感覚の改編、そして編纂
今年の目標。
それはいっぱい読んでいっぱいアウトプットすること。息を吐くようにアウトプットできるようになりたい。
そのために記録もつけたい。具体的にはいわゆる読書ノートをつくる。思ったことをそのまま垂れ流しにするのではなく、ことばにして、残しておきたいから。
しかし1月も後半になるのに、いまだに昨年読んだ本のアウトプットすらできていない。すでにもうやばい。しっかり書く時間をとらねば。
というか、読みたい欲の乱高下がありすぎて、書く方が追いついていないのもある…。
部屋も年始早々本の整理をしたのに、また本が積まれてきている。図書館本もまあまああるし、ほんまどうすんねんコレ状態な部屋になってきてて、まじやばい。
それからそれから(まだあんのかい)、映画を観たい。昔の映画含め。できれば映画館のスクリーンで。
ほんでほんで(しつこい)、美術展や展覧会にも訪れたい(ん?書く時間あんのか?)←
たぶん、自分の内側の感覚をあらたに育てたいんだと思う。
今まで自分を傷つける方向に向いてた「繊細」な感覚(っていう言い方すきじゃないけど)を大切にしたい。それを言葉にして外側に向けられるようにしていきたい。
そんなことを急に痛切に思った寒い冬の一日。
今日読んだ本は
『うたかたの日々』岡崎京子 宝島社 2003.5
『トーマの心臓』萩尾望都 小学館文庫 1995.9
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』吉田篤弘 / 中公文庫 2009.9
『つむじ風食堂の夜』吉田篤弘 / ちくま文庫 2005.11
読むときめっちゃ読むな。
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