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ミスターラグビーとの出会い

川松真一朗です。

ノートに挑戦ときたものの、中々、書き出すと推敲を重ねたりして、時間がかかる。ようやく、第一弾のストーリーを本日公開。

私の宝物

今日は私の人生では大きな運命の分かれ道となった平尾誠二さんとの話を第1弾にもってくることにした。私が生涯にわたって宝物にしているのが「イメージとマネージ」という1冊の本。このnoteでも、紹介する予定である松岡正剛さんと平尾さんが共著の本。おそらく、両者のサイン入り本は、この世に1つしか存在しないのではないだろうか。先に松岡さんにサインを頂き、あとからトップリーグの表彰式で会場入り待ちして、サインを頂いたのです。その頃はよく、お会いするたびに平尾さんとは話をさせて頂いておりました。まだテレビ朝日のアナウンサーだった時期の事ですから、今から15年くらい前にもらったサインかもしれません。

これが私の宝物

平尾プロジェクトと運命的出会い

意外と私が表で語る事のない経歴の一つにラグビー「平尾プロジェクト」での経験がある。私がラグビーを始めたの高校1年生の時。それまでは幼少時代からは基本的に水泳で、小中通して、地域ではそこそこの成果をあげていて、墨田区立両国中学校では墨田区の学校対抗で23連覇を成し遂げた主将も務めていた。それまで沢山、色んな水泳大会には出てきたけど、何か物足りなさを感じていた。同時にサッカーやテニスなどもやっていたけど、やはり幼なじみ達に聞けば、私のイメージは水泳だ。

このウェアを僕も身に纏っていたなぁ

でも、高校に入ったら漠然と憧れていたラグビー部の門を叩く。都立高校の中では、伝統のあるクラブではあったけど、後に知ることになる花園常連校に比べたら、公立進学校だし、決して環境は良いものではなかった。その高1の夏に、神戸製鋼で活躍しミスターラグビーと言われていた平尾さんが、新たな選手の発掘をするという企画を立ち上げ、ラグビー誌面を賑わせていたのだった。幾つかの応募基準があって、私は50m6秒というスプリンターや大型バックスというので挑戦したのだった。結果的に、50m5.9秒を手動ながら2回連続出して注目される事になった。以来、大学卒業まで、ボール持って走ったら誰にも止められる気はしていなかったという大馬鹿者だ。

この平尾プロジェクト生になって、メディアの取材を受けたり、ミズノからサポートを受けたりしたのだけど、当時テレビ朝日の「ステーションEYE」という夕方の報道番組で取材を受けたのが“地上波デビュー”で、私のテレビ朝日の原点でもあるのは不思議なご縁。

ラグビー界の構造改革!?

その注目されたプロジェクトでは、全国各地から選ばれたメンバーで合宿なども行ってきたが、平尾さんが日本代表監督になってからは、合宿の機会もなくて、気づけば解散のようになっていた。2002年に当時雑誌Numberが平尾プロジェクトとは何かという特集記事を組んだ事もあったけど、それまではラグビー伝統大学やラグビー競合チームからしか選ばれない代表選手について、発掘育成を大切にするという斬新な発想で構造改革に着手した平尾誠二はさすがだなと感じる。

その平尾さんの風圧、オーラは半端なく、なかなかうまく話せなかった。でも、その天才であり異端児だった平尾さんからは考え方やリーダー論などを学び、平尾さんに関する書籍は全て読み尽くすくらい平尾信者になっていた。残念な事に、若くして亡くなられたが、プライベートで撮った写真は1枚、もらったサインは1回。神戸の夜で、日大ラグビー部OB会長を務めた松浦さんと色々な話をしたのが数回くらいで。その度に「足は速いけど、不器用だったからなぁ」って、周りの方に紹介をしてもらっていたのだった。

ちなみに、私は平尾プロジェクトに選ばれた事で、日本代表育成選手として、各種代表候補候補合宿に参加する事が出来た。そこで、日本トップレベルのコンタクトやスピードを体感したり、あるいは分析、マネジメントの面でも多くを学び日本大学へフィードバックさせたものだ。

特に、平尾プロジェクト単体の合宿では平尾さんも参加されたりする中で、そのラグビー感性からくる一言一言を理解できない事もあった。後に、テレビ朝日アナウンサーとして長嶋茂雄さんに接した時に同じような感覚を覚えたものだった。

ここが平尾さんとのお別れの場

もう一つの宝物

そんな平尾さんが亡くなられて、神戸でお別れの会をやったとき、正面に置かれた平尾さんの遺影。その写真が一番好きだったそうで、その写真を関係者に頼み込んで、入手し常に近くに置いてあります。高校1年でわけも分からず平尾誠二という人物に触れる事が出来たのは、何事にも代えがたい経験だし、原点だということを忘れずに。

感謝の集いでも使用された平尾さんお気に入りの1枚

特に、「物事を窺う」というスキル•考え方はこの方から学ばせて頂いた事で、この学びは私の人生で必然だったとしか思えない。ところが、ラグビーでは実践出来ずじまいだったけど、実社会では大きく活用できて、ブラッシュアップにブラッシュアップを重ねて、今、議員としても、その他の事でも全てに応用して各種折衝にも絶対的にプラスだと思っている。

今、事務所にある平尾本

特に、これは瞬間、瞬間で決断を求められる政治家には必要な要素だと自画自賛していることもある。

最初で最後のツーショット

時は2015年。ワールドカップ2019日本大会の12会場発表の場に大会アンバサダーとして来ていた平尾さんと、都議会ラグビー議連代表として参加していた私との会話では「都議会議員になってもラグビーか(笑)川松君はとことんラグビーとは切ってもきれない運命だな・・・(笑)」と言われた。ミスターラグビー平尾さんにこう言われたなら、これは勲章だとちょぴり誇りに思っている。この時撮ったのが最初で最後のツーショット写真になってしまったのは残念だ。

私にとっては平尾さんと最初で最後のツーショット

今、平尾さんが生きていたら、どんな世界観が広がっていたのだろうかと想像するだけでワクワクドキドキする。改革イメージの平尾さんだけど、実は根底には変わらない哲学を持っていたからこそ、バラ色の未来像を描くだけでなく、着実に前に進めていくためのエッセンスが詰まっていた。私達が、様々なチャレンジを行うにあたって「天才・平尾誠二」から学んだ要素はいかんなく発揮されていると思う。

これからも、その都度、その要素が詰まった話を、ここでも紹介出来たらいいなと考えている。

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