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台湾食堂(大阪・南船場)

久しぶりの恋の想定外の結末に、まだ頭の整理ができないでいた。今年30歳になる大人の男が、色恋沙汰で悩むなんてダサすぎるかと思うが、大人だからこそ、ある程度勝算がついたと思った段階で言葉にしたのだ。悪い結果を全く考えていなかったわけではないけれど、それは自分の慎重な性格に起因するものであって、基本的には二人の将来を信じていた。「東京に行く」というその断りの言葉に、少しばかりの噓を感じた。距離の問題を言えば、相手を傷付けずに済む。しかし、別の世界で生きるレミと自分をつなぐものはiphoneの中にしかなく、真実を突き止めようと思っても至難の業なのであった。

緊急事態宣言も明け、京都では時短営業も解除されるという話が出てきた。いつものように週一回の淀屋橋での勤務を終えようとしていると、耕平からのLINEに気が付いた。今日はまっすぐ帰る予定でいたが、ふと、耕平ならばわずかなつながりが期待できるのではと思い立ち、誘いに乗ることにした。

店の前で、耕平が待ち構えていた。半地下の店構えは、いくら外に看板が出ているとはいえ、一人では通り過ぎてしまっていただろう。自分はまだまだ駆け出しで、仕事帰りもラフな私服なので若く見られることが多い。それとは対照的な、同い年なはずの耕平の板についたスーツ姿を見るたびに笑ってしまう。初期研修を終えてまだ1年目である自分と比較して、もう7年もサラリーマンとして暮らしている彼を思えば当然ではあるのだが。

思ったより広々とした店内に驚く。がっつりしたものも多いはずだが、台湾料理という少しエスニックなものを謳っているからか、心なしか女子が多めな気がする。注文は、各席に置かれた伝票に記入していく形式らしい。向こうの言葉で表記されたメニューに一瞬戸惑ったが、とりあえず一番ノーマルそうなビールで乾杯する。

「いくら俺が関西に来たからといって、頻繁に会いすぎてるかもな」と言うと、耕平はすかさず、「もうお前くらいしか遊んでくれる同級生もおらんからな」と苦笑いした。確かに、年末に二人で飲んだ時も思ったのだが、周りは結婚やら子どもができたやらで、気軽に誘える感じではない。関西、特に大阪には、広島の高校の同級生は多く住んでいるが、なかなか会えずじまいなのはそのためだ。自分は、昨年出てきたばかりだからあまり気にしていなかったが、10年住んでいる耕平からすると、数年前からいきなりわかりやすく変わったということらしい。

「まあ、近々飲もうなんていきなり誘ったのはさ。まさか今日がお前の大阪の日で早速いけるとは思わんかったけど」
水餃子をつまみながら耕平が切り出す。
「まあこんな関係やしいずれは、って思ってたんやけど。アンナちゃん。子ども出来てもう会えないんやって」

「え、」と、思わず口に出してしまう。自分が、レミとの恋に終止符を打ったタイミングで、まさか耕平もとは、驚きを隠せなかった。しかし、言うようにあちら側は未来の見えない関係だ。だから、いつか終わるという自覚はあったにせよ、いきなりの展開に、彼の心情を慮った。この前耕平と会った以後、レミとの間でもアンナに関する話は何度かしたことがあった。レミは、彼女のことを、気ままに遊んでるDINKSで、家でも外でも楽しくやっているようでいいなと思う、大切な友人の一人だ。としか話さなかった。耕平とのことをさり気なく聞いてみると、「まあ、あるんちゃうかな」という曖昧な答えが返ってくるだけだった。

全部合わせたら顔よりも大きいのではないかというサイズの、すでにカットしてある台湾の夜市風らしいチキンとともに、ビールを流し込む。30を目前にした男のサシ飲みが、それぞれの失恋を慰めあう会となるだろうことに滑稽さを思う。

「まあ、子ども欲しかったって話はしとったんやけど。話しぶりからして、もう諦めて遊んどるっていう吹っ切れた感じやったから、いきなりで驚いたわ。けど、本人が一番望んでたことやろしな。外野の俺には何も言えんわ。病院のナースとかでええ子おらんの?紹介してや」
無理に明るく振舞おうとする、かつての学校の人気者の発言が痛々しい。痛々しいとは言っても、決して馬鹿にしている方ではなくて、見ていて心底辛くなってくる方だ。彼自身も、今まで散々遊んできた訳であるし、そもそもが許されない関係だったとは言え、大人になってからの失恋の苦みというのは、自分もつい最近体験したばかりのことで、割と疲弊するものだというのは身に染みている。

「まあ若いナースの子は沢山いるけど。耕平の好みの子はいたかな」と笑って見せるのが精一杯だ。牡蠣のオムレツの、オムレツとは書いてあったがどこかお好み焼きのようなビジュアルに、地元とこの街のそれを巡る闘争を思いながら、美味しくいただく。耕平とアンナも、あっけなく終わってしまった。ということは、自分とレミの間を取り持つものは本当に何もなくなったのだ、と、一口目の紹興酒に喉をやられながら考える。旧友である彼の置かれている状況も知らずに、その一点のみに期待してのこのこやってきた自分の自己中心さに嫌気が差す。

「で、お前はどうなん。レミさんやっけ」
と、耕平が振ってくる。
「このタイミングで、何だお前も、って感じだろうけど。こないだ振られちゃったんだよな。こっちは、東京に行くだとかなんとかで」
と答えると、耕平は驚く素振りも見せずに続ける。
「せやったんか。まあ、後出しじゃんけんみたいであんまよくないけど、あの人はお前とはちょっとちゃうなって、一回しか会うたことない俺が言うのもなんやけど、そんな感じはしたな」
「レミさん独身やし、うまくいけばええなとは思ってたんやけど。なんていうか、お前が将来の相手に求めているものはあの人にはない感じがしたし、逆も然りやと思ったわ。第一印象やから、実際はそんなことはなかったんかもやけど」

初めて聞く耕平の意見に耳を疑いながら、その理由を問いただす。
「一言で表すと、なんていうんやろ。お前とレミさんは生きてる世界が違うんよ。世界が違う者同士が、こうやって偶然で点と点でつながるってことはあるねん。ただ、やっぱりその違いってのは大きくて、最終的に交わっていくかって言ったら話は変わってくるんやと思うわ。まあ、これはアンナさんの受け売りなんやけど」
「お前は、肩書もあるし、これから女に不自由することはないと思うわ。本気で結婚して子どもが欲しいなら、アプリでも婚活でも選び放題だと思うわ。学生時代は俺の方がモテるって自覚してたけど、やっぱここまで来ると逃げずに勉強頑張ってきた方が勝ちやわな。あんま気ぃ落とさんといてや」
自分の失恋を話すために会を設けたのに、すっかり励ます側に回っている耕平に、自分にはまだ備わっていない大人の男を見た。

酔い覚ましと思って飲んだフルーツビールが意外と廻ってくる。世界が違う者は交わらないという耕平の言葉に、心が動かされる。自分とレミの住んでいる世界はやはり異なっていたのだろうか。だとしたら、いったい誰が同じ世界に住んでいるというのだろうか。同じ職場や学校時代の同窓生など、確固としたつながりで結びついている人らのことか。それとも、レミとは違って、将来への展望を同じように描き、何の疑いもなくついてきてくれるような女のことを指しているのか。

「また上京までの間に会えたら!」とあの日何度もレミに言われ、その後もLINEに形として残された言葉が、諦めという決心を拒もうとしている。そういえば、自分はレミの家さえも知らなかったということに、今になって気付いた。

お店情報
台湾食堂
大阪・南船場
台湾料理




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