注意喚起、陰謀論者各位/全知全能の神という概念と非人間的な反応

主に、公平世界仮説についての話です。今回は胸クソ注意です。胸クソゆえに、こんな前置きが必要になります。
イスラエルがパレスチナを攻撃したとしても、全てのユダヤ人が極悪なわけではありません。アメリカ合衆国が中東諸国を苦しめていたとしても一般アメリカ市民が極悪なわけではない。

さて、災害が起こると、たまに、というか必ずと言っていいほど現れるのが災害に対して宗教的な解釈をつける人たちです。「これは神が下した天罰なのだ」と。しかしそれがいきすぎると災害の犠牲者たちを愚弄することになってしまいます。

私が一神教の信者を感情的に忌み嫌うのはこのようなことが理由です。あ、仏教の僧侶でも時々いますけど、苦しい、つらい目にあった人に対して前世の因果が原因で罰を受けている最中なのだ、とかほざくやつらです。

例えば聖書には洪水伝説がありますけれども、それが神が下した天罰だったにせよ、洪水の犠牲者が全て悪人だったわけではないでしょう。幼い子どもにどんな罪がありましょうか。

最近、こんなニュースがありました。
イスラエルの記事です。北イスラエルのサフェドの首席ラビであるラビ・シュムエル・エリヤフが発表した災害に対する見解にイスラエル人からも非難が集まっています。ラビとはユダヤ教の示導者のこと。完全ではありませんが、Google翻訳英語から日本語訳でだいたい読めると思います。
THE TIMES OF ISRAEL

要は、宗教のえらい人が、「災害が起きた原因は神が下した天罰なのだ」しかも、「災害の地域の人たちが過去の歴史の中でユダヤ人に対して侵略を行ったことに起因する」という趣旨の文章を公表してしまったのです。

とても視野が狭い人なのでしょうね。過激なナショナリズムと宗教的な世界観だけで物事をとらえ、人間としての共感や相互理解への姿勢を欠いています。宗教のトップクラスにえらい人がそんなんだったら嘆かわしいです。

ともあれ、同じイスラエルにも人の心を持った人たちがいて安心しました。以下は残念ながらイスラエルの救援隊が被災地へ向かったが撤退したという記事ですが、そもそもイスラエルの救援隊がトルコの被災地へ向かったこと自体を評価するべきです!
イスラエルの救助隊が安全上の懸念からトルコから退去

さて、本題というか結論です。私たちもラビ・シュムエル・エリヤフと同じ過ちをしてしまう可能性があります。

公平世界仮説ってご存じですか?人が誰しも陥りがちな認知バイアスの一つです。以下ウィキペディア引用

この世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。言い換えると、公正世界仮説を信じる者は、起こった出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であると考え、またこれから起こることもそうであることを期待する傾向がある。

ウィキペディア

この認知バイアスゆえに、ひどい目にあっている人を見かけても共感しない、同情しない理由をでっち上げることが可能になってしまいます。神は全知全能なのだから、誰かがひどい目にあっていてもそれは神の思惑通りであり正しいのだと正当化できてしまうのです。

全知全能の神は人間性を失うのに便利です。もし自分が悪いことをしてしまっても、神が全てをコントロールしているのだから、自分は神の思惑通りに動いたに過ぎない、と自分を正当化できるんです。

ここまできたらもはや病気ですけど、私たちの身のまわりの情報で何か気がつくことはありませんか?

それは陰謀論です。全知全能の神、とまではいかないけど、かなりそっくりなので注意が必要です。

悪の組織が世界を牛耳っていて、世界をコントロールしている、という趣旨の言説がさかんにインターネット上をかけめぐっています。世界で何かが起こるたびに「これは計画されたものかもしれない」などと考えてしまっていませんか?地震さえも計画されたものだと言い切る人までいます。そこまでヘビーじゃなくてもあるいは陰謀論が嘘だとわかっていても、本当だったらどうしよう、と心配になってはいませんか?

そのようなことがあれば、公平世界仮説の入り口に立っていると自覚した方がいいかもしれません。全てがコントロールされていると疑心暗鬼になるうちに、人間としての尊厳が傷つき、主体性を失い、出所不明の情報に振り回され続けることになります。そんなことをしているうちに人間性を腐らせ、共感や歩み寄る姿勢を無くしてしまうでしょう。

単一の理屈で何かを説明することに慣れてしまうことは視野を狭めます。狭められた視野を通して世界を見る時、人は独善的で傲慢になりがちです。自分だけが正義だと考えているうちに、日本赤軍やオウム真理教、ネオナチなどに人間が変化していくのです。

しかし実際の世界はそんなに単純じゃありません。単一の理屈では説明できないくらい複雑怪奇です。

私たちはその複雑さを進んで楽しまなければいけません。勉強するっていうとちょっとお堅い感じがしますけど、せっかく地球という多様性に富んだ惑星に生まれたのですから、世の中の複雑さを、まるで浴びるように生きていかないと、本当にもったいないです。人生は有限ですから、狭いものの見方に囚われてしまうにはあまりにも短すぎます。

情報化社会とはいえ、情報をたくさん持っているから偉いわけではありません。物事を俯瞰してみているつもりでも、実は狭い範囲の情報をつなぎ合わせた物語に過ぎなかった、なんてこともあるわけです。

以上が私からの注意喚起です。

なんか面倒くさい注意喚起だな、と思うかもしれませんが、それが人間という類人猿の一種が獲得した言語能力の副作用です。言葉は便利ですが、言葉を通して組み立てた理屈や理論では結局世界の全てを説明することなどできはしない。

人間は言葉を使う生き物であって、言葉に使われはじめたら人は邪悪になる。感情から言葉が生まれるのは自然ですが、言葉から人間性を形成しようとすれば絶対不自然になります。変な理屈をでっち上げて言い訳がましくなったら負けなんです。

人間性を維持するために学び、世界に歩み寄り、そして言葉を使いこなしましょう。バイアスを通さず、直感と共感で直接世界とつながりましょう。

最後までありがとうございます。私の友達。


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