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母が私を産んだときの超安産な話

私が高校に入学して最初に出された宿題が、生い立ちの記を書く、というものだった。国語の宿題ではなく、提出先は担任で、一年生全員に出された課題だったから、高校入学という節目に人生を振り返る、ということなのかな、と思った。何か書いて出せばいいんだろうというくらいの気楽さで、私は親から聞いたことのある話を適当に書き連ねて提出した。

後日、担任の、数学科の、生徒たちから名前に「ダンディ」をつけて呼ばれていた先生に、
「生い立ちの記、おもしろかった」
と言われた。うれしかったけど、たぶん私の文章力ではなく、母の話がおもしろかったんだろうな、と思った。

母が私を産んだのは今はもうない小さい産院。予定日よりは早かった。破水したのか陣痛がきたのか、ともかく産院に行くと、まだまだ生まれるまで時間がかかりそうな状態だったので、「来るのが早すぎる」と言われたらしい。ちなみにその反省のもと、妹を産むときにはなるべく我慢してから病院(この時は総合病院だった)に行ったら、「こんなになるまで何しとったの!もっと早く来にゃいかんよ!」と叱られたとのこと。

作文に書いたのはいよいよ生まれるときのこと。お産は夜中になり、何度かいきみ、もうあと少しで出てきそうだというところまできた。そのとき母がふと時計を見ると日付が変わる少し前だった。その日は某月の9日だった。母は思った。9という数字はあまり縁起が良くないし(これは縁起を気にする祖父の影響が大きそう)、切りよく10日のほうがいいからちょっと我慢しようと。そして日付が変わった10日の0時を数分過ぎたところで私は生まれた。初産でよくそんなこと考える余裕があったな、と思う。

私の誕生に関してもう一つ聞いた話。私がこどもを妊娠中に、貧血の酸欠で100メートルも歩くと動けなくなる、と言っていたら母が、
「あんた昔から体力ないでねぇ。お母さんなんかね、あんたがお腹にいたときお母さんまだ洋裁学校行っとったもんで、通学のバスに乗り遅れそうになったときなんか、待って〜って追っかけて、大きいお腹でターって走ってって、止まってくれたバスに飛び乗ったりしとったに」
と言ってなつかしそうに笑っていた。両親はお見合い結婚なので、てっきり卒業してから結婚出産したものだと思っていたら違ったのでびっくりした。それに大きいお腹で走れたというのも。母は私より小柄で、私と同じくらい運動音痴なのに。若さだろうか?出産時、母は二十代前半、私は三十代半ばだったので。

自分と似た骨格の母がこんな安産話をしてくれたので、私も安産なんじゃないかと期待していたけど、産んでみたら私は全然安産じゃなかった。でも産む直前まで安産を期待していられたのは精神的にはよかった。
母と祖母は陣痛についてそろって、
「あれはね、ひどい便秘が治るときにイテテテってなるような、あんなもんだに。イテテテって思っとるうちに産まれて、そうすりゃもうなんともないだよ」
って言ってたけど、私は痛すぎて声も出せなくて、助産師さんに
「どうして欲しいか言わないと分からないよ」
と叱られた程だったので、全然違うじゃん(泣)と思った。祖母は私のお産の様子を伝え聞いて、
「あんた大変だっただねえ。話聞いて泣けてきちゃった」
と涙ぐんでいたけど、そう言われたとき産後数日の私はすでに、泣いてくれるほどのことでもないのにな、と思っていた。だから時間が経つと陣痛の辛さを忘れて、たいしたことなかった気がしてくるのも分かる。