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時の流れに身をまかせること。

年始早々に、勢いよく始まったnoteの手が2日目にして止まる。
理由は、原因不明の体調不良で過去に体験したことのない時間を過ごすことになり…..

わたしは痛覚が鈍かったり、人並み以上に忍耐力や体力があるのか、人の何倍と活動できるという自負があります(ありました)
過去、どんな時にも動きが止まることはなく。
服にガス台の火が引火して全治3ヶ月の火傷を負った日も、ぎっくり腰で腰が砕けた日も、足の甲の骨が折れた時も。
病院や治療院に通院して、予定に穴を空けることはありませんでした。

こうやって身を粉にしたり、身を削ることに(そうも思っていなかったけど)、ある種の美学的なものを感じていて、これが良いんだ!と思って動いていたけれど。実際、気持ちや心(魂)と自分の肉体はイコールにはなっていなかったのだろうなぁと、振り返って思っています。

今回、強制ストップで身体が動かなくなり、それと同時に余計な思考もストップしてくれたおかげで、年始早々に今までに体験・体感したことのない時間を過ごせています。ゆっくりって大事ですね。

2016年10月。
わたしが社会人として生きるためのすべてを教えてくれた真理さんが紹介してくれた「ゆっくり小学校」。

主宰する文化人類学者の辻信一先生の著書。
”よきことはカタツムリのように”
という書籍の一節に、インディオの在り方が綴られています。

この一節を読んだ衝撃はいまだに忘れることがなく、あれから6年以上の月日が流れていますが、きっと、わたしにとってものすごく重要なことだったのだろうと、いま、振り返って思っています。
(読書ができないわたしはこの一節を読んで満足し、この書籍の続きは知らない)

ゆっくり生きることというより、時の流れや出来事にあらがわず生きること。
自分がいいなぁと思うことや好きなことに目を向け、耳をかたむけ、気持ちをそわせること。
何度も生きよう、そうしたい、と思って、実際にそのように生きている部分も多くあるのだけれど、根っこの部分はそこに到達していなかった。

今回、強制ストップしたことで、ほんとうに大事にしたいことに、いま、心から向き合えているように思います。

辻先生の伝えたかったこと。あの書籍が教えてくれたこと。
なにより、あの場へ行くことを提案し、導いてくれた真理さんが、わたしになにを伝えようとしてくれたいたのか。6年もかかったけど、ようやく、少し、わかった気がしています。

もう少しこの時間を体験し、もう少しこの時間を味わって、もう少し隣り合わせに過ごしてみる時間。大事にします。

いつかの一色海岸での写真 Photo by にしくぼ彩恵