見出し画像

断捨離とは人を排除することではない

わたしが関わっていた組織で人を排除する運動が起きたそうだ。

日頃から断捨離の大切さを書いているけれど、この話を聞いて背筋がゾッとした。時期やタイミングでは付き合う人を見直す必要がでてくるかもしれないが、自分にとって邪魔だから排除するという考え方が断捨離の定義になっているとしたら怖いことだ、と改めて思ったからだ。

「生きていれば自分ではコントロールできない不甲斐ないことも起きるよね」

先日友だちとランチをしたときにそんな話題になったけれど、ほんとそう。生きていれば不甲斐ないことも起きるし苦手な人にも遭遇する。でも、苦手だから嫌いだからと自分の人生から排除することと関係性を見直すことは雲泥の差だ。そこをはき違えると一生死ぬまで人間関係に苦しむ。ランチをしたわたしの友だちはナイチンゲールみたいな人なので一緒にいて癒しでしかない。優しい人が近くにいてくれることはわたしにとって幸せ以外の何物でもないのだが人間関係って定義ひとつ、解釈ひとつで悩みにもなるし幸せにもなる。

「人を排除する運動」は、いじめと変わらない

「あの人がすべての悪だ」

そう括ってしまうのは簡単。だけど、本当にその人ひとりだけが悪なのだろうか?その人を排除すればすべて解決するのだろうか。断捨離ってそういうもの?それを調和と呼ぶのなら、調和なんて言葉はクソだと思う。人間関係って何なのだろう。自分の感情を大切にすることは必要だけれど誰かを傷つけてまで得る必要があるのだろうか。

そう書くときれいごとに聞こえるかもしれないね。「嫌いなんだから排除すればいいじゃないか」そう思う人もいるかもしれない。だけどわたしはその方法は嫌いだ。いじめと変わらない。誰かが居なくなれば解決する、それが人間の断捨離だ、という考え方こそ排除したい。

自分にも感情があるけれど、相手にも感情があり事情がある。そこを考えられたときお互いに幸せな人間関係が生まれるんじゃないかなあ。つまり、想像力が大切なんだ。

これからの人間が養うことは「想像力」

ここから先は

1,280字 / 1画像

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

あなたからのサポートで新しいネタを探してきます!!