ホームスクール3年、学校と距離を置く
学校のことを書くのは、
決してそんなつもりはないけど、学校批判と思われてしまいそうで少し怖い。
うちは学校というものが合わなかったというだけなので、
学校が悪いと言いたいわけじゃなくて、
強いて言えば、うちにとっては、学校をやめれない仕組みが問題なんだと思う。
3年目にほぼ希望通りのホームスクールの状況になったので、
学校との関係について振り返って書いてみる。
文句ではなく、愚痴でもなく、単なる回想。
こどもがもう学校行けないってなった最初の年は、
本人はもう登校も面談も家庭訪問も電話も全部無理だったので、
代わりに夫が定期的に学校に行って担任に会っていた。
はじめのうちは宿題を、あとの方は先生との交換日記を持って。
給食はもともと偏食を理由に食べてなくてお弁当だった。
教材はもう使わないとわかったものは購入を止めてもらえた。
そこは意外と対応してもらえるんだなとほっとした一方、
これは学校に置いておくものなので、と持ち帰れない学用品があったり、
もう行かないのになんで?と不思議になる点もあった。
クラスの子たちのお手紙をくれたこともあったけど、
こどもは見たがらなかった。
学校やめると決めた時に、みんなのことも忘れることにしたらしい。
私はちらっと見たけど、クラスの子に学校に行かない理由は説明されてないな、
という感じがした。説明してほしいというわけでもなかったけど。
説明できないんだろ、する必要もないだろ、と夫は言っていた。
変に誤解や偏見を持たれるよりは知られないままの方がいい。
同級生たちは、学校に来れなくなってかわいそう、と思ってたかもしれない。
実際は、合わない学校生活から逃れて、楽しい独学の日々で元気だった。
児童精神科で、学校は、税金を払う気持ちで最低限の相手をしておいたら、
というふうに言われて、そうか、と思ったけど、後でそれを聞いたこどもは、
「違うよ!税金は払ったらみんなのために使われるけど、
父さんが学校行っても何もいいことないもん。だから税金じゃない!」
と言った。ごもっともです。
最低限の、というのも具体的に何なのかわからなかった。
そこを決めてるのが法律なのか教育委員会なのか校長か担任かもわからない。
わからないから、これをこうしたい、と強く言えない。
ネットで調べて調べて、こういうふうにしている学校があるみたいだから、
と言ってみても、だめです、とあっけなく却下されたり、
先生のほうは学校のルールや上の指示があって、当然のように言うから強い。
年度末には進級会議というものに呼ばれて夫が行った。
どういう会議だったの?と聞いたら、校長など偉い先生たちがいて、
進級していいか、もう一回3年生をしたいか、という確認だったという。
私「飛び級とか卒業とか退学だったらしたいんだけど」
夫「残念!そういうのはないね〜」
私「それ、電話で済む話じゃないの?」
夫「会議をすることが必要なんだろ」
私「聞くまでもなく普段のやりとりでわかってることじゃん」
夫「だから、会議しました、っていう事実が必要なんだよ」
私「なんで?」
夫「組織ってそういうもんなんだ」
なんとなく、学校に来てくださいと言われたら行かなきゃいけない気がして、
下手したら虐待と言われて家に役場の人が来たら怖いと思って(妄想)、
はいはいと従ってたけど、本当に必要だろうか?
うちのこどもは学校に行かされるのが虐待と感じるくらいの子なので、
学校から守っている、というような状況なのに、
逆に虐待を疑われる心配をしているなんて皮肉だなあと思っていた。
次の年は、担任に夫が会う頻度を減らしていった。
毎週から隔週、さらに月一回へ。
こどもは日記提出もやめて学校や先生とはもう何も関わらなくなり、
学校用品はどんどん片付けてリビングから学校を思わせるものをなくし、
学校との距離をとろうとがんばった年だった。
健康診断も、学校でも校医でもない、内科でやってくれる所を見つけた。
配布物要りません、面談ではなく電話にしたい、PTAやめたい、
などの一個一個がなかなか通らなかった。
一時期は夫が学校に行ってくるたびに、
私「プリントいらないって言った?」
夫「言ったけど、持って帰って捨ててくださいって渡された」
私「プリント渡すと先生にポイントがつくのかな?それとも渡さないと罰?」
夫「さあ?」
私「ゴミもらうために学校まで呼ばれてるみたいでやだ」
夫「しょうがないよね」
って話していた。
学校はうちのこどもに何もできないからもう放っておいてほしいのに、
うちは学校の事務都合に付き合わなきゃいけないのか、と理不尽に思って、
教育委員会に相談したら、言葉の上では丁寧な返事が来たけど、
中身は、何もしてくれないんだな、という感じだった。
私「学校も教育委員会も同じ。お役所なんだね」
夫「そうだよ」
私「学校のために子ども育ててるわけじゃないって思うの」
夫「そうなの?(笑)」
ただ一つよかったのは、教委の返事に“PTAの加入は任意ですが”とあったこと。
ネットで調べればPTAが任意加入だと多くの記事が出てるから知っていたけど、
口頭でやんわりと退会したいと伝えても、伝わらないのか学校側からは、
班の人に自分で言って当番を外してもらってください、名簿からは消せません、
などと言われていた。
でも、教育委員会が任意だと言ってるんだからやめられるはず、と考えて、
自分で退会届を作って、次の面談で夫に持って行ってもらった。
そしてやめることができた。
やめたと思ったらすごく気が軽くなった。
そういう交渉の間、夫は学校と私の板挟みで頭が痛くなっていた。
けんかにならないように穏やかに要求を伝えて落とし所を探るのは難しい、と。
夫は学校の言う通りにしてる方が楽だと思っていて、
私はそんなの嫌だ、お父さんの時間を奪われたくないと思っていて、
こどもが家で自由にできるようにしたいのは二人とも一致してるのに、
時々けんかになってワアワア言い合っていた。
こどもが冗談ぽく「そのうち別居して離婚するのか?」と言うくらいに。
夫が言うには「お母さんと先生は見てる方向が違うから話が噛み合わない」と。
私が思うに、先生には自分の教育理念や指導要領や上からの指示があって、
どうやって上手くそこへ子どもたちを導くかを考えているけど、
私はこども一人を見て、この子はどういう子だからどうするか、って考えてて、
砂山のあっちとこっちからトンネル掘ってるけど全然つながらないみたいな、
そんな感じじゃないかと。
あのころ夫は本当に困っていた。
困りすぎて時々私に怒っていた。
私がこう解決したい、とパスした球を、ゴールへ投げずに、
パスなんかするな!と怒り狂って投げ返してくる、みたいな感じの時があった。
その年度末にまた進級会議に呼ばれ、
行きたくない、コロナも心配だし、時間取られたくない、と言ってもだめで、
夫と学校、夫と私でなかなか妥協点が見出せず、何度かのやり取りの後、
行かないとどうなるのかと夫が担任に聞いたら、
校長から電話して、それでも来ないと市役所の子ども担当に通報する規則だ、
というので、面倒なことになるなあ、ということで、
結局夫が出かけて行って、校庭のあっちとこっちで携帯で話してOKになった。
一体なんの儀式なんだろう、と思った。
そんな一年だったけど、こどもは気にせず家で楽しくしていたのはよかった。
そのあと児童精神科で「そんなに大変だったなら言ってくれたらよかったのに。
学校に言ってあげたのに」と言われた。
(え?そんなことしてもらえるの?)と思った。
そういえば、不登校1年目の受診のとき、もう学校に行かないというのを
学校が納得してくれるか心配だと言ったら、「説明しますよ」って、
担任からの問い合わせに対応してくれたことがあったんだった。
私たちはなんとなく、学校との距離感は医療の仕事じゃないと思っていた。
だから主治医に相談しようなんて思いつかなかった。
それに、初診何ヶ月待ち、みたいな状況なのに申し訳ない気持ちもあって、
年2回の診察でも30分以上お話ししてもらってるけどいいのかな、と思い、
うちは自力でがんばれるんで他の子を助けてあげてくださいって思ってた。
3年目、担任とは月一回、夫が電話するだけでよいことになった。
前年度にもめたからなのか、校長が代わったからなのか、教育委員会の方針か、
なぜかわからないけど、学校まで出向かなくて済むのはすごく楽だった。
歩いて行って帰ったら約一時間かかるところが数分の電話で済めば、
浮いた時間でこどもとお父さんが一緒にパソコンができる。
夫婦喧嘩もかなり減った。平和だった。
配布物は一切もらわなくなった。
通知表も、授業日数と欠席数に同じ数字が入ってるだけの紙なんて、
作る手間も紙も、取りに行くのも全て無駄だと思って、要らないと伝えた。
教科書も見向きもしないし、ピカピカのまま捨てるのならもったいないから、
学校で忘れた子やなくした子のために使ってくださいと言ってもらわなかった。
でも、年度末の進級会議には来るように言われた。
やっぱり行かなきゃだめかなと思いつつ、
電話やテレビ会議じゃだめか聞いてみてもらった。
わりとあっさりと校長と電話でいいことになった。
よかった。
テレビ会議は特別扱いになるからだめです、と言われたのが謎だったけど。
なにかと対面でと言うのに、顔が見えるテレビ会議はだめで電話がいいとは。
テレビ会議でも電話でも対面でもみんな選べればいいだけじゃないかと思った。
私「なんでみんな同じにしようとするんだろう、同じは公平じゃない」
こども「しょうがないだろ、それが日本だ!」
夫「行かなくて済むならもうなんでもいいだろ」
今になって考えると、最初からホームスクールのほうが良かった。
100%とは言わないけど、どっちか選ぶなら。
こどもが学校で味わった苦痛を考えるとマイナスだった。
学校のせいではなく、学校教育との相性がどうしようもなく悪かった。
そんな気はしてたけど予想をはるかに超えて合わなかった。
しかも外ではものすごく我慢して合わせる子だったから分かりにくかった。
学校に行ったから経験できたことはある。
でも学校に行って大勢の子がいるのに話し相手がいない孤独を知ってしまった。
「ぼくの話わかる人だれもいない。ぼくは一人だもん」
て思いながら1日8時間もやりたくないことをして過ごすなんて悲しすぎる。
しかも調べたり作ったりしたいことが山とあるのを我慢しながら。
基本、明るい子だけど、どこかに諦め感を持ってしまった気がする。
自分はマイノリティで、この世界は生きづらいと気づいてしまった感じ。
学校に行ってよかったのは、もしも何か言ってくる人がいたら、
学校に行ったことはあるんです、と言えること、
普通の子が味わう苦労は一生分味わいました、と言えることかなと私は思う。
幸い、そういう反論をしなきゃいけない人には出会っていない。
私の反省点その1
身体症状が出て(頭痛腹痛)、医者も行かない方がいいと言った、
そのときまでホームスクールに踏みきれなかったこと。
その2
休み始めの頃に先生の圧に負けて面会させてしまったこと。
その夜こどもは眠れなくて大泣きした。
私は言いたいことがあっても場の空気にのまれやすいので、
いまは全ての学校への対応を夫に代わってもらっている。
その3
情報収集不足。
不登校以前に学校以外の学びの情報を収集できてなかったこと。
自閉スペクトラムについても知ったつもりでいたけど不足だった。
過剰適応、二次障害、2E、などの情報までたどり着けていなかった。
文科省が特定分野に特異な云々という長い名前の会議を始めたころは、
すごく期待して、はりきってアンケートに答えて議事録を追っていたけど、
どうやら、学校をどうするかの話なんだな、とわかってきて、残念に思った。
想定されてる子どもの中でも、うちの子みたいなのはメインじゃなさそう。
学校が変わっていくのはいいと思う。それはそれで必要。
でも、どんな素晴らしい学校になってもうちのこどもは絶対行かないだろう。
ホームスクール以上にこどもの興味に合わせられる場なんてないから。
うちは国や学校に何かしてほしいわけじゃないから邪魔されなければいい。
ホームスクールは現状の制度でも違法ではないし、
ホームスクールが公式に認められたらいいなと思う一方、
こういうふうにやってください、ともし決められたら窮屈かもしれないし、
でも学校で受けるはずの恩恵が受けられてないんだから、
給食や教科書をいらないんだったら、そこに使われる税金分とか、
援助があったらそのほうがいいなと思ったり、
でもやっぱり自由度が保たれるのが一番大事かなと思う。
多様な学びプロジェクトから学校への依頼文フォーマットがでていて、
こういうの、3年前にあったらよかったな、と思った。
昔、私が小学一年生で学校行きたくないと言ったときには、親に、
泣いて柱にしがみついてるのを引っぺがされて学校へ引きずって行かれたけど、
その母も孫が学校がつらくて行けなくなったと聞いた時は「ああそう」と、
逆に今までつらくてかわいそうだったみたいな反応だったし、
私の祖母も「いま学校行かない子多いらしいでねえ」と言ってたそうで、
夫側も含め身内の誰も学校へ行かせろと言う人がいなかったのは、
孫だから、というだけでなく時代が変わってるのだと思う。
先日、文科省が不登校対策の資料(COCOLOプラン)や、
不登校の自宅学習を成績に反映を、と通知を出していたようだけど、
一歩前進、なんだろうけど、空気が変わっていったらうれしいけど、
枠から飛び出して遠く離れてきた我が家には、直接は何も関係なく感じる。
文科省の言う「学び」の指すものの範囲が狭すぎる。
それに別に「取り残され」ているとは思ってない。
義務教育があと4年ある。今年度はどんな先生でどうなるだろう。
昨年度くらいの負担で済んだらいいなと思う。