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おいしい川俣シャモを全国の方に食べてもらって、笑顔になってもらいたい!

川俣町農業振興公社 代表取締役の渡辺良一さんは、川俣町山木屋地区のご出身。畜産関係の仕事を経て1992年に川俣町農業振興公社に入社しました。長らく営業部門を担当し、商談会などを通して川俣町のブランド地鶏「川俣シャモ」のおいしさをPRしてきました。

○現在のお仕事に就くきっかけは?

川俣町では、1983年から川俣シャモのブランド化に取り組んでおり、その販売を民間に任せようと1987年に作られたのが川俣町農業振興公社でした。私はもともと川俣町の畜産系の会社に勤めていて、養豚の指導員をしていました。知人に誘われる形で1992年に公社に入社をしました。入社してから30年間、初めに製造を担当しシャモ肉の加工を学びました。その後営業を担当し、川俣シャモのPRや商品開発を行ってきました。首都圏で行われる「商談会」や「展示会」などで川俣シャモをPR、今では首都圏の高級居酒屋や高級レストラン、和食店などで川俣シャモのメニューが提供されています。

○現在のお仕事のやりがいを感じることは?

おいしい川俣シャモを全国の方に食べてもらえたり、笑顔になってもらえたりすることにやりがいを感じています。私は営業の担当として、商談会などで積極的に首都圏のお肉屋さんや料理店にPRを重ねてきました。川俣シャモのおいしさを伝えるには、食べて頂くことが一番。お肉屋さんや料理店の方、シェフの方に食べていただきシャモのおいしさを味わっていただきました。

私自身、子どものころから料理が好きでした。祖母がカレーを作っていて、仕上げのカレー粉を入れるのが私の役目。カレーを食べた家族に「おいしい」と言ってもらえることに喜びを感じました。現在でも、川俣シャモを調理し、鍋や親子丼にして味わってもらうことに喜びを感じています。

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○お仕事で大変なことは?

新型コロナウイルスの影響で飲食店向けの川俣シャモの需要が減っています。一方、「巣ごもり需要」で一般家庭向けに開発した商品はよく売れています。コロナ禍でなかなか予測ができませんが、今後も「お客さんの需要がどこにあるか」を探っていくことが売り上げを伸ばしていくポイントだと考えています。

○今後取り組みたいことは?

コロナ禍でもあり、一般家庭向けの商品の開発や販売には力を入れていきたいと考えております。また、防災食や柔らかさを売りにした介護食など、まだあまりチャレンジをしていない分野でも商品を開発していきたいと考えています。先日は地元の小学生の提案で、防災用に備蓄ができるレトルトの鶏団子スープを開発しました。野菜入りのスープやおじや、リゾットなども考えていきたいです。

○川俣町のよいところ・大変なところは?

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川俣シャモは川俣町の財産、川俣町民の誇りだと考えています。柔らかく、適度な弾力があり、噛むほどに鶏肉のうまみが広がります。昨年度末には「GI地理的表示保護制度」に福島県では3番目に登録される等追い風も吹いております。
町の観光にも生かされていて、「川俣シャモまつり」というイベントには多くの人が訪れます。祭りでは、「世界一長い川俣シャモの丸焼き」に挑戦しています。毎年のように100羽以上の川俣シャモを長い串にさして丸焼きにするイベントを開催してきました。

大変なのは車がないと移動が大変なところでしょうか。山間部にある街なので、特に高齢者の方で車の運転ができない方はなかなか大変だと思います。とはいえ、デマンド型乗合タクシーのような交通手段はあります。それ以外は、福島市にも近いですし、便利な町だと思います。

○あなたにとっての川俣町は?

生まれてからほとんど川俣町で過ごしているので、落ち着ける場所だと考えています。一時町を離れていた時がありましたが、その時に川俣に帰ってくると、「ふるさとは落ち着く場所だな」と感じたのを覚えています。

○地域おこし協力隊の応募を検討している方々へ

川俣シャモの品質は間違いありませんが、売り方はまだまだ工夫できると考えています。シャモを知っていただき、食べて頂いて、どんどんPRをしていきたいですし、そのためにもぜひ色々なアイデアを頂きたいと考えています。また、EC関連での販売、SNS発信についてもこれから工夫していきたいと考えているので、インターネットの活用を得意にしている方にはぜひ仲間になっていただきたいと考えています。作る喜び、販売し感謝される喜びをみんなで分かち合えたらいいなと思っております。

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