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つれづれ9 読み取ってしまう

横浜のめぐみ

暫くご無沙汰してたね。
こちらは肌寒くなってきて寒いのが好きな私は元気が出てきました!
今日はいつもに増してつれづれ取り留めもなく書きたい気分で寝る前に温かいハーブティーを飲みながら書いています。
今年の私の中のテーマが「表現すること」だったのだけれど、最近、言葉を通じての人のエネルギーの強さ?みたいなものを意識することが多くてこれってなんなのかなーって思ってる。
スピリチュアルなものじゃなくて、なんていうか例えば話す速度だったり、言葉の選び方だったり。その人の年齢や価値観、積み重ねてきたものが言葉になって出てきておもしろいなと今まで以上に思うことが多いの。
わかりやすいところだと、職場の若い男の子が自分の恋愛について話してくれた時。あぁ!この感じ!内容も勿論そうなんだけど、弾むようなエネルギーというか…こんな感じ懐かしいって思っちゃった(笑)

これは文章にも当てはまって、私とめぐちゃんも多分同じような価値観を持ってること沢山あると思うんだけど、めぐちゃんの文章を読んでるとほんとに真っ直ぐで真摯で嘘がなくていいなって思う。めぐちゃんの優れた文章力も勿論あると思うんだけど、いつも小さい子供が真っ直ぐ向ける眼差しみたいな澄んだ強さを感じるんだよね。
同じことを書こうと思っても私はきっと同じ表現は出来ないし、私にしか出てこない言葉で書くのだろうな。
そう考えるとある意味、言葉は自分の人となりが出てしまうものなんだとちょっと怖く思ったりもするの。
うちの娘は作文が苦手で専ら理系なんだけど、この前宿題の作文に行き詰まっているので、ちょっと見せてもらうと、数学の証明のような文章で、やっぱり理系だわとある意味感心してしまった(笑)私は絶対書けない文章。
これは極端な例かもしれないけど、ネガティブなエネルギーを乗せた言葉はそういうエネルギーを発しているし、思いやりを込めて話した言葉はそういうエネルギーを乗せてるんだろうなと当たり前のことかもしれないけど、思ってる。
だから、発する言葉に気をつけましょうと言いたいんじゃなくて、話をしている人の背景、エネルギーを感じることで、その人のことがもっと理解できる気がしているという話。
基本私はおそらく人が好きなので、そこに気付いてしまった今日このごろは人との会話がより楽しく感じている。同じ人でも日が違うとエネルギーも違うしね。

イライラすれば怒った口調になる
相手を励ましたいと思えば丁寧にゆっくり包み込むように話している
もはや無意識に口から出てきているエネルギーの強弱、カラーみたいなものを自分自身でも楽しみつつ、相手の言葉の中に隠れているエネルギーもいっそ楽しめるといいなと思ってる。ちょっと言葉遊びみたいに。今はマスク生活でダイレクトな言葉もなんとなくワンクッション置いて…みたいな伝わり方なのかもしれないけどね。

いやー、自分でも今日は随分ふんわりした話題を書いたな。受けるめぐちゃんがさぞかし困るのではと思うけど、一旦お届けします!(笑)

沖縄のめぐみ

娘ちゃんの「作文が数学の証明」というところで吹いてしまったよ。これに関してはうちの娘も専ら理系だから作文を書かせると星野源のエッセイをそのまま丸パクリしましたか?みたいな文章になっているよ(笑)

文章や話し言葉でその人の人となりを読んでしまうのは日本人特有な感じがした。外国人のように大きく口を動かして話す言語でもなく小さな口でも、むしろ口を開けなくても話せるんじゃないか?みたいな日本語は美しいものの中に儚さも感じるよね。身振り手振りもしないから選ぶ言葉のチョイスでその人のいろんな背景を読み取ってしまう。ある意味、日本人の得意技なんじゃなかろうか。

めぐちゃんの言う通り、文章にもエネルギーが乗るから文章ひとつで大ファンになってしまうパターンもあるよね。
最近、娘が友達の誕生日にプレゼントと一緒にお手紙を書いたの。沖縄の中学校に転校して不安だった初日に話しかけてくれた友達なんだけど心細かった娘はその子の話しかけてくれる言葉や一緒に行動してくれることがうれしくてそのときのことを手紙に書いたんだよね。
そうしたらお返事を書いてきてくれたの。お友達が。「〇〇からの手紙を読んで涙腺崩壊したからお返事を書きました」ってその子も娘の転校初日のことを振り返って言葉にしてくれたんだけどそのやり取りに感動して、お手紙も読ませてくれたんだけど書いてある優しい字と言葉に胸があったかくなってさ。

あーーー青春ってすてきだー!
って感動したし、やっぱり直筆の手紙っていいな…って感じた。

人間だもの、感情が乱れるときはあるし四六時中いつでもどんなときでも笑顔でいるのは酷だからいろんな感情を味わえばいいと思うんだけれど発する言葉や文章は一旦息継ぎをしたいな、って40歳超えて実感している。

感情的になることと、感情を味わうことは違うし感情を誰かにぶちまけるのも違うよなって。一旦息継ぎをしたら誰かに聞いて欲しいからわたしの場合は文章にするんだけど(溜め込みたくなくて&感じたことを忘れたくなくて)読んでくれる人にイライラをぶちまけては申し訳ないと思っちゃうのよね。息継ぎしても辛口で書くから刺さる人はいるかもしれないけどね(笑)

コミュニケーションのスキルを学ぶ人も増えたけれど、コミュニケーションって実際には相手あってのことだし自分がいて、相手がいて成り立つことだから一番の武器になりつつある言葉は大切に扱いたいよね。

残された命が少ない人は、元気のある日やない日もあって話す言葉数も限られてくる。そういう人の残された言葉の使い方ってきれいなものなんだろうな。人の文句やあげあし、不平不満ではなくきっと残された家族や友達への感謝の言葉、愛のある言葉だとおもうの。わたしたちだって、残りの時間なんて誰もわからないんだから出来るだけ偽りなく良い音の言葉を使っていきたいよね。



小林めぐみ       河合めぐみ

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