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にこみ鈴や(京都・烏丸御池)

「大丈夫。桃ちゃんみたいに、取って食おうとしとるわけやないから」
ベテラン看護師の久美子が、今夜どうかと誘ってきたので、行きつけだという居酒屋で飲んでいる。

久美子とは、顔を合わせれば挨拶するくらいの仲でしかないので、いきなり誘われた時は困惑した。だが、「桃ちゃんみたいに」という言葉が引っかかったし、特に断る理由もなかったので、乗ることにした。久美子については、この病院で20年近く働いていること位しか知らない。年下の男が家に住み着いているという噂を聞いた気がするが、そんな看護師は五万といるらしいし、特筆すべきことでもないだろう。

とりあえずサッポロ生ビールで乾杯し、おでんをいくつか頼む。関東とは、やはり少し種類が違う。牛すじがあるのが嬉しい。どれも、濃すぎないがお酒が進むちょうど良い味だ。定番のもつ味噌煮込みも、おでん屋ならではの美味しさだ。

「で、桃ちゃんとはどうなん?前、明けにご飯行ったらしいやん。次は飲みに行こって言うたのになかなか応じてくれんからどないしよってぼやいてたわ」
やはりその話か、と思った。まだ新参者の自分にでも、久美子がかなり世話焼きだということはわかる。言うならば、若いナースたちの姉御的存在なのだろう。
「いや、どうも何も。何もないですって。ただ明けが被ったから一緒に朝食べただけで。あの子、皆にあんな調子じゃないですか。からかわないでくださいよ」

ハラミ焼きのビジュアルの美しさに驚く。内装は確かに小綺麗だが、カウンターメインの普通の居酒屋なのに、一つ一つが丁寧だ。京都で長年暮らしてきて、おそらく色々な店に行ってるだろう久美子のお気に入りというのも納得である。

「ここ、前から好きだったんやけど、移転して綺麗やし近くなったからええわ。一人でも入りやすいから、毎週来てるんよ。そういや、サトル先生もこの近くやなかったっけ?気に入ってくれたなら、これからばったり会うかもなあ。桃ちゃんに嫉妬されてかなわんわ」
桃香は久美子に何を話しているんだろう。薄々狙われているんだろうなとは気付いていたが、こちらにその気はないのだから対応に困る。

「さっきから桃ちゃん、桃ちゃん、って。そういう久美子さんは何かないんですか」
聞いておきながら、脳裏に噂の年下の男がチラつく。「住み着いている」という噂から、おそらく、世間一般で言う普通の望まれた恋愛ではないのだろう。
「いや、私にバンドマンのヒモいるって有名やん。聞いたことあるやろ?まあ、ヒモいる看護師って多いらしいんやけど。先生たちほどではないにしろ、私らも自立した稼ぎはあるし、時間も不規則やから都合ええんやろ。先生は来たばかりやからわからんやろけど、京都って、何してるかわからんような奴が多い街やねん。で、お金ない人も多いから、私らみたいなのが狙われるんよ。京都で学生してた人には常識やで。カレー頼もか」

人気メニューだというまかないカレーが運ばれてくる。おでんから始まり散々飲み食いしたが、大にして正解だ。カレーにまで出汁の旨味がきいている。
「私の話はええて。こんなこと言ったけど、今の生活に満足してるんよ。やっぱ若い男は可愛いしな。浮気されてるかもとか、ちゃんとしたとこで働いてほしいとかもうどうでもええんよ。ただ、後輩たちに同じ道を辿ってほしくないと思ってるだけ」

久美子が言うには、桃香は同じ病棟の医師たちなどにも散々言い寄られてきたにも関わらず、いつも好きになるのは安い飲み屋で出会った学生やフリーターばかりで、しかもいつも遊ばれて痛い目にあっているらしい。
「桃ちゃんが好きって言った中でちゃんとした人、サトル先生が初めて。あの子も若いんだからちゃんと職場で良い人見つけて結婚したらええと思うわ。見た目は皆サトル先生みたいな人やったけど。よく、この仕事してるって言うと驚かれん?」

既にカレーの皿は空になっている。
「サトル先生も、外の変な女に騙される前に早よ身を固めたらええと思うわ。桃ちゃん、可愛いししっかりしてるしおすすめ。京都は、女でもふらふらした変な奴がいっぱいおるから気をつけなさい。サトル先生、そんな子らにモテそうな雰囲気あるから」

この街での基準、今まで自分が生きてきた世界での基準、そして狭い病院内での基準。世の「モテ」とは、生活する場所によって大きく変わるということが、この数か月でわかってきた。これまでを思えば、レミのような都会的な女性と何回も会えていることが奇跡だとも言える。桃香のことはよくわからないが、とりあえず今日は聞き流すことにして、プレーンチューハイの最後の一口を流し込んだ。

お店情報
にこみ 鈴や
京都・烏丸御池
おでん 居酒屋
にこみ 鈴や - 烏丸御池/居酒屋 | 食べログ (tabelog.com)


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