心理的安全性にはレベルというか種類がある

心理的安全性についていくつかの書籍を読んだり、社内で場を設けてみんなで話したり、雑談で話したりと、結構いろいろ考えている。そしてもやもやしている。

書籍『恐れのない組織』にもあるように心理的安全性=仲良しグループという誤解がある。「心理的安全性 ぬるま湯」で検索するとたくさんの記事がでてくる。心理的安全性を実現するのに仲良しになる必要はあるのかと。初めましてなメンバーでも言いたいことを言い合える場面もある。「お互いのことを知ろう」とか「笑いのある場を作ろう」みたいなのって本当は必要ないんじゃないかと思うようになってきたのはここ最近。

大事なのは「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」というのをみんなが理解し実践すること。そういうプロフェッショナルな人たちが集まれば初めましてでも言いたいことを言い合えると思う。彼らにはお互いのことを知る必要もないし笑いも必要ない。共通の目標があればその達成のために力を合わせることができる。

そういうことを考えていると、心理的安全性にはレベルというか種類があると気づいた。

①仕組みで成り立つ心理的安全性
付箋を使ったりアイスブレイクしたり、テクニックを使って心理的安全性を実現する。誰でも簡単に心理的安全性を得られる。しかし、その仕組みがなくなれば簡単に失う。インスタントな心理的安全性である。

②特定の個人で成り立つ心理的安全性
ワークショップでのファシリテーターやチーム内のムードメイカーなど、特定の個人により心理的安全性が実現される。勇気を出して言いにくいことを発言してくれる人もここに当てはまる。こういう人たちがいるから安心できる。逆にこういう人たちがいなくなると安心できなくなる。属人的な心理的安全性である。

③チームの共通理解で成り立つ心理的安全性
チームメンバーが「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」ことの大事さを共通理解していることで心理的安全性が実現できている。共通のゴールにみんなで向かっている、もしくはあるべき姿についてチームでしっかり話し合った状態など。その共通理解は文化となり一人一人の振る舞いに現れてくるので、新メンバーが入ったときには文化として共通理解が伝播する。持続可能な心理的安全性となる。

共通理解こそが心理的安全性なのだと言いたいわけではない。仕組みや個人の取り組みによって一人一人が「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」ことの大事さを理解することでチームの共通理解に繋げることができる。

僕のもやもやは、仕組みや個人の取り組みまでで終わってしまっていることが多いのではないかということ。自分自身ふりかえってみても「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」ことの大事さを理解してもらう働きかけをしてこなかったのではないかと思う。おそらく「なんとなく言いたいこと言えてるなぁ」そういう程度で止まっているのではないかと。また、お互いを知るや笑いのある場というのも心理的安全性を実現できる手段ではあるが、お互いを知っていても笑いのある場であっても心理的安全性が必ず高くなるとは限らない。うわべだけかもしれない。むしろぬるま湯になりやすいのではないか。

ではどうやってチームの共通理解にするのか?これは言語化が必要なのだろうなと考える。一人一人がどう考えているのかは言語化しないとわからない。心理的安全性についてではなく「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」ことについてしっかりとチームで話し合う。ワーキングアグリーメントやグラウンドルールを策定するとなお良いのではないだろうか。もっといいのは「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」ことでうまくいった成功体験が発生したタイミングで言語化してしっかりと共通理解を促すこと。実体験と結びつくと腹落ちできる。

今回考えるにあたって影響を受けたのが書籍『多様性の科学』である。多様性がないことでイノベーションどころか大事故や大惨事に繋がるとのこと。良い結果を得るには多様性が必要。そのためには「お互いに言いたいことをちゃんと言い合う」。結局のところ使命感や成果に対してのコミットメントなのかもしれない。『心理的安全性』という言葉だけに意識がいくと本質を見誤るのではないか。

※エイミー・エドモンドソンの言う「謙虚さと好奇心が必要」というのもそのとおりだと思っている。

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