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源氏物語を読みたい80代母のために 14

ああーまたまたサボっていたらもう九月に。オリパラに明け暮れた夏にございました。昨日のパラ閉会式、感動的でしたね。とても全部の競技までは見切れなかったけれど、車いすラグビー、バスケ、テニス、ボッチャ、どれも楽しく見させていただきました。選手のみならず関わった全ての皆さまにありがとうの気持ちです。憂鬱なコロナ下二回目の夏も過ぎ、感染者数も減少傾向。ワクチンもお蔭様で二回打てました。あと一頑張りですかね。

さて、ついに「ヒカルの物語」は終焉を迎えました。「雲隠」まで実に新書サイズ十二冊、我ながらよくぞ書いたものです。そして母、今もう十二巻の半ばを過ぎたらしい。前巻の「若菜」はやはり超絶面白かったらしく、あっという間に読み終えたとか。小道具使いも気が利いてるし、クオリティ高いよね。ただガッツリ手仕事をしてる職人の母、夜になると目がショボショボして読書が厳しいらしい。無理せず大事に、ゆっくりね。

もう一人、大学の国文学科繋がりの友人にも(ムリヤリ)読んでもらっているのですが、結構な読書家なのでさすがに速い。あっという間に十二冊読破。彼女曰く「源氏物語はその時代ならば通じたけれど現代だとわからない箇所が多々ある、その穴を埋めるのが女房さんたちのお喋りだね!」と。嬉しい、まさにその通り。昔々の物語だから、現代人が気軽に読むにはあまりにもわからないことが多すぎる。もちろん物語に力があるから、よくわかんないけどまあいいやで読み進むことは出来る。出来るけどあまりに「わからない」が積もってくるとキツイ。これがある域を超えるとリタイヤ、になっちゃうのかも。勿体ないよね。

そういうわけでとにかく読みやすくわかりやすく!と思って書き始めた「ひかるのきみ」なんですが、進めば進むほど「いやこれ……本文の方がいいよね表現として全然」という箇所が増えて来て七転八倒するばかり。源氏物語オタクは「やっぱり原文サイコー!!!」という境地に行きつく向きも多いと聞きますが、私もそっちの沼に爪先くらい入ってるかも。だからといって、原文読まないと真髄はわからないフフンなんてことは全然まったく思わない。興味の方向性が違うというだけであって「好き」に上下なんてないもんね。

何かとりとめがなくなってきた。そうだ、今「宇治十帖」なんですが、これがまたスピンオフのアンソロジー集みたいな感じで、人物や時系列がアッチャコッチャでこれまた大変。解説・まぜ返し・ツッコミ役の右近ちゃん・侍従ちゃんたちにはもうひと頑張りしていただいてます。

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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。