蕎麦と酒 今なら(大阪・谷町六丁目)
「次のバイトの時、うちの近くで飲もう。うまい店もあるから」
と、少し前から耕平に誘われていたが、翌日の勤務の関係などでなかなか予定が合わず、先延ばしになっていた。耕平とは、夏に、関西勤務の高校の同窓生数人で小さな会を開いた席で会ったが、二人で飲むのはあのレミとの始まりの日以来だ。
レミとの関係は、夏の飲み会で耕平に知られることになったのだが、そこからLINEでちょくちょく進展を聞かれた。大の大人の男が、旧友の恋愛、しかも全く進まない、それこそ高校生当時のような関係に興味を持つなんて不可解だと思っていたが、隠すようなことでもないと思い、適当に返していた。
夜7時、耕平の最寄り駅である谷町六丁目で待ち合わせる。都心からもそう遠くない、なんてことのない小さな地下鉄の駅だ。もちろんマンションも多く立ち並ぶが、有名な商店街があり、評価の高い飲食店も多いエリアだという。長い間田舎で生活してきた自分にとって、一つの都市に顔の違う町がいくつも形成されているということが驚きだった。
「店は9時までになっちゃったけど、終わったらうちで飲み直そう」と言う耕平と、駅からほど近い蕎麦が売りだという居酒屋に入った。日本酒も推しているというが、ひとまずビールを頼み、焼き野菜をつまむ。
「俺、大学からずっと関西におって、今の会社、本社もこっちだし。そこそこ安定した給料は貰えてるし、なんで一人なんやろな」
食べ始めるやいなや、耕平がぼやいた。確かに、自分のように就職が遅かった者や、転勤族、そもそも色々と難ありな人間以外、同級生は皆と言っていいほど結婚している。もう子どもがいる者も少なくない。サッカー部だった耕平は、高校の頃からモテていたし、今だって、180㎝近くある長身に、当時の体型も崩れていなければ、仕事もでき、収入も悪くないはずだ。耕平の会社も本当は転勤が多いが、上からの評価が高いおかげでずっと本社に残れていると聞いたことがある。願望がないなら別だが、耕平はそうではない。言われてみれば、彼がまだ独身でいることは意外だった。
「今もさ、付き合ってるっていうんかな。まあ遊んでる子はおるんやけど。将来を考えれない間柄なんよな」
耕平は、自分とは違い、これまでも恋愛強者として生きてきたはずだ。正直、彼がいなければ、レミのような女性と今のような関係になることも難しかっただろう。でも、そんな彼だからこそ、30を目前として結婚が見えないことに焦っているのだと思った。
最初にオーダーした、大阪では有名らしい河内鴨が届く。生で鴨を食べるのは初めてだ。蕎麦屋と聞いたが、その他にも魅力的なアテが多くあるのが嬉しい。
「はっきり言うと、相手、前北浜で声かけたアンナちゃんなんよ。覚えてるやろ?お前が会ってるレミさんの連れの」
なるほど、と思った。だから耕平は、自分とレミとの関係が気になっていたのだ。しかし、言ってしまえばただのナンパ始まりの夜に出会った男女が、二組とも半年以上も続いていることに笑ってしまう。
「アンナさん、耕平の好きそうな感じだったな。良い子そうだし、お似合いだと思うわ。アンナさんと結婚とかはないの?」
将来を考えられない間柄、という言葉にピンと来ず、ついそう口に出た。
「いや、アンナちゃん結婚してるやん。え?知らんかったん?」
そこからの記憶はおぼろげだ。日本酒を何合か飲んで、締めにきちんと蕎麦は食べた。耕平の話を、回らない頭で要約すると、こんなところだ。
アンナは、かなり若い時に結婚しているが、子どもはいない。なかなか出来なかったという。結婚後も仕事はしているし、子がない夫婦の間は息が詰まる。だから、色んな男と寝ることで憂さ晴らしをしている。耕平は、何人かいるアンナの遊び相手にすぎず、もちろん夫と別れて、なんてことも考えていない。けれど、耕平は心身ともにアンナに惹かれていて、後戻りできない。これまで、どちらかというと遊ばれるよりも遊ぶ側だった彼のおかれている想定外の状況に戸惑った。
「お前のことも心配になって聞いたんやけど、レミさんは、ちゃんと独身だって」
アンナが既婚者だと聞いた時、一瞬焦ったが、耕平のその言葉で安堵した。レミの、嫌なそぶりは見せないが先に進むことには消極的な態度は、妻というポジションを既に得ているからだと考えると、納得がいく。
「独身で、いいなって子に出会えたんやから、お前は先に進むべきやと思うわ。レミさんも、お前の煮え切らない態度にやきもきしてるんちゃう?ここらへんではっきりさせときべきやと思うわ。俺も、早く他に良い子を見つけて、卒業せなあかんな」
大人になってからの恋愛は、難しいと思う。今では医者の肩書がある自分は、婚活やアプリやらを使ったのなら、相手は簡単に見つかるかもしれない。けれど、その子を好きになれるのだろうか。結婚に対する価値観はどうか。この年齢で、その二文字を無視して言葉にした交際を始めるのは困難だろう。レミとの間では、結婚観などが話題にのぼったこともないし、もちろん、将来子どもが何人ほしいかとか、そんな話は一切したことがない。その状態で、駒を進めて良いものなのか。そもそも、学生時代からの恋を実らせて、などという以外で、恋愛結婚なんてこの世に存在するのだろうか。
二日酔いの頭で、メトロで天満橋まで行く。幸い今日は休みだ。帰ってまた眠れる。せっかく大阪に来たのだから、レミに一目でも会いたいという思いが脳裏を過ったが、ここより2度ほど寒い街に帰り、頭を冷やそうと京阪電車に乗り換えた。
お店情報
炭と蕎麦と酒 今なら
大阪・谷町六丁目
居酒屋、そば
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