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親知らずの抜歯のこと、母、かめのこパン

子どものころ、前歯、奥歯、糸切り歯、乳歯、永久歯などと比べ、
親知らず、と言う歯の名前はいったいなんなんだろう、と思っていた。
大人たちの口から親知らずという言葉が出てくる時はたいてい、
痛いとか抜くとか膿むとか大変そうな話がついてくる気がして、
何歳になったらどうなる、というのもよくわからないし、
親知らずとはどんな恐ろしいものなのかと思っていた。

この子は歯の大きさの割に顎が小さいから歯が並ぶのが大変かもしれない、
と私が幼い頃に歯医者で言われたと母が言っていた。
人間の顎は小さくなる傾向があり、歯はそれほど小さくならないらしい。
私の歯並びはぱっと見はちゃんと並んでいるが、実はかみ合わせが悪い。
親知らずの生える場所は全然なく、4本とも歯ぐきに埋まったままだった。

二十年ほど前、二十代のある時期、毎月のように親知らずが痛むようになった。
奥歯が痛いなあと歯医者に行く、親知らずのところが炎症してると言われる、
抗生物質を出されて飲む、というのを繰り返すうち、うんざりしてしまった。
もう抜きたいです、と歯科医に申し出ると、ここでは抜けないから、
と紹介状を渡され、市内の総合病院の口腔外科に行くことになった。

口腔外科、という響きはちょっと怖い。“外科”。手術を連想する。
でも親知らずと決別したい気持ちの方が勝っていた。予約を取って初診に行く。

私の親知らずはどれも、ひとつ前の奥歯に頭をむけて横に埋まっていた。
レントゲンを見ながら、担当医が横の研修中っぽい子に聞く。
「これ、どうする?」
「中で分割して・・・」
「そう!正解」
正解が出たところでベテラン歯科医が今度は私に向けて説明を始める。
要は、歯茎を切開して中で割って出す、ということだった。割って・・・。
入院していっぺんに4本抜くのと、外来で1本ずつと、どっちがいいか、
と聞かれて、入院はおおごとだなと思い、1本ずつを選んだ。
医師から注意事項の紙を見せられ、説明を受ける。
「抜歯後に麻痺が出ることがある、っていうのは、よく誤解されるんだけど、
顔がダラーンてなっちゃうんじゃなくって、運動神経じゃなくて感覚のだから。
この辺にご飯粒ついてるのに気がつかない、みたいなことですからねー」
と慣れた様子で言われ、若干、気が楽になった。
余白に大きい十字と上下左右に8を計4つ書いて抜歯と書きこみ渡された。
親知らずって単なる8番目の歯に過ぎないのかもしれない、と思った。

1本目の日、行って普通の歯科と同様の椅子に案内され座ると、
体調など確認されたあと、手慣れた感じで看護師さんが準備に来て、
口だけが穴から見える手術用の布を顔にかけられたので何も見えなくなった。
うわー手術っぽい、と思ってるうちに、麻酔から始まってどんどん進む。
次に何をするかは言ってくれるし、がんばって、とかあと少し、とか、
励ましてくれるのだけど、歯を割るときにはゴンゴンとかなりの衝撃がきた。
(ノミ?ハンマー?歯科用ドリルで削って分割するかと思ってた。違った。
ほんとに文字通り“割る”んだ!どんな道具でやってるんだろう?外から見たい。
一般歯科でできないというだけのことはある。やっぱり普通の歯じゃないわ)

麻酔が効いてるから痛くないし、ときどき数秒口を閉じて休ませてくれた。
割った歯を取り出し、歯茎の中を洗って縫合して、その日は終了。
「明日の消毒と、1週間後の糸取り来てくださいね」
抜歯と抜糸が同じ“ばっし”だから抜糸は“糸取り”とか“ばついと”と言っていた。

家に帰って、抜歯の様子を話すと、え?そんな風なの?と家族に驚かれた。
どうやら顔にあの布をかけられるのはあまりない体験らしい。
晩ごはんを食べようとしたら、味噌汁の油揚げが噛めない。
歯が浮いていて油揚げさえ固すぎて痛くて噛めない。
母に言ったら「うそ〜そんなにかん?何なら食べれるだん?」
何なら、と聞きつつも、何か用意してくれるようすもなかったので、
出された普通の晩ごはんをがんばって食べた。
口もあんまり開かない。歯ブラシも奥までは入れにくい。
術後だからきれいにしたいのに、普段より適当な歯みがきしかできない。
せめてうがいは丁寧にしておく。

そして次の日起きると、面白いほどあごがはれていた。
顔の右と左で別人のように輪郭が違う。
しかし消毒に行かなくてはいけない。この顔で外に出るのか?でも消毒だし。
幸い田舎なので病院までの道のりにそれほど人もいない。
病院までつけば、いろんな患者がいるはずだから珍しくもないだろう。
そう割り切って出かけた。
歯科医が言うには、あごがはれるのは、べつにばい菌がはいったわけではなく、
殴られたらはれるのとおなじ理屈で、問題ないらしい。

消毒に行ったついでに発売日だった漫画を買いに本屋に寄ったら、知人がいた。
あいさつした他は何も言われなかった。
何も言えないほどひどい顔なのか、他人の顔ならこのくらい気にならないのか。
まあいいかと家に帰った。

2本目か3本目を抜いたとき、家に帰ったら祖母が
「あんた、お母さんに会わんかったのかん?」と言う。
私を心配して病院に行ったと言うのだけど、全然しらなかった。
「じゃあすれ違ったんだわ、そのうち帰るら」
と祖母は言うけどずっと待ってたら遅くなってしまう。
自転車でまた病院に戻り、口腔外科へ行ってみると、待合の椅子に母。
神妙な顔をして受付のほうを見て、かばんを膝に乗せてちょこんと座っている。
近寄って声をかけると驚かされたみたいにワッとびっくりして
「え?あれ?もう終わったの?」と照れ笑いしてた。

小さいときよく母に連れられてこの病院に来たなあと思い出しながら帰宅した。
あの頃の母と同じくらいの歳になっていた。
100%母に守られてた当時とは逆に、私が母を心配するようになって、
でも母は母でいくつになっても娘の心配をしている。

母は子どもの送り迎えのためにと運転免許を取ったものの、
免許取得後に一度父を乗せて運転したきりやめてしまった。
父によると、危なっかしくて怖くて乗れないような運転だったらしい。
完全にペーパードライバーのまま高齢者になり、数年前に免許返納した。
だから母が幼い私と病院に行くときは、祖父母に車で送ってもらったり、
そうでなければ1km余りを一緒に歩いて通院していた。
たぶん小児科だったんだと思う。総合受付の左の方の廊下。
待合イスで母と座り、天井を見つめて待っていた。
天井のレールをカルテの入った銀色の箱が行ったり来たりしていた。
電車みたいに一部複線になっていて、すれ違ったり支線にそれていく。
診察室に入っていくのがあると、自分のカルテが入ってたかもと思い、
テレビも雑誌も絵本もなく、それしか見るものがなかった待ち時間。

2回に1回くらい、帰りに病院のまえのパン屋さんに寄っていった。
私へのごほうびでもあり、
パン好きの母の楽しみでもあり、
翌日の朝食の買い物でもあったんだろう。
チョココルネ、あんドーナツ、クリームパンも好きだったけど、
ひとつ特別だったのが、かめのこパン。
親亀子亀孫亀の大中小3段のパン。中はジャムとクリームとあん?チョコ?
いや、孫亀はメロンパンだったかも?味の記憶は曖昧。
台所のカゴにかめのこパンが入ってる光景はいまでも目に浮かぶ。
明日の朝、どの亀から食べようかと考えていたことも思い出される。