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小さな本屋の店番

私は氷河期世代らしくアルバイトでしか外で働いたことがないのだけど、
今考えると全然向いてなかったのによくやってたなと思うけど、
接客というか、人が相手の職場でもいくつか働いた。
動物病院の助手と、歯医者の助手は、片付けなど、ほぼ雑用だけど、
次の患者さんを呼んだり、簡単に調子を聞いたりすることもあった。
一番長くやっていたのは小さい本屋の店番だった。

動物病院、歯科医院、書店、とあったら、
アルバイトで一番楽そうなのは書店だろうと思う人もいると思う。
書店のアルバイトをしている、と言うと、
「へえ、いいね、本が読めるの?」と言ってくる人が時々いて、
そう言う人に限って否定してもなかなか信じない。
でも、本屋のバイトは一番きつかった。時給は一番安かった。
本を読む暇はない。売り物だし。
品出し、整頓、発注、在庫チェック、電話応対、レジ、などを1人でしてた。

私が行ったところはそうだった、ということでしかないけど、
動物病院、歯科医院は複数の人が同時に働いていて、
困ったら聞くことができる、というのが精神的に楽だった。
それにそこにくる人たちは“診てもらう”という気持ちで来ているし、
待たされることも想定しているから、ほとんどの人はスタッフに怒ってこない。
本屋は違う。私は店番が一人の時間帯に入っていたので、
何があっても自分で何とかするしかないのがプレッシャーだった。
お客さんは店員に聞けばわかると思っているし、
コンビニ並みに待たずに対応されることを期待している。
歯科なら分単位で待つ人も、本屋では秒単位な感じがする。

本は日々膨大な点数が新たに出版され、店に入荷するのはその一部に過ぎず、
初版から何ヶ月もせずに絶版になったりもしているのに、
お客さんは古い本のことも聞いてくるし、未刊のものも聞かれるし、
出版されたかどうか定かでないものも聞いてくるし、
そもそも世の中のあらゆることが本や雑誌になっているのに、
急に〇〇の本ある?って聞かれても、〇〇が頭の中で文字にならない時もある。
そしてあのころ(20年くらい前)店にはネット検索できる機器は何もなかった。

そういうわけで本屋は大変だったなあと、いまだに夢に見るくらいだけど、
本屋に来るお客さんたちも、動物病院や歯科の患者さんにくらべて
なんというか多様で、混沌としていた。
たまに、もうやめたくなるほど酷い意地悪な人も来たけれど、
それを帳消しにしてくれるような感じのいい人も来たし、不思議な人も来た。

一番ほっとするのは、常連さんで性格が穏やかだとわかっている人が来たとき。
近所の床屋さんが小さい犬を抱っこしたまま来て、
お取り置きのいつもの雑誌を買っていくときなどは、
こちらも緊張しなくて済んで、今日もいつも通りだな、と安心した。

毎日来る人というのは何人かいたけれど、
その中の一人のおじさんは一度も本を買ったことはなかった。
おじさんとお爺さんの中間くらいの人で、
スーツを着てビジネスバッグのようなものを持って雑誌コーナーに来る。
しばらくすると出ていく。
私がその店で働いていた8年くらいずっと見かけた。
それから10年くらい経ったころ、
同じ町のスーパーに買い物に行ったとき、偶然にその人を見かけた。
全く変わらぬ姿で、見覚えのあるどこか直線的な歩き方で歩いていた。
たぶん毎日決まったルートでこの町を歩いて回っているんじゃないだろうか。
その人の部分だけ時が止まっているようだった。

年末になるとレジ前に年賀状コーナーができる。
気の早いお客さんが来る。
「年賀はがきある?」
「いえ、まだ・・・」
「テレビで発売したってやってたけど」
「ああ、郵便局では発売されましたが印刷済みのはまだです」
「ないの?」
「ええ。これから印刷屋さんが作るわけなので」
「ああそう。しょうがないな」
その印刷済み年賀はがきが入荷したころ来たお客さん。
「やだこれ、4と9ばっかり売れ残ってるわね」
「え?」
「ほらこれ、下一桁が4と9のしかない」
「5枚ずつ入れるとそうなりますよね」
「いやー。やっぱり縁起が悪いから残るんだわ」
「いえ、そうじゃなくて、0から4と、5から9に分かれるので」
「いやー。怖いわあ」
「いえあの」
「しょうがないわ、これでいいわ」
「はあ」
一回思い込むと訂正が効かないのか、日常で困ったりしてないか、
人ごとながら心配になった。

来るとちょっとうれしいお客さん。
カップルというか、たぶんご夫婦で、二人ともいつも微笑みを浮かべていた。
にこにこ、よりは控えめな感じ。
女性の方がいつも買う漫画雑誌があり、レジに持ってこられる。
男性の方がプレゼントでも買うかのような表情で支払う。
女性がちょっと恥ずかしそうにそっと本を受け取る。
うれしそうに二人で帰っていかれる。
その様子がなんというか、欲しい本を買ってもらった子どもみたいな、
買ってあげた保護者みたいな、でも全然、上下関係は感じられなくて、
ほのぼのした感じでとても良かった。

今ほどネット通販ネット書店が普及してなかったので、
注文をしに来る人も毎日のようにいた。
「これ注文したいんですけど」
「これが本のタイトルですか?出版社はわかりますか?」
「はい、ここに書いてあります。小社刊って」
「ええと、小社というのは自分の会社を謙遜していう言葉で名前じゃないので」
「???」
「あ、いいです。タイトルが分かれば調べますので」
今はどうなのか知らないけど、当時のお取り寄せは、出版社に電話して、
在庫があると1週間以内くらいに取次に出荷されて、
それがさらに次の週くらいに店の他の仕入れ品と一緒に届いた。
たまたま早い時は早いけど、だいたい2週間かかっていた。
注文したい人には最初に、2週間かかっても良いか聞かないといけなかった。
遅いからもう要らない、ということになると返品できなくて困るから。

子どももいっぱい来る。
「〇〇〇〇の攻略本ありますか?」
子どもは早口で、本が欲しくて気が急いているとますます早口で、
しかも私の知らないゲームの名前だから聞き取れない。
「え?何の攻略本ですか?」
「〇〇〇〇!」
だめだ、全然聞き取れない。
「あるか分からないけど攻略本はこの棚なので見てもらえますか?」
敗北感でいっぱいだった。

またある時、10歳くらいの子がレジに本とお金を持ってくる。
小銭がいっぱい出される。お小遣いを貯めてきたんだろう。
レジを打って数えると1円足りない。
お金が足りないと知った子どもは呆然。
個人的には1円くらいまけてあげたい。自分が店長だったらそうしてる。
でも私バイトだし、どうしたものか、と思っていると、
次に並んでいた常連のお兄さんが、黙って1円を置いてくれた。
子どもはびっくりしてありがとうを言うのも忘れてポカーンとしていた。
私も何を言うべきか思いつかないうちに二人のお会計を終えてしまった。
お兄さんはちょっといいことをした、という満足の表情をしていた。

マニュアルも制服もたいした研修もない、個人経営の小さい店だった。
楽しくて続けていたというよりは、辞めそびれて惰性で勤めていたけど、
時給は700円くらいで安かったけど、本に囲まれてるのは好きだった。
前後の時間のバイトさんが本好きな子だと、交代のときに
「このマンガ読んだことあります?」
「これ今度アニメになるらしいですよ」
などと本の話ができるのも良かった。

その店が閉店して、次に大きめの、支店がいっぱいある書店のバイトに行った。
採用の時、店長が契約事項だか禁止事項だかの書類を延々と読み上げていて、
たぶん今までに起きたトラブルの数だけ条文があるのだろうけど、
何でそんな細かいことまで、と馬鹿馬鹿しく思いながら聞いていた。
仕事のマニュアルも細かくガチガチで、なんだか窮屈に感じた。
そこへ来るお客さんもマニュアル通りの完璧な接客を期待してるように感じた。
あの小さい本屋のようには個性的なお客さんは来なかった。
指導役の社員の人のお説教がとても長かった。
時々、警察OBの万引きGメンが来て見回っていった。
常時5人は勤務していたし、パソコンもあって検索でき、在庫も調べられた。
でも分業していて、レジ専門要員になって売り場に出られないのは残念だった。
だんだん息苦しくなってそのうち辞めてしまった。

もしも私が本屋を開くなら、小さい店に、売れ筋とか関係なく、
自分がおもしろいと思った本だけを選んで並べてみたい。
あの作家、あのシリーズ、あのジャンルの棚を、
それから雑貨も少し並べて、店内BGMは、と空想を広げ、
でも儲からないだろうな、接客も疲れるし、怖いお客さん来たらやだな、
と現実に戻って妄想を閉じる。