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変な家

 むかしむかしあるところに、見渡す限り不毛な土地の、とある王国がありました。

 その王国では人間と翼の折れた妖精が、仲良く暮していました。荒涼な大地には、彼方から冷たい風が吹き、その暮らしぶりは過酷なもので、布切れ一枚敷いた地面で体を九の字に曲げて寝たり、鍋を椅子代わりに座ったりしながら暮らしていたのです。彼らは食べ物を分け合ったり、枯草で作ったボールで一緒に遊んだり、火を囲み国の政治や、食料配給などについて、夜が明けるまで話し合っていたのです。なかなか不便な暮らしでしたが、子供が裸足で走り回ると、母親たちは子供を呼びつけ頭をぴしゃりと叩いたり、人間も、翼の折れた妖精も同じ生活をしていたので、みな幸せだったのです。遠くに城がそびえていましたが、誰もそんなことを気にするものはいなかったのです。

 ところがある日、人間の男が食べ物を探すために枯草が転がる不毛な大地をきょろきょろと歩いていると、男の足に何かが引っ掛かり危うく転びそうになりました。男は足もとをよくよく見てみると、光る物体を発見したのです。男は光る物体を地面から掘り起こし、まじまじと見ようと目の前に持ち上げました。すると、その光る物体の中に自分の姿が映っていたのでした。それは動物の黒い骨のようなもので縁取られた鏡でした。男はそれがはじめて見る自分の姿だったのです。男は驚いて、黒い縁取りのある鏡を急いで集落に持ち帰ると、みな興味津々で我先にと自分の姿を鏡に映すのでした。その時、自分というものの存在を認識したのです。全員の姿を比べてみるとどうやら自分には似つかない別のかたちをしていることに各々気が付きはじめました。その種類は二種類に分けられるようです。次第に今まで生活を共にしてきた同士が昔からの旧敵かのように思えてきたのでした。その不安は伝染病のように互いに広がり、よそよそしく互いの様子を覗うまでになりました。人間のリーダーは慄き、ついには羽の折れた妖精たちを地下に閉じ込めようと言い出したのです。しかし反対するものも中にはいました。子供同士の中を引き裂くつもりかと訴えたり、反対に、翼の折れた妖精は我々に対して食料などの貸しがある所以、返済まで地上に留めておくべきと主張するものもいました。しかし大多数が翼の折れた妖精を地下牢に閉じ込める意見に賛成だったので、反対派も渋々決定に従うしかありませんでした。翼の折れた妖精たちは激しく抗議し、森の中で妖精だけのコミュニティを創り、しばらくそこで平和な生活していましたが、やがて人間たちに見つかってしまいました。結局、力では人間には敵わず、翼の折れた妖精たち全員が地下牢に閉じ込められてしまったのです。

 暗い地下の生活は過酷を極めました。翼の折れた妖精たちはかび臭いパンとほとんど味のないスープで飢えをしのぎ、妖精の中には自死を選ぶものも出てきました。地上の生活を忘れ、意味不明なうわごとを叫び出したり、地下牢の入り口から差し込む強い光を直視し、目の光を失ったものもいました。無気力になって一日中、床に臥せている者、食べる事すら拒み痩せ衰えていくものも出てきたのです。

 そんな生活が何年も続いた頃、一人の翼の折れた妖精の少年が地下と地上を繋ぐ階段から上の様子を伺っていました。天井の太陽の光が微かに差し込むその場所は少年のお気に入りの場所でした。ある晴れた朝、翼の折れた妖精の少年がいつものように地上を見上げていると、人間の手にとても美味しそうな肉の塊や、指に嵌められた贅沢な宝石を目にし、それらは少年を涎も出さんばかりに空腹にし、手を伸ばしたくなるほど手に入れたくなったのです。少年は両手を組み合わせ、まぶたを閉じて神様にお祈りしました。どうか僕を明るい世界に導いて下さい。すると、こつりと音がして、目を開くと翼の折れた妖精の少年の目の中には赤いルビーの石が映っていたのです。それは階段の上で光を放ち、少年が鉄格子から手を伸ばせばぎりぎり届く場所にありました。少年は手を伸ばすと、赤いルビーを握りしめました。その日の夜は満月でした。少年は鉄格子にもたれながら赤いルビーを眺めていると、月の光が赤いルビーに反射してきらきらと輝きました。その光をうっとり見つめていると、赤いルビーがいちだんと強く輝き出して、眩しい赤い光が暗い部屋を突き抜け、壁の一点を照らし出しているのです。ゆっくりと少年は近づき、赤い光の指し示す壁の一点を指で軽く触ると壁はボロボロと簡単に崩れ落ちました。
 次の日、少年は昨夜ルビーが示した場所を地面に落ちていた鉄の板で削ってみると簡単に掘り進められることが分かったのです。それから毎日のように少年はこの場所を掘り進めました。ある程度まで横穴をつくると、今度は上に向かって掘り出したのです。上に掘り進めると、掘った土が少年の顔に容赦なく落ちてきます。少年は片方の羽で顔を守りながら、力一杯鉄の刃を突き刺すのでした。上に登る時は穴に足がちょうど嵌まるくらいの窪みを作り、そこに足を掛けて登ります。一週間ほど掘り進めた頃、少年が上部の土くれを削ると、一気に土の塊は崩れ落ち、光が差し込みました。少年は目が眩みましたが、手探りでよじ登ると、天には青空がどこまでも広がり、白い雲が流れて行くのが見えました。

 まわりを見渡すと人間たちが相変わらず地面に座り、宴を開いていました。いくらでも溢れ出てきそうな樽から酒を飲んだり、美味しそうな食べ物を広げて大声で楽しそうに歌い、大声で笑っています。
羽の折れた妖精の少年はその宴に近づき、油膜が表面にしっとりと着いた肉の塊に手を伸ばすと、人間たちは驚き、軽蔑の目で少年を見ました。
「お前どこから出てきた」少年はびっくりして、その場所から走って逃げました。後ろを振り向くとたくさんの人間たちが自分の後ろから追いかけてくるのが見えました。
無我夢中で走ると、子供の時に一度、遠くから眺めた城の門の前まで来ていて、幸いにも門は開いていたので、少年は門の先の緑溢れる園庭を抜け、大理石でできた階段を駆け上がり、大きな扉の前に立っていました。
おそるおそる扉を叩くと、その音は広いどこまでも続く廊下に反響しました。
すると中から声がしました。
「少年よ、中に入るがよい」
少年が重い扉を押し開けると、赤い絨毯が延々と続き、少年は声のする方に向かって歩いて行きましたが、歩いても歩いても先は続き、少年は歩くのにへとへとになってしまいましたが、ついに赤い絨毯の終わりまで来て、見上げると、国王が巨大な玉座に座ってこちらを見下ろしていたのでした。
「翼の折れた妖精か、初めて見る」
「ここ千年のあいだわたしの前に現れたのはお前がはじめてだ」
「私は長いあいだ孤独であった。少年よ、願いはなんだ。ここまではるばるやって来たやつはお前一人だ、お前の願いを叶えよう」国王は言いました。
「僕たち翼の折れた妖精は人間たちに長い間地下牢に閉じ込められていました。」
「国王どうかお願いです。僕たちを昔のように地上の世界へ、光のある世界へ戻してはもらえないでしょうか?」少年は言いました。
「望みはそれだけかね?」
「はい」
「叶えよう。そしてお前たちが住めるような立派な家を地上につくってやろう」
少年は深々とお辞儀をし、はるばる来た道を戻って行きました。

 その噂を聞いた一人の人間は、ずうずうしくも国王のもとへ行きました。
「国王陛下、私は以前から彼らが地下牢に閉じ込められているのは、人間的平等性から考えても、道徳的側面から考えても不合理な事であると、以前から考えていたのでありまして、この機会を私は待ちわびてたのであります。国王陛下の政治は後世にも続く偉大な遺産であると私は考えております」
「お前はなかなか抜け目のない奴だが、お前が何を考えているかわたしが分からないとでも思っているのかね?」
「はあ、なんのことやら」
「お前の願いとやらを聞いてやろう」
「私にも家をいただきたい」
「お前の願いを叶えてやる」
その男の家は建てられ、大喜びしました。

 その噂を聞いた人間たちは次々と国王のもとに参上し男と同じように妖精の境遇を憂い、悲しみ、家を建ててもらえるように国王の涙を誘うのでした。
国王は家来に命じ多くの設計士や大工を遣わせ城の回りに人間の家を次々に建てさせたのでした。

 しかし、翼の折れた妖精たちのもとには待てども待てども国王の大工たちはやって来ませんでした。
 ある日、ようやくやって来た大工たちは、人間たちの家造りに疲れ果て、腕もまともに上げられない有り様で、妖精たちをなじる輩もいましたが、ぶつぶつと言いながら地下牢を破壊し、その上にとても大きな黄金色に輝く素晴らしい家を建てたのでした。これには翼の折れた妖精たちも大喜びで、大騒ぎの狂乱ぶりでしたが、妖精たちの半分は地上から上がって来れたことも、黄金の家が建ったことにもほとんど無関心といった具合で、ぽかんと空を見上げ、天気の具合をひたすら観察しているようでした。少年は黄金の家を見上げると昔のように人間たちと一緒に生活出来ることを待ちわびて、神様に感謝するのでした。

 妖精の少年が新しく建った黄金の家の、金の縁取りのある白い大きな扉を開くと、中には素晴らしい調度品たちが並んでいます。妖精たち一人ひとりの個室が並び、地下牢の生活のことなど、もうすでに頭の中から消えさってしまっていたのでした。
 少年は窓から外を見渡すと綺麗に刈り揃えられた芝生が広がり、花壇にはピンクや白の花々が咲き乱れ風に揺れています。何本か植えられた大きな木には黄色い花が咲き、木の下には花びらが地面に黄色い模様をつくっているのが見えます。翼の折れた妖精の少年は、居てもたっても居られず身を起こすと、白い扉を開けようとしましたが、扉は開きません。何度も体を押し付けてノブを回しても開かないのです。
ふと、少年は部屋の中央にあるテーブルに目をやりました。
テーブルの上には一通の手紙が載っていて、少年が手紙を開くとこう書いてありました。
「外出する際は、窓際にある黒い電話から管理人に電話すること」
しかたなく黒い電話の受話器を取って手紙に書かれた番号に電話してみましたが、留守のようで誰も出ません。
 そのとき窓の外から人間が通る足音が聞こえたので、その男に声をかけてみましたが、男はしかめっ面でそのまま素通りしていきます。次に反対側から女が歩いてきました。今度こそはと少年は思い、さっきよりも大きな声で呼びかけてみましたが、女は友人達と話に夢中でまたしてもその声は届きませんでした。大勢の人が道を行き交うので、少年は目立つように大きく手を振ってみましたが、みな雑踏に消えて行きました。どうやらこの窓はこちらからは外が見えるが、外からは中が見えない仕組みになっているようです。さらに分厚いガラスは完全に壁にはまり、遮音され、こちらから開けることは不可能だと分かりました。

 黒電話が部屋中に鳴り響きました。
「さきほど電話しましたか?」受話器から声がします。
「ええ、さきほど電話したものです。今から外出したいのですが」
「分かりました。何か必要なものはありますか。車椅子や盲導犬、抗不安薬、向精神薬、権利、法律などなんでも揃ってますが」
「いえ、特に必要ありません、ただ、暖かい太陽の下を自由に散歩したいんです。なぜこちらから扉が開かないようになってるんでしょうか?」
「それはだいたい見当がつくでしょう。場所に寄ってはあなた達は偏見の目で見られるんですからね。こちらで行き先を決めてあげないといけないんです。あなたたちは〝生きやすく〟なりたくないんですか?」
「国王に言ってもらえまえせんか。この扉から自由に出入り出来るように。あの方だったら理解して下さるはずです」
「もはや国王は我々が支持しなければこの国を治められないでしょう。それにあの方は多忙なのです」
「ということは、いったいこの黄金の家はこの国にとってなんの意味があるんでしょうか?」
「それは国王に聞いてくれますか。私たちの手には負えない問題なのです」
電話はぶつりと切れました。

 少年が窓の外を見ると、濃い紫色に染まった雲が、山のような連なりのようにゆっくりと薄い水色の空を流れて去っていきます。先の尖った城の向こうに沈む夕陽は、黄金の家をいちだんと輝かせました。羽の折れた妖精たちは大きな黄金に輝く素晴らしい家を貰ったが、これで充分幸せなのだろうか。障害者の少年は手に持った赤いルビーを夕陽にかざしながら考え込むのでした。

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