなの?ふつうだよ?こんな子いるよ?っていう感じだった。
診断を受け入れないというのではなく、のん気というのか、
このくらいの子どこにもいるでしょ、大丈夫だよ、っていう感じ。
「頭が大きいから脳腫瘍がないか検査するか聞かれたけどそれはやめた」
と聞いた両親は、「頭大きいから?何それ?」と大笑いしていた。
検査しなかった不安を吹き飛ばしてくれた。

夫の両親からは、どんな子でもかわいい大事な孫です、と返信メールが来た。
ちょっと心配しすぎてるかな?とこっちが心配になった。

私は一晩くらいはちょっと気が沈んだけど、
次の日の朝、目が覚めてにこっとしてるこどもを見たら憂鬱は消えた。
夫もしばらくは少し気にしてるようだったけどそれほど変わらず。

こどもと近所の公園に行った。広場で大勢の子が走り回っていた。
こどもも楽しそうにその中で笑ってくるくる回っていた。
ぶつかったりしないように近くで見守っていると、
背後から「ねえ、あの子、変じゃない?」と小学高学年女子風の声がした。
背筋が凍った。

その頃、隣町に引っ越すことになり、引越し先からでも〇〇病院に通えるけど、
違うところで診てほしい気持ちもあって、引っ越し後、別の医療機関を探した。
市内で心当たりのところに電話すると、たぶん診察希望が多すぎるためか、
当院で療育を受けるなら診ます、と言われた。例外はない雰囲気。
その療育が必要かどうかが知りたいから診てほしいのに、どうすればいいのか?
用があったついでに保健所の窓口でもどこへ行けば診てくれるか聞いた。
窓口の人も私が知ってるくらいの所しか知らないみたいで、困り顔。

市内はあきらめて前住所とは反対側の隣町の診療施設に電話をかけてみる。
ここも発達外来が予約待ちいっぱいなのか、軽めの子は受けたくなさそう。
自傷や他害やパニックや脱走などの、派手な問題は起きてないけど、
そこをなんとか診てほしくて粘って予約を取った。

何件か電話して思ったのは、同じ医療の中でも、他の、
内科や歯科やなんかとは、どうも違う、ということだった。
こういう症状がある、診てもらいたい、受診する、じゃあこう治療します、
ていう流れと何か違う。
うちの子こういう感じ、診てほしい、受診してどうしたいんですか?
え?それ教えてくれないの?みたいな。
病気ではないからだろうか。
検査したいか、療育受けたいか、手帳取りたいか、診断書がいるのか、
そういうのは医師が判断というより、親の判断の割合が大きいのか?
ただ子どもを連れて医療機関に行けば解決って感じじゃない。
調べて、考えて、こどもの様子もメモ作って持っていくことにした。

また数ヶ月待ちで医師に診てもらった。4歳になっていた。
そこでも同じ診断だった。自閉症の軽い方、知能は低くない。
軽いからといって困らないわけではない、と今は痛感しているけど、
当時はとりあえず重いよりはいいかとほっとした。
情緒は安定している、愛着も形成されている、
手帳は取れるけどこの程度の子だと取得するメリットはあまりない、
療育も、親の安心のために行ってもいいし行かなくてもいい、と言われた。

以後、数ヶ月ごとに診察に通う。
様子を話し、困っていれば相談して、アドバイスがあればもらう。
共感はされるけど解決策はないってこともある。
こちらの医師はなんとなく、無用な検査はしない主義のようだし、
基本、子どもの味方であることが感じられて安心。

診察で聞いた医師の話をメモにして、こんどは幼稚園の先生に伝える。
園の先生がどれくらいの自閉症の知識があるか分からないけど、
とりあえずなんでも伝えてみると、へえ〜、と言われたり、
こういうふうにしたらどうかしらと提案があったり。

園ではできたということが家ではできないこともある。
外ではがんばるタイプの子だから。
園の先生の見ているうちのこどもは、目一杯がんばってる姿なので、
「普通にしてますよ」と言われがちだったけど、
普通にしていて普通に見えてるわけじゃない。
がんばって、自閉っていうわりに普通、に見えてる。
先生やお友達を困らせることはそんなにないけど、本人は密かに困っている。
親が見たら表情で分かるけど、先生は気づかないような困りかた。
心配性の過保護な親だなあと思われている空気を感じるけどしょうがない。
経験を奪ってると言われようと、無理と思ったお泊まり保育には参加しない。
毎年その学年で一番ベテランの先生のクラスに入ってて、
懇談会は毎回、時間延長が前提みたいにその日の最終枠になっていた。

家では問題なく暮らせる。こどもに合わせてるし私たち親も似た所あるから。
おばあちゃんたちともうまく過ごせる。可愛すぎて何でもありだから。
でも外の世界では、外の人にどう伝えたらこの子が困らなくて済むのか、
将来どんな感じの人になるのか、自立できるのか助けが要るのか、
情報を求めて調べ考え続ける。
EテレのバリバラやハートネットTVもよく見ていた。
身体障害や難病や様々なマイノリティの人の話も参考になるところがある。

6歳、安定しているからもう診察にこなくていいことになった。
何も言わずに小学校に普通に入っちゃって大丈夫と言われた。
そうは言われても心配だから詳しく説明を書いて、教頭先生にも説明した。
あんまり先生を煩わせても申し訳ないと思いつつ、
こどもが困ってたら小さいことも2回に1回くらいは連絡帳に書き、
登下校もしばしば付き添っていた。
ランドセルの中身の準備も全部隅々まで手伝っていた。
それでも、物が見つからない、ちょっかい出された、などで
下校後に機嫌が悪く、途方に暮れる日もよくあった。

9歳、学校に行けなくなった。
学校の先生は登校させようと手を尽くしてきて、
こどもはますます疲弊して、頭痛に腹痛に絶望感。
このままではまずい。
頼れるところを他に思いつかず、3年ぶりに児童精神科へ行こうと電話した。
再診はわりとすぐ予約が取れた。
学校行けなくなったと聞いてなるべく早いところで入れてくれた。
そうか、やっぱりこれは診てもらうべき事態なんだな、と思った。

3年分の経緯のメモを見て、医師が、
「ギフテッドって聞いたことあります?似てますよね?
たぶん検査すれば知能は高いと思うし、性格が似てますよね。
うーん、この子は学校に行くメリットはないでしょうね」
自閉については大体わかってきていたけど、
こんどは、ギフテッド、2E、それどういうもの?と調べ始め、
日本の教育問題や世界各国の教育の違いも、目につく記事は読むようになった。

でもやっぱり自閉からくる困りごとのほうが多いかもしれない。
どこが自閉でどこが2Eでどこが性格によるものなのかはよくわからないけど。
でもSNSでいろんな人の困りごとなどみていると、
発達障害でも2Eでも、自閉の人とその他の人(ADHDや学習障害)では
なにか感覚が違う気がする。

12歳、最近の診察では、
将来ずっと引きこもっていたら(精神障害の年金?)
親が老いた後、家事などを自分でできなかったら(ヘルパー?グループホーム?)
収入を得る可能性は(作品のネット販売?でも物欲がないから売らないかも?)
など、福祉制度も変わるかもしれないし、こどももどう変わるかしれないのに、
分からないことばかり話してきた。
将来を悲観しているわけじゃなく、もしもの不安を少しでも解消するため。
福祉制度は一応あるけど、安心できるほどではなさそうだし、あてにできない。

こどもを、自分で生きていけるように育てよう、というより、
このままで生きていける社会だったらいいのに、という思いのほうが大きい。
昔、大学の先生が言ってた。細かいところは記憶違いもあるかもしれないけど、
「生物の多様性が何の役に立つんだって言われるけど、
役に立たなくたって、いろんなのがいるって楽しいじゃないか。
それだけでいいと思うんだ」
って。人類の中でもそれは言えると思う。

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