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歌は苦手でも高校の音楽はおもしろかった

私はなんで高校の選択科目で音楽を選択したんだろう。結果的にはそれでよかったと思うけど。

通った小中学校が合唱が盛んすぎて、音楽の授業もほとんど合唱、朝も帰りもクラスで合唱、今月の歌、合唱集会で発表する歌、運動会の歌、卒業式の歌、音楽の先生はいつも声楽科を出たと思われる先生で、音楽が専門じゃない担任の先生も選曲から指導まで熱心で、指揮を見なさい、指揮者が手を挙げたら右足を肩幅に開きなさい、足を出すタイミングが揃ってない、もう一回、口を大きく開けなさい、指が縦に三本入るまで口を開けなさい、口が小さい、顎の関節がカクッていうまで開けるの!口が小さい、お前の口はこれしか開いとらんぞ!口が、声が小さい、口が小さい・・・。

こんなの音楽じゃない。体育といっしょだ。どうして音程や音楽性についてはほとんど指導してくれないのか。怒鳴るように大声で歌ってる子のほうが元気で良いっていう目で見られてるのはなんでなのか?先生のピアノに合わせて手を振ってるだけの子の指揮を見ることになんの意味があるのか?体育も音楽も嫌だ嫌だ、と思い続け、中学3年の時にはみんなで歌うときには声を出さずに口パクでごまかすようになり、歌のテストでは一声も発せなくなっていた。
なのに、高校の入学の書類の芸術の科目選択で、書道でも美術でもなく音楽を選んでしまった。小中学校の音楽の授業は嫌だったけど音楽そのものは欲していたんだと思う。

中学で吹奏楽部だったから高校も吹奏楽部に入ろうと決めていたのに、母のひとこと「帰りが遅くなって大変なんじゃない?」を“ダメ”の意味にとってしまい、あっさり諦めてしまった私は高校生になってますます音楽に飢えていた。

高校の音楽の先生は専門はなんだったのか、声楽ではなさそうだった。無口で、黙ってると髭面が怖そうなのに実はお茶目な先生でときどきワハハと笑っていた。私のクラスの担任が、
「(音楽の先生)は趣味で作曲してコンピュータに打ち込んで作ってて、その話する時は顔が輝いてるんですよ。君らも好きなことは学校の勉強と関係ないことでもどんどんやったらいいんですからね」
と言っていた。高校に合唱部はなく、音楽の先生は吹奏楽部の顧問だった。音楽の授業では歌も歌ったけど席に座ったままだったし、曲も合唱用の曲ではなくクラシックの歌曲で、歌い方をどうこう言われることもなく、歌よりも音楽鑑賞の授業が多かった。歌えないくせに音楽選択した私にはそういう授業はありがたかった。初めて音楽を教わっているという気がした。

映画『アマデウス』を何回かに分けて見たあと、モーツァルトについてレポートを書いて提出する、という授業があった。アマデウス、見たことある!モーツァルト好き!と思って喜んで書いたけど、モーツァルトの精神は善か悪か、みたいなテーマは難しくて拙いレポートしか書けなかった。
ニーベルングの指環』は長すぎるから抜粋で見た。抜粋でもかなり長く、何回目かの授業でやっとワルキューレが出てきて、わあ〜学校でワルキューレ聴けるなんて、とうれしかった。
クラシック以外も『ピンクフロイド』も見た。
ビートルズやカーペンターズも聴いたり歌ったりした。
「イエローサブマリンを日本語で歌うとどうなるかと言いますと、きーいーろーいーせんすいかん、せんすいかん、・・・」
ていう先生の声がイエローサブマリン聴くたびによみがえって笑える。

なんでも何人でもいいから楽器演奏を発表する、というのもあった。みんな好きなようにグループを作り、吹奏楽部の子や小さい時から楽器を習っている子の演奏はもちろん上手かったし、誰がどんな曲を用意してくるかがとてもおもしろかった。
私は友達がバイオリンが弾けたから、ちょっとエレクトーンを習ってたことがあるというだけなのに「チゴイネルワイゼン」のピアノ伴奏を引き受け、やってみてから伴奏するってめちゃくちゃ難しいなと気づき、エレクトーンとピアノって全然違うと気づき、ヨレヨレの伴奏で上手なバイオリンの邪魔をしないように必死だった。友達は、自身の演奏には厳しかったけど、私の伴奏には「適当で大丈夫だよー」と言ってくれる優しい子だった。あれ以来バイオリンの曲も興味を持って聴くようになった。

年に一度くらいは一人づつ歌を歌うテストがあった。曲は教科書に載っている歌から好きに選べばよかった。私は音域の狭い曲を選んで小さい口で蚊の鳴くような声で歌ったけど誰も何も言わなかった。
中にはすごい演技力で表情と振りをつけて歌う子もクラスに一人くらいはいて、演劇部員のKちゃんがTonightを歌った姿はいまだに覚えている。その時間だけ音楽室の空気が変わって、終わったらみんなから「おお〜」と感嘆が湧き上がっていた。Iくんも出だしからどよめかせていた。外国語の発音がすごく良くて、前奏間奏部分で語りも入れていた。
先生のピアノ伴奏もちゃんと原曲通りつけてくれて上手だったし、自分が歌う番の時以外は、歌のテストもおもしろかった。小さいリサイタルみたいだった。

ウエストサイドストーリーの授業もおもしろかった。
まずはミュージカル映画のビデオを鑑賞。見る前に先生が登場人物を紹介しながら、「このマリアやトニーやこの人たちはえーと反抗期、じゃなくて発情期、じゃなくてなんだ、とにかく若いものですから」云々と黒板に名前と関係図を書き、一時限分の鑑賞をして授業が終わって生徒がはけたあと、
「あ、そうか。思春期。思春期って言えばよかった。あー」
とため息ついていたのがおかしかった。

ミュージカル映画の本編を全部見た次は、バーンスタインがオーケストラとウエストサイドストーリーの音楽を録るときの、リハーサルの風景のドキュメンタリーを見た。映画のサウンドトラックではなくて、音楽の質にこだわって歌手も変えてやっているので、どんなふうに修正されていくのかとても興味深かった。
ホセ・カレーラスがマリア〜マリア〜と何回も歌ってどうしてもOKが出なくて、ついにプイっと早引きしてしまうシーンがあって、先生はちょっと止めて、
「あのあとカレーラスは家に帰って、練習なんかしないで寝ちゃったんだろうと思いますね」
と言って続きを流すと、次の日のシーンではカレーラスが素晴らしい声で歌ってOKをもらっていた。

そのmakingの映像があまりにおもしろかったので、私は家で父に、これこれこういう映像があって、先生が持ってるレーザーディスクなんだけども、おもしろかったからもう一回見たい、売ってるだろうか、ということを話した。父はポカンとした後叫ぶように言った。
「あんた、父ちゃんがウエストサイドのCD買ってきたって言ったとき見向きもせんかったじゃん!」
そうだったっけ?と私は思い返した。確かに家にはすでにウエストサイドの映画のサントラ版のCDがあった。父がそれを買ってきたのは私が中学生の頃で、一緒にテレビでウエストサイドを見たのもそのちょっと前だった気がした。しょうがないじゃん、あの時はそこまで興味が持てなかったんだもん、それにウエストサイドそのものより音楽を作ってる人々がおもしろかったんだもん、と思って私は黙っていた。

父は次にレコード店に行ったときにいろいろ見てきたらしかった。そして、
「あんたが言っとったmakingのやつは売っとらんかったに」
と言って代わりにmakingの結果出来上がった演奏のCDを買ってきてくれた。カレーラスも、キリ・テ・カナワのふわーっとした声も、バーンスタインのメロディもリズムも素晴らしかったけれども、あのカレーラスが帰っちゃうところはもう見られないのか、と少し寂しかった。

そしていま検索してみると『THE MAKING OF WEST SIDE STORY』というDVDが現在も販売されている。二千円くらいで。(これ!これだよ父ちゃん、あの時見たかったの!)と心の中で亡き父に叫んだ。生きてたらジャケットをじーっと見て「ほーう」とか言うんだろうな。それから、おもしろそうじゃん買っといでん、とか注文しりんとか、一緒に見るかね、とか言ったかもしれない。