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喫茶マドラグ 藤井大丸店(京都・河原町)

まさか、レミと歩いているところを、よりによって桃香に見られるとは思わなかった。しかも最悪なことに、彼女には、気になっている女性がいるということを伝えてしまっている。だから、翌週病棟で言われた、「誰にも言わんから、次の明けの日にでもご飯食べませんか?」という誘いを断ることはできなかった。

前ばったり会った、藤井大丸の前で待ち合わす。
「こないだ会った時も、本当はここにあるカフェのランチ食べようと思ってたんですけど、並んでて諦めて。今日はどやろか」
エスカレーターを5階まで上がり、目的の店の前にたどり着く。少し並んでいるようだが、店頭に置かれた受付表を見ると、数組程度だ。
「あ、今日はましや。とりあえず座りましょうか」
と、店の外に並べられた椅子に腰かける。周囲を見渡すと、この階はどうやらベビー服のフロアだということが分かった。

「あ、赤ちゃんの服可愛いですねえ。見てきてもええですか?」
と桃香が立ち上がるので頷く。お前には子どもなんていないし、結婚の予定もないだろう、と心の中で毒吐く。あるいは、レミのように姪や甥がいるのだろうか。京都の街は狭いから、すぐ道端で知り合いに会いますよ、と忠告してきたのは確か桃香だった。その桃香に、レミとの姿を見られてしまうなんて、自分も用心不足だったのかもしれない。

名前が呼ばれたので、桃香を迎えに行く。
「可愛かったわあ。私も早くママになってこんなの着せたいわあ」という彼女の言葉を無視し、案内された席に着く。確か、この店の本店は、自宅から歩いて数分のところにあるはずだ。レミが、学生時代よく行っていたと話していた。分厚い卵焼きが挟まれた卵サンドが有名らしい。
「ここは、お子様ランチですよ」と桃香が言うので、今日はそれに従うことにした。

運ばれてきたのは、紛れもない「お子様ランチ」だった。ハンバーグにナポリタン。オムライスには旗が立てられ、プリンまでついている。プリンの上に乗った生クリームとチェリーに、子どもが喜ばないわけがないだろう。一人や男同士のランチだと、どうしてもラーメンだったり丼ものだったりに偏ってしまう。たまにはこういうカフェのランチも楽しみたいが、尻込みしてしまうのは、ある一定の年齢を超えた男性共通の悩みかもしれない。

「私が今日聞きたかったことわかってると思うけど。先生、こないだ一緒に歩いてたのが、前言ってた気になる人ですよね」
ここで誤魔化す必要はない。そうだけど、と敢えてぶっきらぼうに答える。
「なんか意外。確かに綺麗な人やったけど、冷たそうやし。なんて言うんだろう。つんけんしてる感じって言うんですか?いかにも一人で生きていけます!みたいな。あんま結婚とか興味なさそうなタイプに見えたわ。どうなんですかね」
いきなり攻めたことを言う女だな、と思った。でも、桃香の言うことは、あながち間違いではないかもしれない。レミからは、家庭的な雰囲気を一切感じないし、今では人間味のある一人の普通の女性として見ることができるが、その堂々とした態度が冷たく見えてしまうこともあるだろう。仕事はできるがそれ以外はまだまだ子どもな女、として見ていた桃香の鋭さに慄く。

スープを啜りながら、桃香が続ける。
「ていうか、年上ですよね。綺麗だし若く見えるけど、服装や持ち物の感じで、絶対30超えてるって、女なら誰でもわかりますよ。これから身を固めるのに、年上ってどうなんですかね。先生もまだ駆け出しですしね」
この女は、自分にこんなことを言って何がしたいのだろうか。確かにレミは年上で、自分はまだ駆け出しの身だ。でも、それが何だというのだろうか。
「先生は、子ども何人ほしいんですか?私は、3人は欲しいかな。ほら、この仕事だし、子育て中やめても何らかの形で復帰できるかなって。親もまだ50を超えたところだし、いざと言う時は呼び寄せれますしね」
桃香の話は止まらない。
「1人とかって、可哀想やないですか。まあ3人育てるにはお金もかかるけど。だから絶対職場結婚するっていうのも決めてるんですよね。不自由させたくないし。ね、先生はどうですか?先を考えるなら、若い子のがええですよ。これは忠告です」

食後のプリンの甘さが染み渡る。自分も、桃香と同じで、将来子どもが欲しいと思っているし、できれば3人いたらな、と考える。先日、何かの流れでレミにもその話をした。その後の、レミの他人事みたいな返しは少し気になったが、今日まで深く考えずにいた。自分の29歳と言う年齢を考える。今年はいよいよ30だ。この世界にいると、自分よりも年上の後輩なんて山ほどいるので、自分は若い方だと思っていた。しかし、一歩外に出ると、レミの妹のように、もう子どもがいてもおかしくない世代だ。耕平も結婚の二文字に焦っていた。誰か一人の女性と言葉にした関係を築くのであれば、そういうことまで視野に入れなくてはならないのは間違いないだろう。

「まだ気になってるってだけで、そんなのじゃないから。第一、そっちには関係ない話でしょ。俺も子どもは欲しいけど、まだ言うように駆け出しだし先の話だから。そっちは早く良い人見つかるといいね。桃香さん、モテるって聞いたし、いくらでも相手いるんじゃない?」
逆撫でしないように言ったつもりが、気持ちがこもり、少し強い口調になってしまう。案の定、桃香は不機嫌そうな顔になる。

「うちが何言っても伝わらんのやな。うちにしとけば良いって言ってんの、まだわからないんか?遠まわしやけど、こんなに好きって伝えてんのに。もうええわ」
桃香は、涙ぐみながらそう言うと、26歳という年齢には幼すぎるダッフルコートと白い鞄を抱えて出て行ってしまった。


お店情報
喫茶マドラグ 藤井大丸店
京都・河原町
喫茶店・カフェ
喫茶マドラグ 藤井大丸店 - 京都河原町/喫茶店 | 食べログ (tabelog.com)

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