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ホームスクーラーの小学校卒業

小3の1学期途中までしか行ってない小学校。
入学して1週間目で休みたがった。けど結局休まなかった。それどころか一年生は皆勤だった。
2年の後半から朝ぐずぐずし始め、学校の近くに来るとおなかが痛くなり、8才9才の子が死にたいと言うところまで疲れ果てて、ある日からぱったり行かなくなった。
それから一年くらいかかって学校との関わりを減らしていき(この一年が大変だった。情報収集、学校との交渉、児童精神科の再診など)、後半の3年はお父さんが月一で学校に電話するだけだった。

今月で卒業だけど、こども本人はたぶんそんなことは何も気にしていない。いつが卒業式だったのかもたぶん知らないし、同級生のことも忘れてるし、小学生とか中学生とか何年生とかもほぼ忘れて生きてる。
親にとっても、もう小学校とやりとりしなくていいんだ!すっきり!(?)くらいでしかない。

卒業式には出なかった。アルバムももらわないし載ってもない(はず)。
卒業証書は、要らないって言うと逆に面倒な話になりそうだし(受け取ってくれないと困る、受け取りたくない、の水掛け論になりそう)、たぶん一生使わないけど一応証明書として保管しておくか、ということで筒などは無しで紙だけたたんで郵便受けに届けてもらった。

最低限の関わりだけにしてもらえてよかった。先生からしたら、顔を見たこともない子の安否確認だけして卒業していくって、何のやりがいもないと思うけど、3回ほど届けてもらった学校の封筒に書かれた先生の文字が、いつもすごくきっちりきれいで、先生ってどんな仕事もがんばってやってるんだろうな、と見たことない先生を想像していた。

あとは中学。全く行く気はないけど入学はしないといけない。どうかできる限りほっておいてくれますように、と願うのみ。
義務教育を返納したい(できないのはわかってる)
一人も取り残さない、みたいなスローガンは取り残されたくない人々にとっては優しさなのだろうけど、うちみたいに、学校にできることは何もないので解放されたい、と思っている変な家族からすると、文科省は学校を通してすべての子どもを管理したいんだろうな、と思えてしまい、重苦しい。

こどもが無理やり登校させられることはなく、親も罰金を取られることも逮捕されることもなく(国によっては厳しいらしいけど、日本では合法でも違法でもなく不登校としてホームスクールしていられる)、電話報告にかかる時間以外は損害はほぼ無い。でも、本当は所属したくない組織に属していないといけないというのは、雨は降ってないけど低気圧、みたいな、落雷はないけど雷鳴はしてる、みたいな気持ちに私はなる。すっきり晴れるのは3年後。

こどもにはそんなことは気にせず好きなことを深掘りしていってほしい。

昔、私が中高生の頃だったか、祖父がテレビを見ながら祖母に「学校なんか死ぬくらいなら行かんでいいだ。学校なんか行かんでいい」と言っていた。あれは子どもの自殺のニュースでも見てたときだったのかもしれない。戦争で大勢死ぬのを見てきた祖父にとって、学校が嫌で死ぬなんていうのは、知らないどこかの子のことだとしても悲しすぎたんじゃなかろうか。

こどもが楽しい気持ちで人生を生き延びてくれれば、学校や学歴なんかほんとにどうでもいいな、とこのごろは思ってる。