動物病院でバイトしていたときのこと
二十数年前、私は学生、下宿生で、四畳半ほどの中にユニットバスも含まれている、布団を敷いたら床が埋まるくらいの、小さい学生用マンションに住んでいた。たしか部屋代が月に38,000円だったと思う。実家からの仕送りは十万円だった。口座には残高もあったし、親からは「足らんかったら送るで言いんよ」と言われていたけど、なんだか申し訳なくて追加を頼んだことはなかった。
バイトもしなくていいから、と言われていたけど、それは親心として半分は、バイトに時間を費やすなら勉強したほうがいいということと、もう半分は娘がバイト先で危ない目にあったら心配、というのもあったと思う。だから3年までは吹奏楽団の練習も忙しかったし、バイトをしたことがなかった。
4年になったとき、吹奏楽団も引退し、卒業研究はとても甘い研究室だったため思ったほど忙しくなく、卒研以外の単位はもう足りており、就職活動は何をしていいかわからないし求人もさっぱりなく、少し暇だなと思って、バイトしてみようかな、と思いたった。
たしか入学したころ、大学内のどこやらへ行くと、家庭教師や祭りのエキストラのバイトが紹介してもらえるところがあって、ときにジャンケンによる争奪戦だと聞いたような気がした。そういうにぎやかい場所は私の最も苦手とするところなのでそこは行きたくなかった。
求人誌を買うというのも貧乏(な気分の)学生としてはもったいなく思えた。まだ周りでは100人に1人くらいしか携帯を持ってなかった時代で、家にパソコンなどない(ワープロはあった)のでネット検索もない。
そんなとき郵便受けに入っていたタウン情報の求人欄に気になるのが一つあった。動物病院の助手のアルバイト募集で資格は要らないというもの。生物系の学生だったので生き物系で働くのはおもしろいかもしれないと思って応募し、動物病院側もおもしろいと思ったのか採用された。
そこは町の個人の動物病院で一戸建て住宅くらいの建物だったけど、中では院長の他に、雇われた獣医さんと、専門学校を出たAHTという動物看護師のスタッフさんが数人ずつ働いていて、思ったより(『動物のお医者さん』に出てくる近所の動物病院のイメージだったから)大所帯だった。
何も知らずに春から始めたので、季節は狂犬病予防接種のシーズンで、一年で一番忙しい時期だった。バイトに行くと片付けるものや掃除の用が山積みでいつも忙しかった。持病のある動物、耳掃除、爪切り、といった年中ある診療に加えて予防接種が来る。軽トラの荷台に犬を4匹つないできて駐車場で打ってもらう人もいたし、公園みたいなとこに集団接種をしに行くお手伝いもあった。
私は動物病院にかかるようなペットを飼ったことがなかったので、動物病院という世界は初めてで、いろいろと新鮮な驚きがあった。
とりあえず生き物を見る目が違うと思った。生物学だと動物は観察研究する自然の一部なので(そうは言っても生物学の人々だって対象の生き物をかわいいと思っているけれど)どこかに線引きがある。講義では研究対象の生物を「このひとは」と言ったりしても、野外調査では生き物が普段どおりに行動してくれるのを邪魔しないようにそっと離れて見る。
でも動物病院に来るのはペットたちなので、まず最初におおっと思ったのは、ワクチンのパンフレットに“子どもとおんなじなんだから”と書かれていたこと、飼い主さんたちがお父さんお母さんと呼ばれることで、完全に人間の生活の中にある感覚だった。
どちらがいいとか正しいとかではなく、違うなあ、と思いながら大学とバイトの世界を行ったり来たり。どっちの世界もみんな優しい人たちだった。
AHTのSさんは帰る時に、
「私ももう帰るし、バス待ってるの大変やろ?」
と言って車に乗せてくれたことがあった。
「ここのポストな、こっち向いてるから車から入れれるし、便利やねん」
と歩道と車道の境目に建っていて珍しく車道側を向いているポストを教えてくれたり。お友達と待ち合わせたときの話で、
「今どこ?って聞いたらな、『中立売!』ってだけ言わはってな、中立売のどこってわからへんやんか?通りの名前は縦横両方言わなわからへんやろ?」
と聞いた私の頭の中では誤変換した謎の“中田チューリ”が“中立売”になるまでしばらくかかった。耳で聞いたのが初めての地名だったので。
新人獣医のK先生は、同時期に入ったし年齢もわりと近かったということでよく話してくれた。
「学生の時は手きれいだって言われてたのに」
と悲しそうに言いながら引っかき傷だらけの手でがんばっていた。
ベテランのO先生はあるとき何故か、
「一緒に漢字検定受けへん?」
と誘ってくださった。え?漢字検定?と戸惑っているうちに話は終わってしまって一緒には受けなかった。(でも何年も経ってから私は漢字検定のことを思い出し、一人で受けにいった。)
ある日O先生が診ていた猫さんがとても大きくて、先生も、
「この子、大きいやろ」
と言うので私が、
「大きい種類なんですか?」
って聞いたら先生は、
「雑種!雑種や!『大きい種類』やて!あははは」
と大笑いしてた。
それから、よくペットホテルを利用する猫さんでとても愛想のいい子がいて、その子の名字(飼い主さんの名字)が私の旧姓と同じだったこともあって、見かけるとつい見つめてしまっていたら、O先生に
「その子に魅せられてるやろ」
とニヤリと言われたこともあった。
私は主に雑用係で動物に触ることはそんなになかったけど、時々みんな忙しいと、
「保定できる?こっちの手でここをこう抱えてこっちでこの足持ってて」
などと頼まれた。
「そんなに引っ張ったらこの子だって苦しいで」
「あ、すみません」(猫の柔軟性を過信していた)
ということもあったけど、だんだん慣れてきて保定が要りそうな状況もわかるようになってきた。
「誰か」
っていう先生のとこ行ったら、すごく怒ってる猫さんで、シャー!!シャー!!と牙をむいてて、
「あーごめん。この子はちょっと危ないからいいわ。S先生頼める?」
っていうこともあった。あんな怒ってるネコはあのとき初めて見た。でもシャー!って叫び続けてるけどちゃんとお座りしていた。
時々受付に来た人の対応をしたこともあって、一つおぼえているのは、新患さんが子猫を連れて来られて、
「ゴミ捨て場のゴミ袋の中にこの子が入ってて、動いてたから助けてきたんですけど」
と言われて、ええー!!そんな事がある!?と内心驚きながらカルテにお名前など書いてもらって、獣医さんに取り次ぐと、奥にいた獣医さんたちが、
「酷いことする人いるなあ」
と静かに怒ってる様子だった。連れてきてくれた人はとても優しそうな人だったので、あのあと猫ちゃんは大事に飼ってもらえたんじゃないかと思う。
Y先生は真顔はちょっと怖い先生だったけど、けっこういろんな話を聞いたのを思い出した。たとえば、
「甲羅が割れた亀が来た事があって、甲羅あるからレントゲン撮れへんしどうしようって思って、なんかしてあげんとと思って、とりあえずテーピングして帰したんだけど。それっきり来なかったから治ったのか駄目だったのかわからん」
だとか。
「猫ちゃん外にお散歩出れないとかわいそうって言う人いるんだけどね、外に出すとネコエイズとかいろんな病気にかかっちゃったり交通事故とかもあるしね。お家の中で飼ってあげる方が長生きできるし猫ちゃんのためなんだよ」
だとか。
診察時間外に小学生グループが野鳥のひなを持ってきた時に対応してたのもY先生だった。ひなを救う気満々の子どもたちに、
「どうしたいの?種類が知りたいの?飼いたいの?あのね、野鳥は勝手に飼っちゃいけないの。お世話するのもすごく難しいしね。なんでかっていうとね」
と静かに説明していて、子どもたちはしゅーんとしてたけど、あのあとどうなったんだろう。
なぜ野鳥のひなを拾ってはいけないのかは日本野鳥の会が毎春キャンペーンをしているので、ご興味ある方はこちらをご覧いただければ詳しくわかるので。
他の先生やAHTの人からも、バイトの学生に教えなきゃいけないことでなくても、雑談の中でいろいろ教えてもらった。犬のフィラリアという病気がどういう仕組みで、最後に心臓にきちゃうとどんなにかわいそうで、どう予防したらいいか。犬の耳の穴はL字に曲がってること。人間の医療は医科と歯科に分かれてるけど、獣医は両方診ること。滅菌の種類や仕組み。いろんな医療器具の名前や用途。
秋になると動物病院は急に暇になってきて、それでも獣医さんやAHTの社員さんは暇というほど暇ではなさそうだったけど、ワクチン接種の季節が過ぎるとのんびりした季節が来るらしかった。私は掃除する場所を探して回っていたけど手持ち無沙汰になってきて、そろそろ卒業研究が、と理由をつけてバイトを辞めさせてもらうことにした。
Sさんは「やっとのんびりできる時期なのに」
K先生は「さみしい」
と言ってくれたし、ほんとは卒業研究がそれほど忙しかったわけでもなかったけど、時給なのにぼんやりしてる瞬間があってはいけないような気がして自分で勝手に居心地悪く感じていた。
辞める少し前にO先生が、
「来月みんなでバーベキューするからおいで」
と誘ってくれた。
「え、辞めたあとなのにいいんですか?」
って思わず聞いたら、
「なんや。辞めたら赤の他人か?」
って怒られそうな勢いだったのであわてて、
「いいえ!そういうわけでは」
と言って行くことにした。
バーベキューの日は私が入る前に働いていた昔のスタッフさんも来ていた。K先生が、
「いっぱい食べてな。私が〇〇さん(私)のために(イカの)げそを」
とせっせと焼いてくれていた。そして私がベジタリアンだった(今は違う)のを知っていたO先生に、
「げそも駄目やろ。イカ、動物やん」
と笑って言われてK先生が、え〜!?ってなってたりして楽しかった。最後は「元気でなー」「がんばってなー」と言われながら帰った。