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『検閲官』山本武利著(新潮新書):図書館司書の読書随想

検閲は、これをしてはならない

日本国憲法21条2項の条文にそうある。

表現の自由を確保するための、基礎となる条件だ。

けれどそれを隠然と、後には公然と実行していた機関があった。

連合国最高司令官総司令部、通称GHQだ。

戦後、日本において民主主義が行き渡っているかを確かめるために、手紙や電報、雑誌や新聞、脚本や小説などの出版物に至るまでほぼすべてを検閲にかけていたという。
電話も盗聴していた。

けれどそれは建前で、本当は民主主義を行き渡らせるために、その邪魔になる意見を表明しようとするもの、行動を起こそうとする者を事前に把握し、そうさせないよう芽の段階で摘み取っていたのだろう。

GHQ内の検閲担当部局CCD(民間検閲局)の指導者は米国人であったが、実際に実務を担当したのは一万人を超す日本人検閲官だった。

同胞の秘密を盗み見、それを占領軍に報告することに罪悪感を持ち、長く務めることができなかった人。
一方で、自身の能力を活かすことができ、検閲官の職を好んでいた人。
戦後の混乱期、飢餓から逃れるために破格の高給であるこの職に就いた人。

ひと口に検閲官と言っても、彼ら彼女らの胸の内は様々に異なっていた。

『戦艦武蔵』や『破獄』といったノンフィクション小説で有名な作家吉村昭氏も、予備校の教師の勧めで検閲官の採用試験に参加したという。
けれど、「幸運というべきか語学力の不足で不採用」になった。
そして、「危うく自分の手を汚すところ」だったと、憂鬱な気持ちでこの時を思い出すのだという。

検閲局は、女性も多く働いていた男女平等、かつ年齢も下は学生から上は還暦を過ぎたものまでいる、能力主義の職場であった。
当時としては、最先端の仕事場であったろう。
それゆえに、この職を肯定的にとらえる人も少なくなかったようだ。

1949年10月末に、検閲局は閉鎖される。
米国の軍事予算削減の余波を受けての決定だが、丸四年に渡る占領検閲で、日本の言論界はかなり歪曲したものになったのではないか。
そして、その歪みを歪みと感じ取れない流れは今も脈々と続いているように思う。
気のせいなのか、米国の意図通りなのか。
前者であることを祈りたいのだけれど。

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