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「読む」から派生するコミュニケ―ション

昔から本が読むのが好きだった。だけど、いわゆる「本好き」な人たちと比べてみて、取り立ててたくさん読んできたわけじゃない。

「趣味は読書です」なんて大っぴらに言うのは恥ずかしいことだと感じていた。だからあえて自分から人に言ったこともないように思う。

というか本を読むことは、自分にとって当たり前過ぎて「趣味」のジャンルに入れるほど、特別なことじゃなかった。

私にとって「趣味」とは、例えばスポーツとかアウトドアとか、旅行だとか、自分の興味と余暇と(ついでにお金)をふんだんに使って楽しむ「特別なもの」や「こと」だった。だからそれに当てはめてしまうと、空いた時間にさっと本を取り出して開くだけでできてしまう「読書」なんて、そんな高尚な「趣味」に値しないものだと思っていた。

(まあ、今となっては、本屋さんで一日潰せて、欲しい本を大量購入することを至福だと感じる私は、上記の「条件」に当てはめても、明らかに「趣味」やん、って認めざるを得ないのだけれど。)

さらに付け加えるなら、ある程度本は読んではいたんだけど、小さな頃は絵本や児童文学、思春期になってからは少女的な小説(今でいうラノベ的なやつになるのかしら、)が主だったし、大人になってからも、せいぜいその時話題になってた本を読むくらい。「読書」っていう(私の勝手な)イメージである「文学的な作品」に触れてきたわけじゃなかった。

だから「ちゃんとした(いわゆる高尚なイメージの)本を読んでるわけじゃないし…みたいな変な引け目も、どっかにあったんだろう。

だけどやっぱり小さな頃から、「本を読む」っていうことを、息するくらいの感覚でやってきたってことは、自分にとっては大きな財産だったと、今では思う。

実際、「本を読む」って行為って、実のところ難しくないですか?

それに気付いたのは子供の音読聞いてる時やったけど。音読していても、実際には文面の意味を理解しながら読んでるのではなくて「ただ字面を追ってる」だけ、って時。
何でそんなとこで区切る?とか、どーしてそこを読み間違える?とかいうことが度々あって。不思議に思って、気が付いた。

「そっか、『読む』(行為)って、慣れてないと難しいんや」。

書いてある字面を目で追い(音読ならばそれを声に出し)ながら、その言葉の意味を理解して、解釈する、ってことを瞬時にやるんやで。
そら難しいよ、慣れてない子供には。うん。

でも、そうやって本を読むようになってくると「考える」し、感情が働く。
軽いとこでは「好き」「嫌い」から、「この人の考え分かる」とか「分からん」とか。
で、読んでるだけだとその時思ったことや感情は、そのうち忘れちゃうんだけど、言葉や文章にしてあらわそうとすると、すごく考えるのん。

「私はこの本の(若しくは本の著者の)どこが好き、或いは嫌いなんだろう?」とか、
「どういう部分に共感したんだろう?」とか、「どういう部分に嫌悪感を抱いたんだろう?」とか。


だから私にとって「読む」のと「書く」のはセットで、だけどそれに気付いたのはつい最近。どっちかに比重をかけすぎても具合悪いし、消化不良。

だけど今までは「書く」ことは殆どしてなくて、「読む」ことだけをためて生きてきてしまった。だから、それだけだと消化不良ってことにも気付いてなくて。最近ようやっと気付いたっていう、ね。

小さな頃から本を読んできて、ずっと自分の中に言葉をしまってきたけど、ある時外に出したくなった。「この本さいこー!」って思った時に、人と語りたくなった。「あなたはどう思った?」って。

だけど周りには本を読む人がいなくて、そもそも自分が本を読むことも周りに言ってなかったから、相手がいなくてすごくもどかしかった。
SNSで本の感想をつぶやき始めて、言葉を綴って文章にすることをはじめて、それでようやく自分の内側からスッと何かが抜けて、軽くなった。
今まではためることしかしてこなかったから、気持ちよくって最初はどんどん出せた。だけど途中で頭打ちみたいになって、あ、どっちかではあかんねや、って気付いてからは「読む」「書く」、このふたつの行為がセットになった。そして組み合わさった分、楽しさも増えてった。


そうしたら今度は不思議なことに、「話す」ことも、楽しくなったし、気にするようになった。
「書き言葉」は推敲していくらでも直せるけど、「話し言葉」は瞬時に発するものだからイキモノ感ナマモノ感あるし、その人の「素」の状態がどうしたって滲み出る。

そして「話す」ためには「聴く」ことが必要で、「聴か」なければ「話せ」ないし、「理解」できない。さらにいえば言葉だけを「聴く」んじゃなくて、その空気感や背景までを「聴く」。
(※一方的に「話す」(つまり聴くという行為をしない)のは、うーん、自分の中では「話す」には入らないような気がする。)

そうやって「読む」という行為から、「コミュニケーション」が派生していくのって、ほんと面白いなって思う。

今まで自分は「読む」=「考える」人間だと思ってたんだけど、実は「読む」っていうのは「コミュニケーション」のスタート地点だった、っていうところが、実に興味深いやん(マニアック色でできたw)。

本の中には、人がいる。中にも外にも、人がいる。

今までも、その「人」の存在を(無意識のうちに)意識して本を読んできたし、これからもずっとそうなんだろう。

だから私の「本を読むのが好き」(=「趣味は読書です!」)っていうのは
きっと、「人とのコミュニケーションが好き」ってこともあるんだろうな。
だって自分にとって本はコミュニケーションのツールだからさ。

ってなことを、春分の日につらつらと考えた次第であります。
生きているうちに気付けてよかったよね、ホント。


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