小学校の同級生のこと②

一年生になったら、ともだちが本当に100人できるもんだと思ってた。
僕の学校は当時、各学年5クラスで、全校生徒が1000人を超えていたから、
単純計算で1学年170人近くの同級生がいることになる。

幼稚園の放課後学研教室に通っていたおかげで、算数を習う前の僕にとっては、
ともだち100人が現実的な数字に思えたのであるフィ。

しかし100人で富士山にのぼっておにぎりを食べることは、無理そうだな、
ということも、分かっていた。聡明な1年生だったんだ、我ながら。

そんな聡明でお利口であることが、「1年生」であり、「小学生」なんだ、
と、僕は誰からともなく、刷り込まれていた。

幼稚園のお遊戯は完璧に覚えていたし、卒園式の鼓笛隊では指揮者もやった。
絵を描くことと、走ることには自信がなかったけれど、
「うん、僕は、幼稚園では一生懸命やったから、1年生になれる。」
と、4月の入学式の日を、カレンダーで何度も確認した。

そういえば幼稚園の予防接種が嫌すぎて、保健室から脱走して、
先生やお医者さんからついぞ逃げ切ったことがあった。
スイミングに行くのが嫌すぎて、バス停から脱走して、
まだ3歳になるかどうかの弟を連れた母から、ついぞ逃げ切ったことがあった。

そういう都合の悪いことには、とりあえず蓋をしているのが、6歳児なのだ。
じいちゃんばあちゃんに買ってもらった学習机やランドセルを日々眺めては、
「1年生たるやかくありき」というにふさわしい自分の姿を思いを馳せ、
入学式の日を迎えた。

僕のクラスは1年2組だった。出席番号は3番。
1年2組3番。いい。とても幸先がいい。
いち、に、さん。ワン、ツー、スリー。アン、ドゥ、トゥルァッ。

6年生に手を繋がれ、体育館のステージから入場する。
幼稚園のお遊戯室のステージからも、広いなぁ、と思ったものだけど、
小学校の体育館のステージはその何倍もあった。

しかし僕はそんなことにはひるまない。
こういう時に、モジモジしたり、キョロキョロしたりせずに、
まっすぐ背筋を伸ばしていられるのが1年生なんだ、と、
おそらくは幼稚園の卒園式練習で叩き込まれていたからだ。

1年2組3番の僕が入場してから、1年5組35番?くらいの子が入場するまでは、
6歳の僕にとってはかなり長く感じられる時間が経っていたはずだけれど、
「1年生だからな。」という思いを背骨に刺して、
きっとさぞかし、シャンと座っていたんだろう、と、思う。

中にはキョロキョロする子、着慣れないオシャレな服のボタンを触っている子、
鼻くそをほじっている子、それを隣で露骨に嫌がる子、ももちろんいた。
そんな彼らを見れば見るほど、僕は誇らしい気持ちになっていた。

「フッ。1年生だというのに、幼い者共よ。貴様らに1年生という自負はないのかね。」

くらいに思っていたかもしれない。いや、ごめん、そこまでの余裕はなかった。
それにそこまで心は汚れてなかった。今ほどには。

けれど、そんな今よりはかなり澄んだ心を持った僕でも、
1年生にしてはかなり立派だった眉をひそめてしまうほど、
「1年生なのに!しっかりしろよ!」と思う子が隣の1年1組にいた。

ずーっと頭を大きくゆらゆらと動かし、あろうことか、先生が隣に座っている。
なんなら、突然立ち上がろうとし、それを先生が抑えている様子すら伺える。

僕はまっすぐ背筋を伸ばしてじっとしていなければいけなかったから、
精一杯瞳だけを動かして、その子の様子を伺っていた。

「一人で座ってられないのかよ。1年生なのに。」
「なんであいつだけ先生が隣にいるんだよ。1年生なのに。」

それが、彼だった。

彼には「しょうがい」があり、
彼が「なかよしがっきゅう」というクラスの子だと知るのはもう少しあとの話。

入学式の僕はまだ、「しょうがい」という言葉も、「なかよしがっきゅう」という特別なクラスがこの学校にあるということも、もちろん知らなかった。


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