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記憶のあり方の違いが衝撃だった(ムービー、静止画、テキスト)

フォローさせていただいている精神科医K先生のツイッター(X)で、
記憶について、先日このツイート(ポスト)を見たとき、
私も衝撃、というか、本当に?と信じ難い気持ちになった。

私の記憶もムービーなので、静止画やテキストの記憶とはどういうものか、
ちょっと想像しづらい。
アルバムや日記のような感じ??
声とか音楽とか動作の記憶はどうなっているんだろう?
それと似た話でこちらも。

これも、私も映像化して読むので、
脳内で映像化せずに小説を読むってどうやって??と思った。
私は小説が映像化したのを見ると、絵的に違うと思うこともあるけども、
こんなゆっくりじゃない!と速さに違和感を感じることが多い。
たぶん読むのが速めなんだと思う。

こどもはどうなんだろうと記憶や読書のこと聞いてみたものの、
「は?ちょっと何言ってるかわからない」
と言われてしまった。

質問の仕方、難しい、と思っていてしばらくしたある日、
夫もいる時にその話題を出したら驚きの展開に。

私「・・・ていうツイートを見てね、私はムービーだから衝撃で・・・」
夫「テキストだね」
私「は?」
夫「テキスト」
私「え?お父さんの記憶、テキストなの!?」
夫「テキストだね」
私「えええ〜〜!!まさかこんな近くに違うタイプがいたとは!」

びっくりだけど、テキストの記憶がどういうものか知る絶好の機会だ、
と疑問をぶつけまくった。
私「その記憶のテキストを読むと映像化するの?」
夫「しないね」
私「映像や音声は記憶されないの?車の形とか、顔とか、声とか」
夫「そういうのは付帯情報としてクリックしたら出てくる感じかな」
私「クリックしないと出ないの?」
夫「出ないね」
私「私は例えば『おばあちゃん』て聞くとさ、もう勝手に頭の中で動画が出て」
夫「ほう」
私「おばあちゃんがお家の奥から出てきてしゃべって動いてるよ」
夫「そういうのはないね」
私「じゃあさ、体操とかダンスとかどうやって覚えてるの?」
夫「え?うーん・・・」
私「体操のお兄さんが頭の中でお手本やって動いてくれないの?」
夫「ないね」
私「じゃあ、体育の説明プリントみたいになってるの?」
夫「ああ、そんな感じかなあ」
私「そんなんじゃわかりにくいじゃん」
夫「そう?」

まだまだ疑問は尽きない。
さらにいろいろ聞いたところ、どうやら夫の脳内では、
最近の新しい記憶は紙芝居みたいな感じで一応は絵がついた記憶になっていて、
古くなるにつれ情報はいらないところが省略されていき、
テキストだけが残って収納されていく、という感じらしい。
例えば私たちの結婚式の記憶も、私は記録映画みたいになってるけど、
夫の中では、お母さんは和装で着物は緑色だった、というテキストになり、
夫の記憶では着物の柄だとか角隠しなどの小道具の情報は消えているらしい。
消えるのか。細部はほんとに覚えてないんだね。

私「でもさ、その記憶の紙芝居を思い浮かべたら動き出さない?」
夫「動かないね。紙がある、って感じ。表が絵で裏がテキストの紙」
私「現実で紙芝居見てる時も動かないの?」
夫「動かないよね。絵だもん」
私「おにぎりの絵の横にくるりんて線があったら転がるよね?」
夫「は?転がらないよ。絵は動かないもん」
私「なんなら『おむすびころりん』て聞いただけで脳内でおむすび転がるよ」
夫「それはないね」
私「ハイジって聞いたらハイジがブランコで揺れてあの音楽がかかるよ」
夫「ハイジは知ってるけどブランコは揺れはしないね。止まってる」
私「一時停止か!北斗の拳て聞いたらケンシロウがアタタタタってやらない?」
夫「やらないね」
私「小説や漫画読んでも映像流れないの?」
夫「流れない」
私「それ、おもしろいの?」
夫「いや別に、おもしろいよ」
私「ドラマの相棒好きでしょ?相棒のノベライズ出てるでしょ?」
夫「出てるね」
私「もしドラマより先にノベライズ読んだら、脳内で右京さん出て動かない?」
夫「出てこないね」
私「だったら人物の位置関係とかどうやって把握するの?」
夫「右とか左とか書いてあるまま理屈で理解してるかな」
私「小説で風景の描写読んだ時は?山があって手前に家々が、みたいな」
夫「見えないから正直よくわからないね」
私「私はとにかく記憶も読書も思考も想像も全部動画、ていうかVR?」
夫「そういうのないんだよ」
私「なんか聞いたり思い出すと関連動画が次々と出るんだよ」
夫「へえ、そうなんだ。そういうのないね。動画で覚えようとしたことがない」
私「しようとするんじゃないよ。元々の仕様なんだよ」
夫「とにかく動画はない」
私「うわーそんなに違うのか」

私とは逆に、夫にはムービーの記憶があるのがわからない様子。
私「夢は?夢の中で自分が動いて景色が見えてる、あんな感じだよ」
夫「わからんなあ」
私「なんなら自分自身も俯瞰で見れたりするよ」
夫「すごいね。あんまり夢見ないからわからないな」
私「夢も見ないのか。(こどもに)見るよね?」
こども「うん」
私「記憶も動画だよね?」
こども「うん」
私「よかった。仲間いた。ていうか世界ではどういう割合で存在するんだろ?」
我が家ではムービー:テキスト=2:1だけど、どっちが多数派少数派なんだ?

そこで両方の実家の人々に聞いた結果。
世間とは違う偏りがあるかもしれないけど。
ムービー:私、こども、妹、甥っ子、夫の母
静止画:私の母と祖母
テキスト:夫、夫の父
で5:2:2だった。こんな少ない人数でも各種いるんだな。
夫の母が「今まで考えたこともなかった」と言っていた。
そう。考えたこともなかったし、みんな自分と一緒だと思っていた。

さらにいろいろ聞く。
私「その、お父さんの記憶のテキストは手書き?フォントは?縦書き?」
夫「横だね」
私「横書きなんだ。紙?画面?明朝体?ゴシック体?」
夫「パソコン画面みたいな感じかなあ。フォントはないな」
私「ない!?ないって、どういうこと?」
夫「字が見えるわけじゃないんだ」
私「何も見えないの?目つぶってるみたいに!?聞いた言葉みたいな感じ?」
夫「うーん、そうかなあ」
私「うちら動画が見えるんだよ?ラジオとYouTubeくらい違うじゃん」
夫「うん、まあ」
私「ポケベルとパソコンみたいな?いや、初期の携帯とパソコンか?なんだろ」
こども「父さんはメールみたいな感じなんじゃない?」

今まで、夫に対して、なんでこれを忘れるんだ?なんでわからないんだ?
と思うことが多々あって、世界を見る解像度が違うんじゃないかと思っていた。
夫の方も私に対し、何言ってるかわからない、とよく思ってるようだった。
だけど、こんなに脳内の仕様が違うんだったら、そりゃもうしょうがないか。
年末になって、私にとって今年一番の衝撃の事実だった。
夫のほうは、そんなことそんなにおもしろいか?って感じだった。
いや、おもしろかった。異次元をのぞいた気がした。

ところで冒頭のK先生のツイートに出てくる“映像記憶”をWikipediaでみると、
見たものをスケッチできるくらい緻密に覚えていることをいうらしい。
そしてヒトの場合、幼少期には普通に見られ、思春期以前に消失する、と。
映像記憶は原始的な記憶能力で、言語の能力が向上したため衰えた、とも。
そうなの!?とまたびっくりした。
幼少期はそんなに緻密に記憶してたっけ?
今は映像とはいってもそこまで細かくは覚えてない。
記憶がムービーということと映像記憶とは違うのかな。

そういえば夫が「昔は絵が見えてたような気もするんだけどどうだったかなあ」
と言っていた。記憶がテキストの人も小さい時は違ったのか?
私「・・・ていうことはお父さんタイプの方が進化してるのかな?」
夫「まあ、思考の量を増やすにはテキストの方が情報を圧縮できるよね」
私「でも個々の記憶についてはムービーの方が情報量多いよね」
いろんなタイプのヒトがいるのがおもしろい。

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